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世界基準からズレた日本! 秀岳館高校サッカー部の暴行事件

集英社オンライン / 2022年5月19日 17時1分

熊本県八代市の秀岳館高校サッカー部で起きた暴行事件。なぜ、こうした事件が起きたのか? 日本の高校サッカー部の問題を欧州サッカーの育成環境と比較して考察する。

目を覆いたくなる暴行動画

時代錯誤、いや、どんな時代でも許されないレベルの事件が起こった。

秀岳館高校サッカー部で、30代のコーチが男子部員に暴力を振るう映像がSNSで流出した。目を覆うほどのインパクトがあり、その撮影ができてしまうほど、頻繁に暴行が行われていたことを示唆していた。

ただ、部員200人以上の強豪サッカー部で起きていた事件は、さらに闇が深かった。

動画拡散後、新たな動画がSNSで流出する。複数の男子部員たちがカメラの前に立って、経緯を説明して謝罪。未成年にもかかわらず、顔出しだった。それだけで異様な光景だったわけだが…。



それだけでは事件は終わらない。

同高校の段原一詞監督がテレビ出演し、一連の事件について頭を下げた。この時、「謝罪動画は部員たちが自発的に撮った」と弁解していたが、真っ赤な嘘だった。段原監督がこの撮影に立ちあい、撮り直しまでさせていたことが明るみに出た。

「完全な被害者はたぶん俺だけ」

部内ミーティングでは、そうした趣旨の発言もしていた。監督が暴力を振るった事実は出てきていない。ただ、いくつも嘘を重ねるだけでなく、教職者であるにもかかわらず、顔を出させての謝罪(しかも、暴行を受けた被害者である)など言語道断だった。簡単な内部調査でも20件以上の暴力行為があったことが発覚した。また、監督は暴力を振るったという事実は否定していたが、告発も出始めている。


リーダーがこれでは、組織が歪むのも当然だ。

日本の部活動では、未だに封建的な関係性に基づいた体罰やいじめのような問題が露見することがある。他にも似たようなケースが潜んでいると言えなくはない。日本では、まだまだ年齢による上下関係の意識が強く、それゆえの歪みが生じるのだ。

では、世界のサッカー育成環境はどうなのか?

スペインの小クラブに君臨する隻腕の名将

そもそも、日本のサッカーは独自の育成環境にある。昨今は、クラブチームでプレーする選手がプロに進むケースが増えた。しかし、依然として学校の部活動から、多くの選手がプロ入りしている。一方で、欧州や南米では、育成組織はクラブチームからのみである。学校の部活動という概念がない。つまり、同列に語るのには難しさがある。

欧州や南米では、封建的な関係性も希薄だろう。年齢の上下による、仰々しい礼儀など存在しない。一定のリスペクトは必要だが、基本的には人間として対等な関係と言える。コーチが選手を殴るなど、ただの傷害事件だ。

「対話・会話」
それが指導者と選手の基本にある。

それだけに指導者に必要となるのは、強烈なサッカーへの愛情だろう。エモーション、パッションの熱量で、選手とぶつかり合う。それによって、少しでもサッカーを改善させる。

スペイン、ガリシアにある小さな港町の小さなクラブで、筆者は左手のないサッカー監督、マヌエル・オリベイラ、通称マノリンという人物と出会ったことがある。

マノリンは現役時代、セミプロサッカー選手だった。30歳の時、海運業の潜水作業中にダイナマイトが誤爆し、左手が吹っ飛んでしまう事故に遭う。左半身は血まみれで、岸まで2キロだったが、右腕を必死に動かし、どうにか泳ぎ着いた。

「もう一度、サッカーの世界に戻る」

その一念だったという。その後、彼は選手ではなく、監督として50年近くも過ごすことになった。取材した当時、チームの成績も悪かったのか、競技場の外壁にはスプレーで殴り書きがしてあった。

