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壷阪健登が語る、若きジャズピアニストの半生と瑞々しい表現の本質

Rolling Stone Japan / 2024年5月17日 17時45分

Photo by Sakiko Nomura

小曽根真のプロデュースで新鋭ピアニスト・壷阪健登がVerve/ユニバーサルミュージックからデビューした。J-POPにも関心がある人なら、石川紅奈との歌ものユニット「soraya」で彼を知っている人もいるかもしれないし、ジャズの動向を追っている人にとっては、2022年にドラマーの中村海斗が発表した『BLAQUE DAWN』で演奏しているピアニストといったほうが通じるかもしれない。

『BLAQUE DAWN』は大きなインパクトを放つアルバムだった。中村や当時まだ高校生だったサックス奏者の佐々木梨子と共にすさまじい演奏を聴かせていたのが壷阪だった。中村は「壷阪さんはどんな曲でも突き抜けていってくれるのが好きなんです。彼はフリーになれる部分としっかり弾く部分をコントロールできるんです」と語り、壷坂に絶大な信頼を置いていた。間違いなく壷阪は日本のジャズ・シーンにおける若手コミュニティのキーマンのひとりだ。

そんな壷阪が、ついに自身初のアルバム『When I Sing』をリリースする。いきなりソロピアノでの録音というなかなかチャレンジングな作品だ。そこには壷阪の自信と、プロデューサーを務めた小曽根の期待の大きさがうかがえる。

本当に偶然なのだが、たまたま僕(柳樂光隆)は壷阪のことをずいぶん前から知っていた。だから、彼の動向はずっとSNSや友人経由で耳にしていたのだが、バークリー音大に留学し、そこで優秀な成績を収め、ミゲル・ゼノンをはじめとしたアメリカのビッグネームとの共演を果たし、いい波に乗っているように見えた。しかし、パンデミックにより帰国を余儀なくされたのだが、その才能が放っておかれるわけはなく、中村や佐々木といった屈指の若手が共演相手に選び、小曽根にフックアップされた、というところだろうか。

ここではまだ情報の少ない壷阪について、彼がどんなことを学び、キャリアを積みながら、今のスタイルに行きついたのかを聞くことで、『When I Sing』の本質に迫っている。なぜなら、『When I Sing』には壷阪が演奏家として、作曲家として、何を身に着け、何に関心を示し、研究してきたのかが凝縮されているからだ。そして、それは今の若手が奏でるジャズを見渡すためのヒントにもなるはずだ。



―そもそも、最初はどういうきっかけでジャズと出会ったんですか?

壷阪:中学2年生のときに『題名のない音楽会』というテレビ番組で山下洋輔さんが「ラプソディー・イン・ブルー」を弾いていて。その直後に山下さんが日比谷野外音楽堂で「山下洋輔トリオ復活祭」をするというので見に行ったんです。そうしたら、林(栄一)さんや森山(威男)さんも出てきて。いわゆるフリージャズが3時間ぐらい流れるイベントだったんですけど、それでハマりました。

―いきなりフリージャズ!?(笑)

壷阪:それ以前に「ディアゴスティーニ」が出している、毎号ジャズをフィーチャーする雑誌が好きで買っていたので、ある程度はジャズのことは知ってたのですが、山下さんからハマったんです。その後、高校に入って、横濱ジャズプロムナードで板橋文夫オーケストラの演奏を聴いて「わ、すごい!」と。それで調べたら、HOT MUSIC SCHOOLという(板橋をはじめとした)新宿ピットイン周りのミュージシャンが先生として教えてるところがあったので、そこの門を叩きました。

―山下洋輔トリオを見たときは、どう思いました?

壷阪:すごく好きでした。あとから板橋さんのピアノにも思ったのですが、やっぱりただフリーなスピリットがあるだけじゃなくて、リリカルで、ポップで、ピアノの温かい音がする。そういったところに惹かれたんじゃないかなと思います。

―板橋文夫さんからピアノを学んだそうですね。どんなことを教わったのでしょう?

