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「2時間ドラマ枠」はどのように誕生したのか? きっかけは “毎回ヌードあり”サスペンスの視聴率がスピルバーグ映画くらいあったから!? それがのちの「相棒」に…

集英社オンライン / 2024年5月12日 11時0分

刑事ドラマを変えた『踊る大捜査線』のもとになったのは『仁義なき戦い』のヤクザ的世界観!?「相手を出し抜いて組織を守り抜くのはヤクザも警察も同じ」〉から続く

刑事ドラマは連続ドラマだけでなく、単発の2時間ドラマ枠で放送されることも多いが、そこにはどういった誕生背景があるのか。それは、1966年にスタートした『土曜洋画劇場』までさかのぼるという。

【画像】国民的シリーズ「相棒」は、もともと2時間ドラマのミニシリーズだった?

太田省一『刑事ドラマ名作講義』より一部抜粋、再編集してお届けする。

「2時間ドラマ」事始

刑事ドラマの歴史において忘れてはならない重要な出来事があった。「2時間ドラマ」の始まりである。刑事ドラマの源流のひとつに映画があったことは最初に述べたが、2時間ドラマはまさにテレビにおける映画を目指したものだった。



いまでは少なくなったが、1960年代、各民放キー局には洋画を放送する2時間のレギュラー枠が揃ってあり、ゴールデンタイムに欠かせない看板番組になっていた。

なかでも1966年にスタートしたNETの『土曜洋画劇場』は老舗的な番組で、解説役の映画評論家・淀川長治の流暢かつ見事な解説、番組最後の「さよなら、さよなら、さよなら」という3度繰り返す愛嬌たっぷりの挨拶によって多くの視聴者に長年親しまれた。

映画をテレビで放送する同じような番組はアメリカにもあった。そしてそこから偶然の産物とも言える、ひとつの新しいスタイルのドラマが誕生する。それが、2時間という映画に匹敵する長さのオリジナルドラマだった。

始まりは、放送する映画のストックがなくなったときの穴埋めが必要になったことだった。

そこでテレビ局が映画会社にオリジナルドラマをつくらせたところ、思いがけず高視聴率を獲得した。そのひとつが、まだ20代の若者だったスティーブン・スピルバーグが監督した『激突!』(アメリカでは1971年放送)である。

トラック対セダンのスリルとサスペンスに満ちたカーチェイスを描いた斬新な作品だったが、それを日本でも1975年1月にNETが『日曜洋画劇場』(『土曜洋画劇場』から放送枠の移動でタイトル変更したもの)で放送したところ22.1%という高視聴率を記録。

2時間ドラマの嚆矢となった『土曜ワイド劇場』

この反響を受けて、NETのなかに2時間のテレビ映画(当時は和製英語で「テレフィーチャー」と呼ばれた)を制作するためのプロジェクトチームが組まれた(大野茂『2時間ドラマ40年の軌跡』、13‐16頁。以下の2時間ドラマの歴史の概略については、基本的に同書に基づく)。

こうして実現したのが、2時間ドラマの嚆矢となった『土曜ワイド劇場』である。初回の放送は1977年7月、NETテレビが略称をテレビ朝日に変更して間もなくのことであった。

このとき放送されたのが、『時間(とき)よ、とまれ』という渥美清主演の刑事ドラマだった。その後文芸作品やメロドラマなども制作されたが、視聴率をとれるという観点から最終的にミステリー、サスペンスが基本路線となっていく。

とはいえ、ミステリーやサスペンスを売りとするのは刑事ドラマだけではない。探偵ものもある。実際、『土曜ワイド劇場』開始時の停滞状況を打ち破ったのは、探偵ものの「江戸川乱歩の美女シリーズ」だった。

主演の天知茂が名探偵・明智小五郎を演じるおなじみの推理ものである。しかも謎解きの面白さだけでなく、そこに江戸川乱歩らしく怪奇とエロスの要素が加わった。猟奇的な事件が毎回のように起こり、必ずと言っていいほど女性のヌード場面が登場する。

