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事故に賭博、世界一…バドミントン界の「クラーク・ケント」 桃田賢斗、波乱万丈の10年

産経ニュース / 2024年4月27日 7時0分

遠征先のマレーシアで交通事故に遭い、帰国した桃田賢斗。眉間の縫合痕が痛々しい=2020年1月、成田空港(戸加里真司撮影)

ジュニア期からの活躍、違法賭博問題、世界ランキング1位、遠征先での交通事故、東京五輪-。代表からの引退を表明したバドミントン男子シングルスの元世界王者、桃田賢斗(NTT東日本)の約10年の日本代表活動は、波乱万丈(はらんばんじょう)だった。「しんどいことだらけだったが、貴重な経験だった」。万感の思いを胸に、きょう27日に開幕する、団体世界一を決める国・地域別対抗戦、トマス杯(成都=中国)のコートに立つ。

「気持ちと体のギャップが続いていく中で、このまま世界一を、また目指そうというところまでいけないと判断した」

4月18日に東京都内で記者会見し、代表からの引退を表明した桃田は、丁寧に言葉を選びながら、そう語った。

香川県に生まれ、小学1年でバドミントンを始めた。中、高校時代は親元を離れて福島県富岡町に「バドミントン留学」し、頭角を現し始める。社会人2年目の2014年に初めて日本代表入りし、男子バドミントンの国別対抗戦「トマス杯」で日本の初優勝に貢献。15年世界選手権では男子シングルス日本初の銅メダルを獲得した。

華やかな容姿や、プレースタイルが人気を集め、当時は「ビッグマウス」としても知られた。「派手な生活がしたい」。バドミントンをメジャースポーツにしたいという思いから、当時、そう豪語したこともある。

16年リオデジャネイロ五輪での活躍が期待された矢先の同4月、違法賭博問題が発覚する。出場停止処分を受け、最初の五輪出場機会を逸した。

17年5月に復帰して以降は、かつての奔放な言動は聞かれなくなる。「応援されるような、愛される選手になりたい」。試合時のシャトル交換の際の所作にまで気を使ようになった。

18年の世界選手権とジャパン・オープンで日本男子初の頂点に輝いた。同9月には日本男子初の世界ランキング1位にたどり着き、19年には国際大会で年間最多となる11勝を挙げるなど、圧倒的な強さを誇った。

東京五輪での金メダルが期待される中、不運が襲う。2020年1月、遠征先のマレーシアで交通事故に遭い、右目の眼窩底(がんかてい)骨折。思うようなプレーができず、21年東京五輪は1次リーグで敗退した。リベンジの舞台となるはずの22年8月の世界選手権(東京)は2回戦で、翌週のジャパン・オープン(大阪)も初戦で、それぞれ敗れた。

「(世界一を目指すのは)厳しいかな」「また頑張ろう」-。2つの思いが交差したという。

その後、桃田は香川県の実家に戻り、中学時代の自身のプレーのビデオを見返した。「このままで終わりたくない」「つらいことを事故のせいにしたくない。はじきかえしたい」。再び、コートに戻る決意をする。

昨年5月からの最大2枠を争う約1年間のパリ五輪選考レースは、日本勢4番手からのスタート。逆転を狙ったが、ポイントを積み上げられず、パリ五輪出場は絶望的となった。それでも「結果につながらなかったのは悔しいが、後悔はない」と言い切った。

国内のみならず、海外にもファンが多い桃田は、27日開幕のトマス杯が代表としての引退試合となる。

桃田の名前の「賢斗」は、米国の人気映画「スーパーマン」の主人公「クラーク・ケント」に由来する。文字通り、バドミントン界を牽引(けんいん)してきた29歳は引退会見で「いろんな人のおかげで、何回もくじけそうなところ続けてこれた」と謝意を示し、トマス杯に向け「集大成なので、貪欲に、コートの中を動き回りたいし、泥臭いプレーを見ていただけたら」と意気込んだ。(運動部 久保まりな)

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