壷阪:意外と普通に教えてくれました(笑)。ドリアン(スケール)だとか基本的なジャズ理論ですね。でも板橋さんから習っていたころの自分は、野山を駆け回る少年のようなものだったので、ただただ演奏するのが楽しいという中で学んでいました。だから、いわゆるジャズを学ぶ、という形になったのは(大西)順子さんに教わってからですね。


Photo by Sakiko Nomura

―大西順子さんのレッスンを受けたきっかけは?

壷阪:HOT MUSIC SCHOOLに大西さんが小澤征爾さんと「ラプソディ・イン・ブルー」を演奏する「サイトウ・キネン・フェスティバル」のチラシが置いてあったんです。その1週間前に3人生徒を募集して大西さんが1週間ワークショップを開くということで、それに応募しました。そのときのサポート・ミュージシャンは、ベースが楠井五月さんで、ドラムが石若駿さん。「うわー、すごい!」と思って応募したらたまたま受かりました。でも、実際に参加してみると、自分がジャズのボキャブラリーを全く喋れていないことに気づく羽目になるんですね。「コードやハーモニーを旋律で表現する」ためのビバップの言語を持たないと、ジャズは演奏できない。リズムにおいても「こういうフレーズがあったら、ここにアクセントが来て、それによってこういうニュアンスがある」ってことを知っている必要がある。そういうことにほぼ初めて気づきました。

―それにしても、板橋さんと大西さんの2人に教えてもらった人って珍しいですよね。

壷阪:統合しないと思うんですよね、右脳と左脳みたいな形で。

―僕はお二人とも好きですが、リスナーとして好きなのと両者から学ぶのは別ですからね。

壷阪:大学生のときなので、ちょうどそのときに楠井さんとか石若さんとか、一緒に受講していた(ジャズ・ピアニストの)海堀弘太さんが高田馬場のイントロに引っ張ってくれて、そこでたくさんの仲間と会うんです。そこにHOT MUSIC SCHOOLで練習したものを持っていくと、ずっとこんがらがっていました。

バークリーで学んだ「ポエトリーの世界」

―そこから慶應義塾大学を卒業後、バークリーに留学するわけですよね。プロになろうと思ったのはどのタイミングだったんでしょうか?

壷阪:シーンに片足突っ込んだ状態で、活動をちゃんとするんだったら、今のまま進むよりは一回ちゃんと学んだ方がいいだろうと。勉強したいという気持ちが強かったですね。バークリーを選んだのは奨学金が出やすかったのと、(バークリー出身の)順子さんが薦めてくれて、推薦状も書いてくれました。あとは英語のTOEFLのスコアが厳しくなかったので。

―バークリーでの専攻は?

壷阪:パフォーマンス・メジャーです。バークリーの中のグローバル・ジャズ・インスティテュートっていう、ダニーロ・ペレスが音楽監督を務める音楽家育成機関みたいなプログラムにいました。そこに行かないとダニーロに習えないし、ジョー・ロバーノ、ジョン・パティトゥッチ、テリ・リン・キャリントンにも会えなかったので、そこのオーディションを受けました。

―ダニーロ・ペレスはどんなところが好きですか?

壷阪:幾何学的でメカニックに聴こえるのに、なんだかすごくオーガニックなところが好きですね。あと、ケニー・ワーナーとかと一緒で、「子供が弾いてるように弾くっていうのが本当の自由だ」みたいな感じですよね。そういうのをダニーロはノン・グラヴィティって表現するんですけど、それはたぶんウェイン(・ショーター)のフィロソフィーだったと思うんです。「音楽を音楽だけにしない」ってこと。そういったところからは学ぶことが多かったと思います。


