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『奇跡集』小野寺史宜 記念寄稿「奇跡の定義」

集英社オンライン / 2022年6月10日 10時1分

前からずっと、『○○集』というタイトルの小説を出したいと思っていた。理想は、『○○短編集』だ。『マーク・トウェイン短編集』や『スタインベック短編集』のような。でもそれは超大物作家さんだから許される話。僕の如き超小物ではとても無理。

奇跡の定義

前からずっと、『○○集』というタイトルの小説を出したいと思っていた。
理想は、『○○短編集』だ。『マーク・トウェイン短編集』や『スタインベック短編集』のような。でもそれは超大物作家さんだから許される話。僕の如き超小物ではとても無理。
『小野寺史宜短編集』。って、誰だよそれ、になってしまう。下手をすれば、そんな名前の架空の作家が出した短編集という体なのね、と思われてしまう。


小説すばるさんから連載のご提案を頂いたとき、小さな奇跡の話、を思いついた。それが、集、と結びついた。その小さな奇跡の話を集めれば『奇跡集』になるじゃないの。
ただ、独立した話を集めるのでは連載の意味がない。奇跡くくりはあるにしても、それだけでは足りない。物語の幹がほしい。
考えに考えた。
僕は毎日一時間歩くのだが、歩くあいだずっと考えた。たまには各社の編集者さんとの打ち合わせ場所に赴くために電車に乗りもするのだが、電車のなかでもずっと考えた。
僕は立っていて、前の席には女性が座っていた。その女性は、書店さんの紙カバーが付けられた文庫本を読んでいた。『奇跡集』の第一話と似た状況だ。
僕は思った。女性が読んでいるのが僕の本ならうれしいだろうなぁ。でも超小物でそれはないだろうなぁ。自分の本を読む人と同じ電車に乗り合わせてそれを目撃するなんて凄まじい確率だもんなぁ。そんなのまさに奇跡だもんなぁ。
で、閃いた。
電車に乗り合わせた人。これは、いいんじゃん?
たまたま同じ電車に乗り合わせただけ。それぞれには何のつながりもない人々。でも小さな奇跡によってつながっていく。結果、ある程度大きなことも起こる。自分たちはそれを知らない。全容を知るのは読者だけ。いい。
その時点で構想ができていたのは第一話のみ。大変だぞ、と思ったが、これは書きたいぞ、とも思ってしまった。
初め、小説すばるさんへの連載は三回の予定だった。一号に二話×三回で計六話。すべて書いたあとで、もう一話増やして七話にしませんか? と担当編集者さんに言われた。連載も全四回にしましょう。
マママママジですか。喜び半分、不安半分。いや、うそはダメ。喜び一割、不安九割。でも僕は笑顔で言った。じゃ、そうしましょう。
また考えに考えた。
歩きながら考えた。他社の編集者さんとの打ち合わせを終えて乗った電車のなかでも考えた。
僕は立っていて、前の席には男性が座っていた。その男性は、書店さんの紙カバーが付けられていない文庫本を読んでいた。超大物作家さんの本だった。
そうか。超大物作家さんの本なら紙カバーを付けなくても恥ずかしくないのか。だとすれば、先の女性が読んでいたのは超小物作家すなわち僕の本だった可能性もある。いや、まさかね。
なんてことを思い、僕は電車の窓ガラスにうっすらと映る自分の顔を見た。『奇跡集』の登場人物たちもそうしたような感じで。
その場では思いつかなかったが、電車を降りてからあれこれ思いついた。そうなったらもう止まらない。止まれない。自宅の前を素通りし、右へ左へ歩きながらさらにいろいろ考えた。歩くのは、ものを考えるのにちょうどいいのだ。だから僕は一日一時間歩く。
朝四時台に起きて数時間書き、一時間歩いて昼ご飯。そのあとバッテリーが切れるので、がっつり昼寝。起きてまた数時間書く。一つの小説を書きはじめたら、書き終えるまで一日も空けずにその生活を続ける。手書きで下書き、パソコンで本書き。二回書く。そして推敲推敲また推敲。そんないつもの流れで、『奇跡集』は仕上がった。
かつて僕は長い投稿暗黒時代を過ごしていた。暗黒は今も微妙に続いているが、より暗黒。小説すばる新人賞にも何度か応募したことがある。
だから、そこで連載させてもらえたのはとてもうれしかった。『奇跡集』というタイトルで本を出してもらえるのはなおうれしい。
決して明るい話ではないが、この小説は書いていて楽しかった。
書き終えて、気づいた。奇跡と呼ばれるのは人に気づかれたものだけなのだと。
言えるのはそのくらい。あとは、読んでいただくしかない。

奇跡集

小野寺 史宜

2022年5月26日発売

1,760円(税込)

四六判/256ページ

ISBN:

978-4-08-771775-4

同じ電車の同じ車両に、たまたま乗り合わせた見しらぬ男女たちがつなぐ、幸せのふしぎスイッチ。

第一話「青戸条哉(あおと・じょうや)の奇跡 竜を放つ」ーー満員の朝の快速電車。ぼくは過去最凶の腹痛に耐えていた。もうダメだと思い、その場にしゃがもうとした瞬間、隣に立つ同い年くらいの女性が、ぼくよりもわずかに早く、しゃがみこんだ。

第二話「大野柑奈(おおの・かんな)の奇跡 情を放つ」ーー大学時代、わたしは小劇団にのめり込んだが、結局就活をして、食品会社へ。通勤途中、具合が悪くて社内で声をかけた女性の様子が気になり、駅を一つ戻ってホームに降りると、そこには意外な先客がーー。

第三話「東原達人(ひがしはら・たつひと)の奇跡 銃を放つ」ーー満員電車での尾行中。住宅街の駅で降りた捜査対象者に気づかれぬよう後を追っていると、赤ん坊を抱いた裸足の女性が、すごいスピードで無表情のまま目の前を通り過ぎていった。

第四話「赤沢道香(あかざわ・みちか)の奇跡 今日を放つ」ーー五年ぶりのデート。満員電車で、男の人の手が、女性のお尻のあたりで動いているのを見てしまった。女性は、まったく別の男性に「触りましたよね?」と詰め寄った。どうする、わたし?

第五話「小見太平(おみ・たいへい)の奇跡 ニューを放つ」ーーカップ麺会社の宣伝部で、おれは失敗した。起用した女性大食いユーチューバーが炎上した。代替案を上司に提案しなければならないが、電車が止まってしまう。「イッキュウちゃんの動画。見た?」という会話が聞こえたのはその時だ。

第六話「西村琴子(にしむら・ことこ)の奇跡 業を放つ」ーー満員電車で、彼の浮気相手をひそかに凝視する。彼はわたしの8歳年下で、その女はわたしの16歳下。有休をとり、女の乗った通勤電車にわたしも乗った。だが、わたしは決してストーカーではない。

第七話「黒瀬悦生(くろせ・えつお)の奇跡 空を放つ」ーーななめ掛けしたボディバッグに拳銃を入れた俺は、とっくに尾行されていることに気がついていた。目的地の一つ前の駅で降りて住宅街を歩いていると、声をかけてきたのは、尾行していた刑事ではなかった。

小さいけれど確かに人生を左右する(かもしれない)7つのミラクルを描く、連作短編小説!

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