日本軍の手榴弾(しゅりゅうだん)は、ありとあらゆる遺骨収集現場から出てきます。沖縄戦で手榴弾が実際にどのように使われたのかを知ると、当時の日本政府や日本軍が、兵隊や住民をどのように扱い、位置づけていたのかがよくわかります。
ガマ(*)での遺骨収集をはじめたころ、遺骨は、ガマの入り口付近と奥にかたまっていることが多いということに気づきました。入り口付近にある遺骨には戦闘の痕跡があり、多くの場合、土砂に埋もれていました。他方、壕(ごう)の奥にある遺骨は、上半身のないものが多数をしめています。
はじめは、上半身がないのは、戦後に壕内が荒らされて、遺骨が散らばってしまったためだろうと考えていました。けれども、下半身は関節もきれいにつながっているのに、どうして上半身だけがバラバラになっているのか、不思議でなりませんでした。