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〈日本クマ事件簿〉ヒグマの自分の獲物に対する執着心は恐ろしいほど強いという…巨大老ヒグマが祭り帰りの団らんを襲撃、4人死亡の恐怖の一夜

集英社オンライン / 2023年5月31日 18時1分

『日本クマ事件簿』(三才ブックス)は明治から令和にかけて、人がクマに襲われて亡くなった事件のうち、記録が残るものはほぼ全て収録。当時の報道や、関係者の証言から浮かび上がる衝撃の事実から「森の王者」クマの実態に迫っている。今回は、クマに襲撃された三大悲劇の一つ、石狩沼田幌新事件を一部抜粋、再構成してお届けする。

三大悲劇の一つとされる石狩沼田幌新事件

1923(大正12)年8月21〜24日、夏の北海道沼田村幌新地区(現・沼田町)にて発生した本事件は、札幌丘珠事件、三毛別ヒグマ事件とともに戦前に起きた人身事故の中でも北海道三大悲劇とされる凄惨なものであった。

三大悲劇といわれる所以の一つは、死亡者数の多さにもあるだろう。それぞれの死亡者数を記載すると、札幌丘珠事件は3人、三毛別ヒグマ事件は7人、そして本事件は4人。いずれも北海道で起きたヒグマによる人身事故である。



そのほか、日本における獣害死亡者数が3人以上の事件を挙げると、秋田十和利山事件4人、福岡大ワンゲル同好会事件3人、山形戸沢村事件3人となる。

惨劇の内情は、もちろん死亡者数だけではとらえきれない。尊い命が失われたことに変わりはない。「石狩沼田幌新事件」も、その例にもれない。

手つかずの自然、美しい山川が広がる地域で発生

死者4人、重傷者3人という甚大な被害者を出した本事件は、道央、空知管内の最北部に位置する、手つかずの自然、美しい山川が広がる地域で発生する。

当時の沼田町幌新地区は、その8割が原生林に覆われた土地だった。市街地や農地を除けば、多様な生物が棲息する動植物の楽園でもあった。現在もその環境は受け継がれており、田舎暮らしをする町として高い人気を誇っている。

そんな自然の色濃い平穏な地を襲った惨劇の記録は、当時の新聞をはじめ、事件関係者からの聴取によりまとめられた『熊に斃れた人々痛ましき開拓の犠牲』(犬飼哲夫/1947)、『ヒグマ北海道の自然』犬飼哲夫・門崎充昭/1987)や『ヒグマ大全』(門崎允昭/2020年)などに残されている。これらの記録をベースにした概要は、以下のようなものである。

祭り帰りの団らんが一変…想像を絶する巨体が襲う

事件の発端は、夏も終わりに近い8月21日、深夜午後11時半過ぎの出来事だった。

この日、沼田市街地の恵比島(現・沼田町恵比島)で、年中行事の一つである太子祭が行われていた。祭見物を終えた一行が、村はずれの自宅へと向かって真っ暗な夜道を歩いていた。A(54歳)、その妻B(52歳)、長男C(17歳)、次男D(15歳)、近所の知人であるEの5人であった。

恵比島から4㎞ほどの地点にさしかかった時だった。

闇の中から真っ黒い大きな影が突然現れ、最後尾を歩いていたEを襲った。とたんにEの背中に鈍痛が走った。背中に受けた衝撃は、ヒグマの鋭いツメが着物の帯を強烈に引っかいたものだった。Eは驚きとともに大声を発する。前を歩いていた4人はその声を聞き、慌ててその場から走り出した。

その間、Eはヒグマの攻撃をかわすべく必死にもがいた。攻撃を受けながらも、なんとか帯と着物を自ら引き裂き、ヒグマから離れることに成功した。

参考:『ヒグマ:北海道の自然』(犬飼哲夫、門崎允昭/1987[昭和62]年)。『日本クマ事件簿』より

腹部に一撃をくらい、さらにツメを突き刺され、
体ごと引きずり回された

ところが、今度は次男のDが襲われてしまう。腹部に一撃をくらい、さらにツメを突き刺され、体ごと引きずり回された。即死だった。これを見た母Bが驚愕し、足を止めてしまった。体が震え、動くことができなかった。するとヒグマがすかさずBに向かって突進してきた。この惨劇を間近で見ていたAと長男Cが、襲われている2人を救うべく無我夢中でヒグマに飛びかかった。

