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新年を祝うバカ騒ぎテレビ番組、笑顔溢れる赤の広場、記念撮影をする人々…戦争の影が微塵も見えない2023年1月1日のロシアで考えたこと

集英社オンライン / 2023年12月22日 11時1分

ソ連崩壊前後の時代をTBSモスクワ支局特派員として過ごした記者・金平茂紀による、ロシアのありのままを伝えた書籍『ロシアより愛をこめて』。ウクライナ侵攻後の22年~23年の年末年始にモスクワを訪れた著者が、戦時下にあるロシアの人々の様子を日記形式で紡ぎだす。

スターリン建築の代表格・旧ウクライナホテル

2023年1月1日(日)。外を見ると雪ではなく雨が降っているようなのだ。気温も3℃。これはかなりあったかい。午前7時に勇んで朝食会場に行くと、今日は元旦なので朝8時開店だと言われる。テレビをつけるが、この部屋のテレビが壊れていて、肝心のチャンネル1(ロシア公共放送第1チャンネル)が映らないのだった。



ネットで日本のテレビ朝日のニュースサイトで、プーチン大統領がきのうテレビに登場してロシア国民向けのメッセージを放映したことを知る。ほんまかいな。誰もそんなものを見ているとは思えなかった。軍人たちに囲まれての演出だったらしい。

タクシーを頼んで、午前11時すぎに赤の広場に行くと、そこそこの人がすでに訪れているではないか。タクシードライバーはタジキスタン人だった。日本からのツーリストだと言うと、たいそう驚いて「トヨタのカムリは最高の車だ」とか話してきた。

この国ではいまだに日本の代表的なイメージは、トヨタ、ソニー、カシオ、パナソニックなのだ。旧ウクライナホテルに行ってみる。このスターリン建築の代表格は、かつて目にしない日がなかった。このすぐ近くに僕は住んでいて、かつTBSモスクワ支局もこのすぐそばにある。

数々の思い出が刷り込まれた建物だ。ホテルを見ていてもほとんど人の出入りが確認できなかった。モスクワ河を挟んだ対岸にはロシア最高会議ビルがある。通称ベールイドーム(ホワイトハウス)。ここに1993年、エリツィンが戦車から砲弾を撃ち込んだ。建物の上半分が焼け焦げて無惨な姿をさらしたものだった。

今のロシア最高会議ビルは、プーチン大統領の御用機関のような機能しか果たしていない。そんな場所を訪れていたら、美しい女性が1人で観光をしていた。「新年おめでとう」と声をかけると、彼女はウラジオストクからやって来たツーリストだという。大の日本ファンで、YouTubeでしょっちゅう日本のことを検索しているという。

モスクワは大きすぎるとか言っていた。キエフ駅もずいぶん様変わりしていた。昔僕がモスクワに暮らしていた頃は、この駅にホームレスの人々や少年らがたむろしていたものだ。近くの大型ショッピングモールにユニクロのロゴサインがみえた。

本当は民主主義なんか求めていない

その後アルバート通りに立ち寄ると、ここにもロシア人の団体旅行客の一団がいた。昔のアルバート通りとはだいぶ変化しているように思ったが、今日は元日なので、明日以降に人々をみてみなければわからない。マクドナルドが撤退したあとに、そのノウハウを全部引きついで、後継店がちゃっかりオープンしていた。

名前も「フクースナ・イ・トーチカ」(おいしい、それだけ、の意味)。ビッグマックに限りなく近い「ビッグ・スペシャル」というのを注文したら335ルーブルした。大体600円くらいか。店員もマクドナルド並みの愛想というか。店内もテイクアウトの列にも結構お客がいた。フライドポテトはマック時代より絶対においしくなった、と言い張るロシア人が多いという。

今度はワシリー寺院側から赤の広場に入ってみて驚いた。逆側からよりもずっと人出が多い。ものすごい数の人出だ。そこで確信した。これは実際にロシアの人々にとっては初詣なのだと。日本の神社やお寺の代わりに、ここでは圧倒的にロシア正教の教会と旧ソ連の名所がその役割を果たしている。

広場にはメリーゴーラウンドも敷設されている。子どもたちが歓声を上げていて、親たちが嬉しそうにそれをカメラで撮影している。頭がくらくらするような遊園地状態。これが戦争をしている国か。