グローバル・ジャズ・インスティテュートのクリニックの一環で演奏するダニーロ・ペレス、ジョン・パティトゥッチ、ブライアン・ブレイド

―それは確かに壷阪さんに通じるところですよね。フリージャズから始まってますしね。

壷阪:でも、個人的にはヴァディム・ネセロフスキーというピアニストが、心では本当に通じていたと思います。彼もまた(小曽根と同じく)ゲイリー・バートンのピアニストだったので、すごく不思議なんですけど。彼の言葉で印象的だったのが、「僕らはポエトリーの世界にいるんだ」ってこと。僕がバンドで「With Time」を録音して、意気揚々とヴァディムに聞かせたら激怒して「なんでドラムをこんなに大きくするんだ! 作ったハーモニーが台無しじゃないか!」って言われたんです。「いいか、僕らはポエトリーの世界にいるんだから、この部分が花開いていくのが大事なんだ」って言われて、納得しました。

あと僕はフランシスコ・メラの授業をずっと取っていたんです。彼は本当にフリーな人なんですよ。マッコイ(・タイナー)のバンドにいたことで有名ですけど、彼自身は(ポール・)モチアンの系譜で。とにかく僕と演奏して「お前はプー(菊地雅章)みたいに弾くんだ! ポール・ブレイみたいに弾くんだ。彼らを聴け!」って言われたので、ずっと聴いていました。だから、完全に統制されたパット・メセニーやヴァディムのようにクラシカルでソリッドな世界と、全部インプロビゼーションみたいな世界が両方あって。あとは、ちょうどクリス・デイヴィスもバークリーで教え始めていたので、そこからクリスにもハマったりもしました。


ヴァディム・ネセロフスキー


フランシスコ・メラと演奏する壷阪(2019年)

―ヴァディムは壷阪さんから見て、どんなミュージシャンですか?

壷阪:とにかくコンポーズ能力ですよね。僕がヴァディムから習ったのは、「テーマ→ソロ→テーマ」(の構造)じゃなくて、スルー・コンポーズドとしてやること。彼は「オリジナリティはコンポーズ(作曲)から生まれるんだ」という思想の持ち主でした。彼は即興するように作曲をして、作曲するように即興をしてる。彼はウクライナ出身ですけど、ロシアにも通じる情熱的なパッションを持っている人ですね。そして、ピアノが死ぬほどうまくて、とんでもない音がします。マジのピアノの音がするっていいますか。

―ヴァディムは元々クラシックの人ですよね。ヴァディムのもとで勉強していたときは、どんな作曲家を研究してました?

壷阪:リファレンスとして教えてくれたのは、Oregonのラルフ・タウナー、ライル・メイズ、パット・メセニー。あとはYellowjacketsのラッセル・フェランテですね。クラシックのピースだと、ラフマニノフのヴォカリーズ、(ガブリエル・)フォーレもありました。

―ラルフ・タウナーは例えばどの曲ですか?

壷阪:Oregonの『Take Heart』ですね。あと、ポール・マッカートニーの曲で「This Never Happened Before」。他にはキース・ジャレットのヨーロピアン・カルテットあたりのライティングの感じもトランジション(移行・推移)が細かく練られているので、最初から聴いても途切れるところがないんですよね。



―取り立てて大きなダイナミズムがあるわけでもないけど、ずっと変化していると。

壷阪:そうですね。当時、ジェイコブ・コリアーみたいにコードチェンジがたくさんあったりするものが流行っていて。刺激物として悪い意味でも。ジェイコブ・コリアーはすごいんですよ。でも、その感じを安易に取り扱うと、展開を急いじゃう傾向があるというか。「まだここで味わえるから、ここは我慢しどきなんだよ」と思ってしまう。映画のように何もないところがあってほしい。僕は抑揚みたいなものを学んでいった気がします。

