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倒壊した7階建てビルはそのまま…マスコミが報じない能登半島"壊滅"被災地で歯食いしばる人々の心の支え

プレジデントオンライン / 2024年4月11日 11時15分

撮影=鵜飼秀徳

■マスコミが報じない能登半島“壊滅”被災地を歩く

能登半島地震から3カ月が経過した。依然としてライフラインの不通は続き、復旧・復興には、相当な年月がかかる見通しだ。筆者は3月中旬に現地の宗教施設の被災状況を取材。能登は「真宗王国」と呼ばれ、仏教に篤(あつ)く、寺院の過密地域で知られる。だが、寺院や神社は「壊滅状態」。復興の目処(めど)すら立っていない。現地の様子をルポする。

輪島市・黒島漁港が消えていた。地震前まで海底であった場所が陸になっている。湾内に入ると、コンクリートの岸壁が、巨大な壁となって、そそり立っている。

巨大なテトラポッドが、アート作品のような巨大造形物となって目の前に立ち塞がる。海岸線は、数百メートルも沖側に移動していた。4メートル以上も地面が隆起したようだ。凄まじい地球のエネルギーに圧倒された。

4メートル以上隆起した黒島漁港にて
撮影=鵜飼秀徳
4メートル以上隆起した黒島漁港にて
撮影=鵜飼秀徳
4メートル以上隆起した黒島漁港にて
撮影=鵜飼秀徳
4メートル以上隆起した黒島漁港にて - 撮影=鵜飼秀徳

漁港の向かいには、「天領黒島」と呼ばれる、歴史的景観を残す集落が広がっている。黒島は、黒瓦の屋根と、黒い板張りの民家で統一された「黒い集落」を形成し、江戸時代にタイムスリップしたような気分になる。

黒島は、室町期から明治期まで栄えた北前船交易(江戸から明治にかけて大阪と北海道を結んだ経済動脈)の要衝であった。そのため、江戸時代に幕府の直轄領「天領」として組み込まれた。北前船主を多く抱え、黒島は栄華を極めた。

黒島は2007(平成19)年の能登半島地震でも、多くの建物に被害を受けていた。復興を契機にして、2009(平成21)年には、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたが、再び、大地震で大きなダメージを負ってしまった。

家屋が倒れ、黒瓦や土壁が散乱している。集落には人気がなく、不気味に静まり返っている。それは、多くの人々が避難所生活を強いられていることを物語っていた。

美しい黒島集落もあちこちで家屋が倒壊
撮影=鵜飼秀徳
美しい黒島集落もあちこちで家屋が倒壊 - 撮影=鵜飼秀徳

震災前、黒島には167世帯282人(2023年11月)が暮らしていた。集落の中心には1社3寺がある。海運海産の守護神である若宮八幡神社、そして真宗大谷派の3つの寺院(福善寺、名願寺、永法寺)である。この小さな集落に、同門寺院が3つもあるのは、珍しい。

■あの倒壊した7階建てビルは今なおそのままだった

北陸3県(富山・石川・福井)は「真宗王国」と呼ばれ、浄土真宗系寺院が他宗寺院の数を圧倒している。それは、室町時代に入って、本願寺中興の祖である蓮如が越前(福井県)・吉崎の地に道場を開き、北陸における布教に心血を注いだことで一気に教線が拡大したからである。なかでも、能登地方は真宗大谷派寺院が多い。

言い換えれば、真宗大谷派は深刻な状況に陥っているということだ。能登の取材中、災害支援物資を運ぶために、宗門が派遣した車両が慌ただしく行き交っていた。

真宗大谷派は、能登教区にある353カ寺中、何らかの被害が報告された寺院は321カ寺(被災割合91%、真宗大谷派調べ、3月7日現在)にも及んでいる。うち、本堂・庫裡が大規模な被害を受けたのは141カ寺。被害の全容でいえば、真宗大谷派だけで856カ寺にも上る。真宗大谷派の総寺院数は8565カ寺なので、およそ1割が被災したことになる。これは、教団運営にも影響するレベルだろう。宗門にとっては17世紀に本願寺が東西分裂して以降、最大の法難といえるかもしれない。

真宗大谷派に次いで被害が大きかったのは、浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)だ。518カ寺に被害があった。日本最大の宗派で、福井県に総本山永平寺がある曹洞宗では、石川県内だけで110カ寺が被災した。

黒島の高台にある真宗大谷派の福善寺は、鐘楼堂などが倒壊していた。本堂にはビニールシートが被せられていた。能登半島地震では、梵鐘を吊り下げている鐘楼堂が倒れる被害が相次いでいる。重い梵鐘が強い揺れによって左右に振られ、一方向に力がかかって倒壊してしまったと考えられる。

福善寺も大きなダメージを負った
撮影=鵜飼秀徳
福善寺も大きなダメージを負った - 撮影=鵜飼秀徳

若宮八幡神社もコンクリート製の鳥居が倒壊していた。若宮八幡神社では毎年8月、無形民俗文化財に指定されている黒島天領祭が実施される。天領祭は江戸時代から続く伝統行事だ。総輪島塗、純金箔仕上げの曳山が集落を廻る。近年は、地域外からの学生ボランティアを集め、祭りを継承していただけに、今後のことが懸念される。