その光景をしばらく眺めていて、僕はとても強い自己嫌悪に陥りながら、考えてしまったのだ。この国の人々は、本当は民主主義なんか求めていないのではないか。独裁的な全体主義体制の方が、自分たちの威厳とか誇りとかプライドを維持してくれているのなら、それでいいじゃないか、と。

帝政ロシア→ソ連→ロシア共和国という変遷を経ながらも、そこに住む国民とはそういう人々なのではないかと。いま現在のウクライナの方は、いきなり侵略されたことから、ナショナリズムに火がついて、人々は、祖国とか自由とか言っているけれども、僕はそれが心の奥底からの「民主主義への希求」というものかどうか本当のところは、わからない。

同じ思いは日本という国に暮らしている僕ら日本人についても感じる。いま現在の日本国民は、政治にひどく無関心だとされている。確かに、公共=コモンという概念がおそろしく希薄だ。そのような国づくりをこの10年あまり(安倍・菅・岸田政権のもとで)やってきたのではないか。それにどれだけ自分は抗ってきたというのか。目の前をメリーゴーラウンドが回っている。ロシアの子どもたちの歓声が聞こえる。

ロシアの元日はお祝いバカ騒ぎの番組ばかり

元日のレーニン廟前。誰もレーニン廟には目もくれていなかった。

さきほどからずっと小雨が降り続いている。体が冷えて来たので宿へ戻ることにする。これがモスクワの2023年の元日に僕がみた光景だ。フロントにクレームを言って、部屋のテレビを直してもらったが、日本のテレビと同じように新年用のロシア正教番組とか歌番組、愛国バラエティ番組(こうとしか言いようがない)ばかりでうんざりした。

ベラルーシからやってきたとかいうコメディアンたちが大喝采を受けていた。歌番組は、日本の紅白歌合戦みたいにロシアの人気歌手とかが総出で、ロシア万歳! みたいな歌ばかり歌っていて、見ていて気持ち悪くなってきた。

なかでもやっぱりあのSHAMANという一見ロック歌手のようなシンガーには閉口した。まあ、日本のかつてのXジャパンとかみたいなものか。衣装のセンス、お化粧の仕方、金ぴかで、きのう今日と赤の広場周辺で見てきた飾り付けとひどく共通している。不思議なことにこのホテルでは、「BBCワールド」が見られる。新年にキーウが攻撃されたニュースもこの部屋では見られるのだ。だがもちろんロシアの元日の番組は、お祝いバカ騒ぎの連続だ(日本と似ている)。

そしてもちろんロシアの一般国民は「BBCワールド」なんか見ていないだろうし、見たいとも思っていないのだろう。ロシア公共放送の『ヴェスチ』ではトップニュースが、プーチン大統領が軍人に囲まれての国民向け9分間の異例の長時間メッセージ、その後、新年を祝う各地の表情、ドネツクからの戦地特派員リポート。

日本では絶対に見られない代物だ。ロシアテレビの記者たちはこんなふうになってしまっている。ロシアによる正義の「特別軍事作戦」の宣伝係に。戦時中の日本の従軍記者のように。注意深くロシアテレビの放送をみていたが「バイナー」(戦争)という単語は一度も使われていなかった。いまだに戦争ではなく「特別軍事作戦」という範疇でしか語ってはならないのだ。

日本からのニュースをチェックするなかで、編集者の矢崎泰久さんが年末に亡くなられたことを知る。筑紫哲也さんの本を書いた際に長時間取材をさせていただいた。まだガキの頃、僕自身が『話の特集』をよく読んでいた。何でもありのいい雑誌だったな。合掌。

戦争の影が一体どこにある

1月2日(月)。ロシア正教のクリスマスは1月7日(土)なので、このカレンダーだと1月9日までこの国の人々はおそらく休む。働かないだろう。だんだん思い出してきた。この国の現実というものを。例によって時差調整に失敗して午前4時半に目が覚める。外をみると煌々とライトアップされている旧ウクライナホテルが目に入ってきた。

モスクワに来てから初めての快晴。今日はいろいろと外に出てみることにする。30年ぶりに会った友人たちもいる。今回の旅は、半ばセンチメンタル・ジャーニーのような要素もあるのかもしれない。そのうちの1人の彼は、年齢ももう76歳だ。だが至って元気な様子。歯がもう1本しか残っていないと言って笑っていた。一緒に車で動いた。