―たしかに、Oregonやラルフ・タウナーってルネサンスというか古楽っぽかったりして、シンプルでモーダルにも聴こえますよね。

壷阪:でも、よく聴くとすごいことがいっぱい起きている。彼らの音楽を聴くと、与えてもらうのではなくて、自分から美しさを探しに行くような気持ちになりますね。

―そのスルー・コンポジションという話だと、バークリーで師事していたテレンス・ブランチャートもそうですよね。

壷阪:僕らがテレンスのアンサンブル(の授業)で最初に学ぶのは、ひとつのモチーフをとにかく展開することなんです。一つのモチーフを反転させたり、逆からスタートしたり、インターバルを逆にしたり。それをもとに曲を書いていくという方法です。ウェイン・ショーターの作曲方法にも通じると思うんですけど、それ(=展開したモチーフ)がベースラインにきていたり、テレンスはそうやって曲を作っていくんですよね。

―クラシック音楽の作曲家がやるような正攻法といいますか。

壷阪:それは本当に勉強になったんですけど、僕としてはやはりメロディがほしいし、そこにできるだけシンプルなハーモニーがほしいんですよね。それの拡大に、 (セルゲイ・)プロコフィエフとかはいるんだ、みたいな。それがヴァディムの思想ですよね。そこまでいくんだ、と。でもそこはコラージュ的なものではなく、ドミソ、シファソ、ドミソというメロディの拡大であって。「ポエトリーの世界にいる」と彼が言ったのはそういうことなのではないかなと。

即興のなかにも寛いだメロディを

―バークリーの頃の話を聞いていると、壷阪さんは作曲への関心が強かったんですね。一方で、「即興」の面ではどんな人を研究してきましたか?

壷阪:オーネット・コールマンはずっと好きです。いわゆるフリージャズを演奏するのにおいても僕の考えはドミソとか、コーダルなインのものの拡大にフリー(=アウト)がある。そこ(イン)があるから、その先(アウト)がある。

例えば、僕がリー・コニッツが好きなのは、若い頃にハーモニーの際(きわ)を細かいビバップの言語として演奏していたけど、晩年はそれはどんどん歌になっていく。僕はそういった本当のインプロバイザーとしてのコニッツを尊敬しています。コニッツと同じようなところがオーネットのソロにもあると思う。その歌に音楽としての喜びがあると思うんです。僕からするとポール・ブレイにもそういった要素を感じるし、プーさんにもそういう要素を感じるんですよね。

―オーネットにはキャッチーな曲があるし、だからこそけっこうカバーをされるタイプの作曲家でもありますよね。壺阪さんが特に好きなオーネットの曲は?

壷阪:「Ramblin」は好きですよね。あと、トリオでやってる『At the Golden Circle』は全部好きです。僕の曲の「こどもの樹」や「暮らす喜び」はフリーでインプロビゼーションなんだけど、どこかくつろいだところがあると思います。僕はそういうのが好きですね。



―リー・コニッツだったら、どれが好きですか?

壷阪:『Motion』が一番好きです。でも、意外とあの前後って録音がないんですよね。インタビューを読むとコニッツは「その頃は仕事がなかったんだ」と言っていて、もうちょっとその辺りを聴きたかったなと思います。そこから急に変わるんですよね。その後、リーはいろんな人と共演しだしたんですけど。



―晩年はどうですか?

壷阪:晩年はもう素晴らしいですよ。ボストンに来たのでライブも聴けました。僕がニューヨークのDizzy'sでパティトゥッチのグループに参加したときに、楽屋におじいちゃんが入ってきて、「今日は君たちが演奏するのかい?」と。「おじいちゃん、ここじゃないですよ」って言おうと思ったらそれがリー・コニッツだったことがありました(笑)。2セット聴いて帰ってくれましたけど、すごくいい人でしたね。そのときなぜか「早く結婚しろ」って言われました(笑)。

話が逸れましたけど、僕にとってのリー・コニッツの魅力はメロディのバリエーションなんですよ。彼にはメロディがある。オーネットもインプロバイズしながらコード的にはどこかへ行ってるのかもしれないんですけど、その瞬間も何らかの「曲」を演奏しているように僕は感じるんです。そこが2人の好きなところですね。

―では、ポール・ブレイはどうですか?