そして同シリーズの2作目『浴室の美女』が20.8%という、『土曜ワイド劇場』で初めて20%を超える視聴率をあげた。これで路線が定まったのである。

これをきっかけに、初回の視聴率が良かった作品が次々とシリーズ化されるという流れが生まれた。

とりわけ、松本清張、森村誠一、内田康夫、さらには西村京太郎や山村美紗ら人気推理作家の作品を原作にしたシリーズものが『土曜ワイド劇場』の売りになっていった。

たとえば、刑事ドラマではないが、市原悦子主演で人気シリーズとなった『家政婦は見た!』(1983年放送開始)も、元々は松本清張の小説が原作である。

そうして番組開始から2年後には全体の3割がシリーズものになった。その結果、開始当初の3か月は平均10.3%だった視聴率が1979年1~3月には14%、さらに1980年1月の調査では18.7%と上昇を続け、2時間ドラマはテレビドラマの世界において確固たる地位を築く。

その好調ぶりを見て、他局も『火曜サスペンス劇場』(日本テレビ系、1981年放送開始)、『ザ・サスペンス』(TBS系、1982年放送開始)をスタートさせるなど2時間ドラマ枠を新設して追随した。

『相棒』はもともと2時間ドラマのミニシリーズだった

 以上のように、刑事ドラマが2時間ドラマにおいて主力のジャンルであったことに違いはないが、絶対的中心だったとは言い難い。

同じく事件を解決するという意味で似ている探偵ものなども、明智小五郎の例を見てもわかるように大きな位置を占める。ルポライターを生業とする主人公が名探偵となって事件を解決する内田康夫原作「浅見光彦シリーズ」など、このジャンルでの人気シリーズは数多い。

しかしながら、刑事ドラマが2時間ドラマに欠かせないものであることはむろんいうまでもない。

犯人を導き出す推理の謎解き的面白さに、2時間ドラマならではの名所風景や温泉など観光の要素、またトリックと旅情の両方の魅力を持つ鉄道の要素などが加わることで、特色ある刑事ドラマが数多く誕生したことを忘れてはならない。長寿シリーズとなった西村京太郎原作「十津川警部シリーズ」は、その代表格だろう。

このように多彩な要素を比較的自由に盛り込めるのが2時間ドラマの醍醐味だとすれば、その伝統のなかで誕生したのがあの『相棒』だった。

知られるように、『相棒』は連続ドラマとして始まったわけではなく、最初は『土曜ワイド劇場』で3回にわたって放送された2時間ドラマのミニシリーズだった。

初回の放送は2000年6月のことである。2作目が20%を超えるなどそれが予想以上の高視聴率をあげ、連続ドラマ化されたのである。水谷豊演じる杉下右京のシャーロック・ホームズ的名探偵の側面、だがそれだけでなく毎回テイストを変えて繰り広げられる多彩な物語には、改めて振り返ってみると2時間ドラマの末裔としての匂いが濃厚に感じられる。

この一事だけでも、2時間ドラマが刑事ドラマ史において果たした役割は決して小さくない。


文/太田省一

刑事ドラマ名作講義

太田省一
刑事ドラマ名作講義
2024年4月24日刊行
1,980円(税込)
新書判/432ページ
ISBN: 978-4065354742
テレビの黎明期以来、「刑事ドラマ」はつねにテレビドラマの中心にあり続けてきた。『七人の刑事』など、いまの刑事ドラマの原点となった作品が登場する1960年代から、『太陽にほえろ!』を筆頭に多彩なタイプが生まれた1970年代、『あぶない刑事』のようにコミカルな要素がヒット作の条件となった1980年代、警察組織をリアルに描いた『踊る大捜査線』など重要な変革が生まれた1990年代、そして刑事ドラマの歴史を総合するような『相棒』が始まった2000年以降まで。日本の刑事ドラマ繁栄の理由を歴史と作品の両面から深掘りする。堂々の432ページ。

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