だが、ヒグマの力は彼らの想像を遥かに超えたものだった。

闇の中、狂ったようにヒグマが反撃に出た。Aが頭や背中を咬まれ、重症を負った。Cも地面にたたき伏せられた。重傷を負いながらも、AとBはEに助けられた。3人は無我夢中でヒグマから逃げた。ヒグマに追われながらも、現場近くに居を構える農家のF宅へなんとか飛び込むことができた。

逃げきれず屋内に侵入され狂乱の場と化した

ヒグマは執念深く、逃げる人々を猛然と追いかけてきた。自分の獲物と認識したヒグマの獲物に対する執着心は恐ろしいほど強いという。F宅の前まで来ると、ヒグマは窓に両手をかけて中を覗き込み、今にも屋内へ入ろうと息を荒げていた。

家中に戦慄が走る。恐ろしさに皆慌てふためいた。それでも全員必死だった。それぞれができることをとにかく試みた。

誰かがとっさに灯していたランプを消した。いくつかの記録では、火事防止のためとされている。当然、家の中は真っ暗になった。

これではヒグマに対抗できない。そのため炉の中にシラカバの木皮を大量に投げ込み、これを灯りとした。ヒグマが火を恐れることを願ったのかもしれない。

同時に、ザルや座布団など周囲にあるものを手あたり次第にヒグマのいる窓に向かって投げながら、怒鳴り散らした。皆の必死の攻撃に、ヒグマはいったん怯んだ様子で窓から顔を引っ込めた。

これで去ってくれ......、そう思ったのも束の間、今度は表口に異変を感じた。そちらに目をやると、ヒグマが戸のガラスに爪をかけ、今にも破ろうとしていた。侵入を防ぐべく、Aが懸命に戸を押さえつけた。

だが、ヒグマの力を人がどうこうできるものではなかった。一瞬にして戸ごと押し倒され、Aは戸の下敷きになった。興奮さめやらぬヒグマが家の中へ飛び込んで来た。屋内は一気に狂乱の場と化した。

「畜生、この野郎!畜生!」体を戸外へ引きずり出される

周囲にいた者は皆、押し入れや便所、布団の間など、それぞれが一目散に逃げ込んだ。乱入したヒグマは、興奮絶頂、辺りかまわず暴れ回った。炉の中の火など、まったく意に介さない。むしろ火を蹴散らした。

この間、Bは気が動転し、戸外へふらふらと出て行ってしまった。

その時だった。家の中を荒らし回っていたヒグマが、あっという間に戸外にいたBに襲いかかった。それを見たAがヒグマを追って戸外へと飛び出した。

「畜生、この野郎!畜生!」
Aは雄叫びを上げながら、スコップでヒグマをやみくもに打ちまくった。

だがそれも始まりに過ぎなかった。むなしくもヒグマはBを引きずり笹藪の中へと消えて行った。スコップを手に、Aは茫然と立ち尽くすほかなかった。

やがて、笹藪から不気味な音が聞こえてきた。姿は見えなかったが、Bの体を引き裂き、食い散らすヒグマの恐ろしい様子を想像するに難くなかった。

Aをはじめ、そこにいた人々には、これ以上何もできなかった。断腸の思い、身を切る思い、そんなものを通り越した悲痛が皆を襲った。

Bを助けようにも、銃の備えがない農家だったため、一同はなす術なく屋内から出ずに夜明けを待つほかなかった。

凄惨な事件現場が物語る悲劇のあとの尽きぬ悲しみ

翌朝、笹藪の中の様子を窺うと、すでにヒグマの姿はなかった。辺りはシーンと静まり返っていた。

さらに周辺を注意深く見て回った。変わり果てたBの遺体が地面に横たわっているのを発見した。腰から下がすべて食い尽くされていた。あまりにも惨い光景だった。

さらに付近を見回すと、長男のCが倒れていた。瀕死の状態であったが、かすかに息をしていた。即座に家の中へCを運んだ。

一刻も早く医者に診てもらいたかったが、病院に連絡する手段がなかった。いてもたってもいられぬ中、偶然にも家のそばを人が通りかかったため、皆が大声で叫んだ。事情を知らせ、応援を頼んだ。

しばらくすると、状況を知った村人たちが駆けつけ、Cを沼田病院へ運んだ。だが、Cは病院で息を引き取った。一夜にして、3人の命が失われた。妻と2人の息子を亡くしたAも重傷であった。