壷阪:ありきたりな答えですけど、ソニー・ロリンズとコールマン・ホーキンスの「All The Things You Are」(『Sonny Meets Hawk』収録)。あれはマスターピースですよね。やっぱり僕の関心はインとアウトなんです。ポール・ブレイのソロもインがあって、その拡大にあのラインがあるわけで、でたらめでは全くない。『Footloose!』など、初期はそれが顕著に出ていると思っています。



―『Footloose!』はビバップのフォーマットなんだけど、その中で違うことをやっていてすごいですよね。

壷阪:ポール・ブレイもチャーリー・パーカーと演奏していた人ですけど、彼は何か違う見方をしたんだろうなと思います。

―ちなみに話は変わりますが、バークリー卒業後もしばらくアメリカにいたんでしたっけ?

壷阪:2019年の12月にバークリーを卒業して、そこからOPT(Optional Practical Training: 米国で研究分野の雇用を探す予定の留学生が利用できる12カ月の就労許可)で働き始めたんです。卒業後もたまたま縁があって、ミゲル・ゼノンのバートランドで演奏したりしていました。そのときドラムはロニ・カスピだったりして、「なんか幸先いいかな」と思っていたら、ボストンに戻る帰りの電車でニューヨークのロックダウンが告げられたんです。

―日本に帰ってきてからはどんなところで演奏していたんですか?

壷阪:いわゆる、シーンのジャズ箱で演奏してました。レコーディングとして形になったのは中村海斗や浅利史花さん。同世代とばっかりですね。





デビュー作で向き合った自分のピアノ

―デビュー・アルバム『When I Sing』はいきなりソロピアノ作品です。前からそういう構想があったんですか?

壷阪:実は全くやるつもりはなかったんです。2021年に、今は小曽根さんのトリオ(Trinfinity)をやってる小川晋平さん、きたいくにと君と3人で六本木のアルフィーで演奏したことがあって。元々はサックスの中山拓海さんのバンドで出る予定だったんですけど、拓海さんが急遽来られなくなったので、スタンダードを持ち寄ってやったりしたんです。そのときに小曽根さんと神野三鈴さんがいらっしゃって。そのあとに「ご飯でも」と言われて行ったら、From OZONE till Dawnというプロジェクトのお誘いでした。

小曽根さんは最初に聴いたときから、僕はソロをやった方がいいと思ったらしいのですが、僕は一度断ったんです。「ソロをやったことないからやりません」って。それでもやった方がいいって背中を押してもらったので、しぶしぶ始めました。小曽根真にここまで言われてやらないのは野暮かなと思って。



―壷阪さんの先生であるヴァディムはソロピアノの名手ですし、ソロが好きなのかなと思ってましたよ。

壷阪:全くやりたくなかったですね。自分のトリオも持っていたし、1枚目をソロで出すピアニストってイメージが浮かばなかったし、トリオやコンボで始めて円熟してからソロに行くものだとばかり思っていたので。でも、今思うとやってよかったなと。日本でいろんな人のサイドマンとして毎日頑張って演奏して、キーボードもするし何だってしていた中で、自分自身が散漫になっていたかもしれないと思ったんです。だから、今までの自分の音楽的なリファレンスは全部置いといて、時間がかかることだけど「自分の頭で何が聴こえているのか」に向き合う時間を取らないといけないとも思いました。しかも「この音が聞こえるからシンセを使う」「こういう音楽ならこの編成でやる」のではなく、それらを凝縮して、ピアノという楽器にもう一回向き合おうと。そのプロセスがこのタイミングで必要だったんだなと今は思います。