「能なしマノリン、辞めちまえ!」

かなり痛烈だったが、「全身全霊でサッカーを愛してきたから、文句は言わせない」と言って笑うマノリンは自負心を感じさせた。情熱を傾けても、必ずしも裕福になれるわけではない。しかし、町中で会う人たちは多くが彼に笑顔で挨拶し、彼も笑って返した。その中にはかつての教え子だった選手もいた。

彼のように知られざる有能な指導者が無数にいることが、スペインの強さのルーツだろう。マノリンは異なるカテゴリのチームを指導してきたが、同国のサッカー界には育成だけに人生を捧げる指導者も少なくない。彼らはたとえ自身が有名にならず、華やかな世界に身を置かずとも、人間を育てることに誇りを持っている。

スペイン代表が世界王者になり、国内リーグは世界最高峰で、多くの世界的選手を輩出し続けるのは、その点で必然と言えるかもしれない。

”生き様”を継承するバスク人の教え

日本では高校を全国大会に出場させることで、指導者は地域では「名士」のようになる。発言力は大きくなり、王様のように扱われることもあるという。しかしチームは有力な選手が入ったら、それだけで周りの選手も刺激を受け、強くなる側面はあるもので、指導者は常に謙虚でいるべきだ。

スペインの育成では結果云々よりも、実直に選手に向き合い続ける指導者が愛される。その選手から感謝されることで、ようやく評価を受ける。育成指導者の「理論」や「メソッド」が必要以上にもてはやされることはない。選手を殴り、蹴り、隠蔽し、恫喝するに等しい行為など、もってのほかだ。

秀岳館高校サッカー部だけではなく、育成指導者が結果を出したことで、周りが何も言えなくなるような環境ができてしまうのは危険なサインだ。

「Actitud(アクティトゥー)」

スペイン語で直訳すると、態度や姿勢だが、”生き様”とも訳せるか。スペイン、北にあるバスク地方ではActitudを育成の土台にしている。その中身は、勝負を最後まで諦めず勇敢に挑む、あるいは、仲間のために献身的にプレーする、そう言った行動規範を指す。日本でも珍しくない考え方だが、これがお題目ではなく、徹底されているのだ。

「そこでボールを取られたら、味方はどうなる?」

自分の責任を取れず、仲間と共に戦えない人間に対して、指導者は非常に厳しい態度で向き合う。少々、ボールテクニックがあったとしても、共闘精神の大切さを軽んじる者は許されない。

指導者の仕事はActitudを浸透させるため、まず健全な現場を作ることにある。それは、きわめて地道な作業だという。

「最後まで戦い抜け」

例えば、それを繰り返し言い続ける。世界最高のMFと言われたシャビ・アロンソは、Actitudの薫陶を受けて育った。

「一人だけの力なんてちっぽけだよ。チームのために身を粉にして働けるかどうか。チームが一致団結して戦うのが大事になるんだけど、そのためには自分が常にベストを尽くすことなんだ」

シャビ・アロンソは集団のために個人を磨くことができた。才能に恵まれ、自らが練習熱心だったことで高みに辿り着いたが、土台はActitudだった。彼はすでに現役を引退し、指導者に転身しているが、その教えを若い選手たちに伝える。Actitudは脈々と息づいている。それは、バスクの風土だ(試合会場などでの反応など、強い責任感やベストを尽くすことが求められる)。言うまでもなく、指導者も行動を律する必要を迫られる。

「育成に近道はありません。秘訣もないですし、自分たちを信じてやり続けるしかない。いつも太陽が出ているわけではないんです。曇りでも、雨でも、嵐でも、自分たちのスタンスを変えない。その覚悟が求められるのです」

バスクの名門、レアル・ソシエダのルキ・イリアルテ育成部長の言葉は真理だ。

結局、秀岳館の段原監督は辞職届を提出し、受理されている。あってはならない事件は、一人のリーダーの人間性の乏しさが集団を歪め、引き起こしたとも言える。ただ、日本では思った以上にリーダーシップが未成熟であり、育成現場もクローズで結果主義に陥りがちで、”あるはずがない”ことではないのである。

取材・文/小宮良之

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