アルバート通りのヴィクトル・ツォイの壁。ロシアの地方からやって来たのであろうか、観光客らがしきりに記念写真を撮っている。アルバート通りを離れて、近くの大通りを歩いていたら、スターバックス撤退後、そのままノウハウをちゃっかりいただいて営業を継続している「スターズコーヒー」が近くにあった。モスクワ市内に複数の店舗があって結構賑わっていた。「ユニクロ」があったが現在休業中。

だがインターネットで商品の購入が可能だと店頭に表示があった。移動して、ゴーリキー文学大学近くの本屋さんに入ってみる。何気なく書棚に並ぶジョージ・オーウェルの著作集。

『1984年』や『動物農場』は、今のところロシアの人々に読み継がれているようだ。手に取ってみると装丁がなかなかいい。購入する。午後になってから街の人出は徐々に多くなってきている。この素晴らしいお天気のせいか。今の時期にしては、きのう今日と暖かいのだそうだ。ルイノク(自由市場)に行ってみると、もう営業していた。新鮮な食品で溢れかえっている。中央アジア系の売り子さんが多い。

東京から持参してきた自動翻訳機が非常に役に立って本当に助かった。今回は1人でモスクワに来たので、これがあるのとないのでは全く違ったように思う。さっそくこれを使って道行く人々に街録を試みた(ピャートニツカヤ通りにて)。

「日本からやって来ました。ロシア語が下手なので、この翻訳機に助けてもらいながら、答えてくれませんか」と語りかけると、ほとんどの人が答えてくれた。非常に興味深かったのは、「テレビのニュースを信用していますか?」に対する答え。

ほとんどの人が「ニエット」(信じていない)だ。また、「ロシア国旗を美しいと思いますか?」については、ほとんどの人が「ダー」(はい)、「2023年はよい1年になると思いますか?」についてもほとんどの人が、よい1年になると答えていたことだ。何の迷いも衒いもなく。若干躊躇がみられたのは「あなたは民主主義を信じていますか?」に対する答えだった点も面白い。

「丸亀製麺」が撤退した後のお店は「マル」という名前に変更になって、そのままうどん屋さんチェーン店として賑わっていた。せっかくなので入ってみた。大変な人気ぶりである。店員は中央アジア系の人々が多く混じっている。味もそんなにまずくない。今日の「観光」の締めくくりに、モスクワ大学の前の展望広場(雀が丘)に行ってみる。

すごい数の人々が繰り出していた。高層ビジネスビル群の通称「シティ」がまぶしい。これは発展の姿なのだろうか。大体、人々はこのような高層ビル群を望んでいるのだろうか。僕には、新しい形のスターリン建築様式に見えるような気がする。だがこの展望広場にいる人々はそんな陰鬱な考えなど微塵もないように、家族、友人ら、恋人同士で、記念撮影に明け暮れている。

戦争の影が一体どこにあるというのだ。あるのはロシア公共テレビのなかのニュース番組『ヴェスチ』や、愛国的な歌謡ショーに紛れ込んでいる歌手たち、司会者たちの振る舞いだけのようにさえみえる。そのことがかえっておそろしい。

友人の1人が言っていた。モスクワの治安に関して言えば、チェチェン戦争の時の方がもっと危険だった。あの時はモスクワでは頻繁にテロ事件が起きていた。それに比べれば、今のところ、モスクワに関して言えば何の問題もない、と。本当だろうか。

1932~33年のホロドモール時代のモスクワの繁栄と、ウクライナで餓死者まで出ていた現実のことを、よくよく思い出すべきではないのか。パラレルワールドは、体制の信奉者たちによって創りだされたものだ。


写真/shutterstock

ロシアより愛をこめて あれから30年の絶望と希望

金平 茂紀

2023年9月20日発売

1,056円(税込)

文庫判/480ページ

ISBN:

978-4-08-744567-1


1991年ソビエト連邦崩壊。2022年ロシアによるウクライナ侵攻――
30年前と現在、変わったもの、変わらないものとは。
記者・金平茂紀が見た「大国ロシア」のありのままの姿。

1991年から94年、ソ連崩壊前後の激動の時代をTBSモスクワ支局特派員として過ごした著者が見たロシアの実態、そこに生きる人々との交流を書簡と日記形式で綴る。そして時は流れ、2022年ロシアはウクライナに侵攻する。開戦直後にウクライナを訪れた際の日記、22年~23年の年末年始にモスクワを訪れた際の記録を追加収録。著者の体験を通し、「大国ロシア」とそこで暮らす人々の本質に迫る。

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