―もう一度、自分と向き合うきっかけになったと。

壷阪:あと、ホールの響きと素晴らしいピアノに触れたとき、知らない音がするんですよ。以前、ヤマハホールで演奏したときに(昨年11月の初リサイタル「Departure」)、ヤマハさんのご厚意でフルコンのピアノを弾かせていただいたんです。それに慣れて弾く機会が増えたとき、「え、ピアノってこんな音するの?」「こんなに大きな音が出るのか」ということに気づいて。ソロピアノは自分自身で完結するものだとばかり思ってたんですけど、素晴らしいピアノで響きを出したときに、この響き自体に自分が触発されて。もしくはインプロビゼーション的な視点でいくと、音楽的に没頭することで、自分自身の知らない一面を知ることができるような不思議な体験があったんです。これは舞台に上がって、ホールでインプロをしてみないと、自分では気づかなかったことだと思います。それによって「この曲をどういうふうに弾けるか」が新鮮になったんですよ。「インプロだから新鮮に弾けて、作曲されたものは楽譜の通り弾く」のではなくて、(譜面に)書いてあるところも即興っぽく新鮮に弾けるようになったし、即興に関しても「このコンポーズの中でどういうものが聴こえて、(自分の即興が)どこに着地するのか」を考えるようになりました。

―ECMからリリースしている最近のアーティストにインタビューすると、スイスのルガーノのスタジオで録音することが多いらしくて。ルガーノのスタジオって、実際は小さなホールなんです。だから、ホールの環境がやるべき演奏を決めるんだってみんな言うんです。壷阪さんに関しても、ホールとピアノの環境が音楽を導いてくれたのかもしれませんね。

壷阪:それはありますね。小曽根さんだから見えていたことなのかもしれないです。小曽根さんはその環境でやる人で、その視点を持っているピアニストなので。

―小曽根さんがホールでのコンサートで弾くピアノはすごいですよね。ピアニッシモがすごい遠くの席まで綺麗に届くというか。

壷阪:すごいですよね。「ピアノってそんな音するんだ」みたいな。

―その小曽根さんが、壷阪さんには「何かがある」と思ったんでしょうね。

壷阪:小曽根さんに「何でソロって言い出したんですか?」と一応聞いてみたのですが、「何か聞こえたから」と仰ったんですよ。でも、小曽根さんは「それはおそらく自分がゲイリー・バートンにされたことと一緒だろう」とも仰ったんです。バークリー在学中、オスカー・ピーターソンのスタイルだけで演奏していた小曽根さんを見て、ゲイリー・バートンはスティーヴ・スワロウやカーラ・ブレイの曲を演奏する世界観に合う何かを見たと。小曽根さんは実際にそういう音楽を演奏していたわけではないんです。でも、ゲイリーは長い間、音楽に向き合ってきたミュージシャンだから見える景色があったんだと。つまり、僕自身には見えてなかったんですよね。

―以前、イタリアのファツィオリという特殊なピアノで録音したピアニストに「ファツィオリは低音がすごく鳴るから、それだけで演奏が変わった」という話を聞いたことがありますが、そんなふうにピアノ自体が演奏を変えたところもありましたか?

壷阪:全体的にそうですね。録音で使ったのは素晴らしいホール(所沢市民文化センター ミューズ マーキーホール)で、ピアノはスタインウェイだったのですが、調律の外山洋司さん、エンジニアの三浦瑞生さんと石光孝さんという、皆さんの音で自分の音楽が出てきたときは嬉しかったです。曲自体は鬱々としながら作ってたんですけど、(演奏したら)初めてポジティブな気持ちになれたんですよね。ピアノを弾けば弾くほど、どんどん音色が開いていく感じで。素晴らしい音で鳴って、それが(作品として)残るという喜びに、身体的にも精神的にもすごくポジティブな気持ちに溢れたような気がしました。

小曽根さんのプロデュースとありますけど、小曽根さんは僕の作曲に関しては何もおっしゃらなかったんです。ただ、僕が自分で弾きながらストーリーを作っていったはずなのに、「あれ、なんかここ途切れるな」「ここがうまくいかないな」と空回りすることが何度か起きて。ホールでの録音も初めてだし、どれも自分が作った新曲なので、全てに慣れてない状況でした。そんなとき、小曽根さんが「ここをこうしたらいいんじゃない?」「ここはあんまり大きくなくていいよ」と仰ってくれて、そうすると「いける!」ってことがありました。自分の曲は自分のものだから誰よりもわかってると勘違いしていたのですが、何回か演奏を重ねるごとに、ホールの響き、ピアノ、音楽を熟知した小曽根さんの視点が加わることで、立体的に音楽が変化していきました。


Photo by Sakiko Nomura

―壷阪さん自身は「こんな音色で弾きたい」「こんな感じでピアノを鳴らしたい」みたいなイメージはありましたか?