1923(大正12)年8月25日の『小樽新聞』。『日本クマ事件簿』より

官民一体による討伐作戦…しかし被害は出続けた

事件翌日となる8月22日、地元消防団や青年団などが警戒体制をしき、夜を徹して周囲の見回りを敢行した。だが、この日ヒグマは見つからなかった。23日になると、管轄の警官や帝室林野管理局員らが現場に駆けつけ、現場情報の共有と対策談義が行われた。この惨劇は周辺の集落にも知れ渡り、幌新・恵比島の男衆がほぼ全員集まり、総勢300人(220人という記録もある)近い人員体制でのヒグマ討伐隊が組織された。

一方、討伐隊が組織されるよりも先に、雨竜伏古集落(現・雨竜町)から応援者が駆けつけていた。ヒグマ狩りの名人として名高いG(年齢不明)とH(57歳)、さらにアイヌの1人であった。3人は銃を手に、事件の詳細を聞いた。中でもHは状況を知るにつけ大きく憤慨し、「ヒグマは自分が見つけて、必ず射止める」、そう言って単身森へと入っていった。単独行動は危険だと周囲は止めたが、Hは聞く耳を持たなかった。

そんな状況下、24日の午前9時頃から本格的なヒグマ討伐作戦が開始された。銃を持った隊員を軸に編成された7班の部隊が、エリアを分けてそれぞれ山林へと向かった。
午前11時半頃、第1班がヒグマに遭遇する。その際、隊員のIが襲われてしまう。突入地点から1・5キロほど進んだ場所である。Iは絶叫し、その場に倒れ込んだ。

頭部を攻撃されたJは、血を吹いて倒れた

さらにヒグマは、続けざまにJ(57歳)を襲った。頭部を攻撃されたJは、血を吹いて倒れた。ヒグマの攻撃は、それでもとどまることを知らない。次いで、倒れ込んだJのそばにいた隊員にヒグマが猛然と襲いかかってきた。

「ドーン!」という、現役除隊直後の軍人による銃撃が響いた。さらに隊員2人の銃が一斉に火を噴いた。急所に命中し、ヒグマはピクリとも動かなくなった。絶命した。体長193センチ、オスの老獣であった。隊員2人が重傷を負ったものの、幸い命に別状はなかった。これで沼田町を襲った悲劇にようやく終止符が打たれた。

ところが、悲劇はもう一つ発生していた。先に単身森に入ったHの犠牲だった。Hが森に入った日、夜になってもHは戻らず、翌日も行方不明という状態が続いた。

後日、ヒグマが射殺された現場からほど近い沢の奥で、Hの遺体が発見される。頭だけを残した無惨な姿だった。周囲には三つにへし折られた鉄砲が残置されていた。鉄砲の弾が古く不発となったが、Hはヒグマと格闘し、ついに力尽き殺害された。現場の状況から、そう推察された。

なお、本事件を起こしたヒグマは、事件発生の数日前、土中に埋まった斃死馬(野垂れ死になど、突然死にいたったウマ)を喰らっていたという記録が残っている。

また、捕獲されたヒグマの毛皮は、当時幌新小学校に保存された。その後、別の場所への移動を経て、現在は沼田町役場の管理のもと、ほたる学習館に保管されている。


#1「〈日本クマ事件簿〉頭部と四肢下部を食い残すのはヒグマの習性。三毛別で起こった胎児1人を含む7人を殺害した惨劇」はこちらから

#3「〈日本クマ事件簿〉逃げても逃げてもヒグマは追いかけてくる「福岡大ワンダーフォーゲル」3日で6回襲撃の惨劇」はこちらから(6月1日18時公開予定)

『日本クマ事件簿』

三才ブックス

2022/5/20

1,760円

208ページ

ISBN:

978-4866733159

昨今、ニュースでも話題に上ることの多い、クマによる獣害事件。絶対的対処法のない巨大生物に、人はどう付き合うべきなのか。
本書は、明治から令和にかけて、人がクマに襲われて亡くなった事件のうち、記録が残るものはほぼ全て収録。当時の報道や、関係者の証言から浮かび上がる衝撃の現実。熊撃ち猟師の経験談、専門家の研究成果も参考に、「森の王者」クマの実態に迫ります。

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