鳥居が倒壊した若宮八幡神社
撮影=鵜飼秀徳
鳥居が倒壊した若宮八幡神社 - 撮影=鵜飼秀徳

輪島の市街地はひどい有り様だった。震災直後のテレビニュースで、横倒しになった姿が映し出されていた、かの7階建てビル。震災から2カ月が経過しても、そのまま路上に残されていた。

輪島の倒壊したビルはそのままになっていた
撮影=鵜飼秀徳
輪島の倒壊したビルはそのままになっていた - 撮影=鵜飼秀徳

大規模火災によって約5万平方メートルが焼け、約300棟が被災、死者・行方不明者10人を出した輪島朝市通り一帯。焼けて真っ赤な錆で覆われ、原型を留めない自動車があちこちに転がっていた。飴のように溶けたガラスが、地面を這っている。当時の猛火の情景が、ありありと伝わってくる。まるで、空襲に遭ったようなありさまだ。

■能登が真の復興のためには地域の紐帯である寺社の再建が不可欠

ギリギリのところで猛火が及ばず、焼けずに残った真宗大谷派寺院を見つけた。だが、庫裡や鐘楼堂は完全に押しつぶされていた。本堂はかろうじて立っているが、全体が大きく傾いている。

「住職は小松市に二次避難しております。いずれ輪島へ戻ります。(携帯電話番号)」。そう書かれた張り紙を見つけて、胸が締め付けられる思いになった。

輪島朝市の火災現場
撮影=鵜飼秀徳
輪島朝市の火災現場
撮影=鵜飼秀徳
輪島朝市の火災現場
撮影=鵜飼秀徳
輪島朝市の火災現場
撮影=鵜飼秀徳
輪島朝市の火災現場 - 撮影=鵜飼秀徳

輪島における最大の寺院が、曹洞宗の大本山總持寺祖院だ。石垣の一部が崩れていたが、一見すれば法堂(大祖堂)や山門、仏殿、坐禅堂などの主要な建物には、目立った損傷がないように見受けられた。だが、境内を回ってみると前田利家公の正室・お松の方を祀った芳春院は全壊。山門に向かって右手の回廊や水屋も倒壊し、ブルーシートが被せてあった。回廊は国の登録有形文化財であるため、むやみに瓦礫を撤去することもできない状態という。

總持寺祖院の回廊も倒れた
撮影=鵜飼秀徳
總持寺祖院の回廊も倒れた - 撮影=鵜飼秀徳

門前町で、地震発生直後から炊き出しなどの支援活動に入っているシャンティ国際ボランティア会の茅野俊幸副会長(曹洞宗僧侶)によると、ここ門前町だけで町人口全体のおよそ4〜5割が被災したとみられるという。

富山湾側に位置する七尾市に向かった。七尾市には「山(やま)の寺(てら)寺院群」と呼ばれる寺町があり、すべての寺院が被災していた。

山の寺寺院群は1582(天正10)年に、能登領主・前田利家による小丸山城築城の際、各寺院に城の防衛の機能を持たせたのが始まりだ。現在、山の寺寺院群は無住寺院2カ寺を含む16カ寺ある。今に古きよき寺町の風情を伝えている。各寺院をつなぐ遊歩道が整備され、七尾にとっては貴重な観光資源になっている。

地震は午後4時6分(最大震度5強)と、同10分(最大震度7)に、立て続けにやってきた。

日蓮宗の妙圀寺住職の鈴木和憲さんは、新年参拝の対応を終えて、本堂の片付けをしている際に、大きな揺れに見舞われた。本堂に祀ってあった仏像・仏具はことごとく倒れた。山門や観音堂も倒壊。境内墓地の墓石も飛び跳ねるように吹き飛んだ。

七尾の妙圀寺も深刻な状況に
撮影=鵜飼秀徳
七尾の妙圀寺も深刻な状況に
撮影=鵜飼秀徳
七尾の妙圀寺も深刻な状況に
撮影=鵜飼秀徳
七尾の妙圀寺も深刻な状況に - 撮影=鵜飼秀徳

ほどなく、大津波警報が発令され、津波の避難所に指定されていた妙圀寺境内には一時、地域住民40人ほどが避難してきた。その後、寺は支援物資の集積場にもなった。

本堂は隣接する別棟の御堂にもたれかかって、何とか支えられている状態に。鈴木さんはまだ44歳と若く、寺を手伝う妻と9歳の娘を抱えながらの被災となった。

そのため、鈴木さんは、「自分の生活や寺の片付けは後回し」になってきたという。妙圀寺は祈祷寺院であるため、檀家は20軒ほどと少なく、経済基盤が弱い。しかし、鈴木さんは立ちあがろうとしている。

「妙圀寺は私で34代目。過去には困難な状況もあったでしょうが、先代住職たちがその都度、乗り越えてきました。私たち夫婦はまだ若い。先のことを考えれば、何とか頑張れます。寺を閉じることは考えていません」(鈴木さん)

能登が真の復興を遂げるには、地域の紐帯である寺社の再建が不可欠だ。その道のりは険しく、長いものとなるのは間違いない。地域社会や仏教界だけではなく、国や行政、企業も巻き込みながら、「知恵」を結集していく必要があるだろう。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)

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