壷阪:しっとりとしたダークな音が好きなのですが、コロナが収束して以降、あんまりウジウジしてられないなっていう気持ちが強くなってきたんです。「ホームスタジオみたいな音色でやってもいられないな」と思うようになり、外側にベクトルを向けました。でも、ちゃんとリリカルなものを提供したいのもあります。

―僕はこのアルバムを聴いて、華やかでオープンな印象を持ちました。エグベルト・ジスモンチの音楽みたいな爽やかさ。

壷阪:もし誰かを挙げるとしたら、ニーナ・シモンのピアノですね。スピリットがあって、クラシカルで、オープンでもある。あと、ずっと言ってるのはミシェル・ペトルチアーニのあの潔さですね。僕の1枚目ですしソロピアノなので、何か取り繕ってもしょうがないっていうのが早々にしてわかったので、潔くあろうと思いました。

―たしかに、ペトルチアーニみたいなフレッシュで元気な感じはありますね。

壷阪:それは小曽根さんの音楽にもあります。小曽根さんからポジティブさをもらったところもありますね。




―最後に、好きなピアノ・ソロ作を3枚挙げるとしたら?

壷阪:歌が入っててもいいなら、ニーナ・シモンの『Nina Simone & Piano』ですね。「Who am I?」という曲は大きいです。あと、キース・ジャレットの『Facing you』。いつ聴いても大好きですね。もうひとつは、イグナシオ・セルバンテスというキューバの19世紀のピアニストがいて、彼が書いたピアノ小曲です。最後の「さいなら Adiós」を書いている頃に聴いていました。他にも(エルネスト・)レクオーナや (エイトル・)ヴィラ=ロボスのような20世紀のクラシカルなピアノのピースを書く人たちを聴いて、制作中に勇気をもらっていました。





―なぜその時期のキューバやブラジルのクラシック音楽にハマったんですか?

壷阪:たぶん彼らが「何かクラシカルな作品を作るぞ」と思ったとき、彼らの国には彼らの民族的なリズムがあったから、それらを混ぜたものができた。もしかしたら、それは西洋的な視点ではエセ・クラシックなのかもしれないですけど、そうして生まれた音楽はすごく意味があるものだったと思います。だから、いい言い方をすると、僕が自分の作品に関して、それがジャズなのか、エセ・クラシックなのかわからないけど、とにかく潔く作って出そうとするプロセスの中で、前述の作品たちが僕に勇気を与えてくれたんです。それもあって、彼らのソロピアノ曲をたくさん聴いてました。イエローである僕がみんなにリスペクトをちゃんと感じさせながら表現するために「エセって何だろう」ってことに潔く向き合えればと思っていたんですよね。



壷阪健登
『When I Sing』
発売中
再生・購入:https://kento-tsubosaka.lnk.to/WhenISing

東京フィルの午後のコンサート。
2024年5月19日(日)14:00 開演
Bunkamura オーチャードホール
指揮とお話:栗田博文
ピアノ:壷阪健登
※壷阪は「ガーシュウィン/ラプソディー・イン・ブルー」を演奏
詳細:https://www.tpo.or.jp/concert/2024season_gogo.php

METROPOLITAN JAZZ Vol.04 TOKYO PIANO NIGHT
2024年6月27日(木)18:00 開演
東京芸術劇場コンサートホール
出演:小曽根真、大林武司、壷阪健登、シャイ・マエストロ、アマーロ・フレイタス
詳細:https://www.eight-islands.com/metropolitanjazz/#vol04

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