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亡き父のブドウ畑をバスケットコートに。DJコバタクの「フィールド・オブ・ドリームス」

集英社オンライン / 2022年8月21日 12時1分

映画『フィールド・オブ・ドリームス』さながら、亡き父から相続したブドウ畑をバスケットボールのコートに変えたのは、名古屋を拠点に活躍するラジオパーソナリティーの小林拓一郎さん。「バスケへの恩返し、地元への恩返し」とコートの無料開放にこだわる“コバタク”の奮闘ぶりと、壮大な夢を追った。

完成から2周年の「夢のコート」

『フィールド・オブ・ドリームス』という米国映画があった。ケビン・コスナー扮する主人公が、亡き父から受け継いだトウモロコシ畑で聞いた謎の声に従って、畑をつぶして野球場につくりかえる物語だ。

この映画さながら、亡き父から相続したブドウ畑をバスケットボールのコートに変えたのは、名古屋を拠点に活躍するラジオパーソナリティーの小林拓一郎さん(42)。通称「コバタク」のバスケット版“フィールド・オブ・ドリームス”だ。



日本三大稲荷の豊川稲荷から車で約10分。人口18万人ちょっとの地方都市の田園風景の一画に、米プロバスケットボールNBAの名選手コービー・ブライアントが壁に描かれたカフェがある。愛知県東部の豊川市にある「グレープパークコート」。

カフェの外にバスケットボールコートが1面あり、地表はかつてここが約2200平方メートルのブドウ畑だったことを伝える薄い紫色に塗られている。午前9時から午後7時まで、カフェの開店時間はだれでも無料でコートを使える。今年8月23 日で完成から丸2年になる。

「オープンからずっとコロナ禍。学校は部活ができないから、バスケ部の生徒が来るのかなと思っていたら、意外と違う部の子がけっこう来ていて。『体を動かしたくて!』って感謝されました」

これは「バスケットのうまい人たちだけの場所にしたくない」と考えていたコバタクさんには、うれしい出来事だった。

「たとえば、初めてバスケットをやろうとしてゴールのある公園に行くと、うまい人たちが占拠していたりする。ずっと俺たちがここでやってんだと変なローカルルールをつくって、パブリック(公共)な場所なのにパブリックの体を成していない。

その点、グレパーはプライベートな場所だからこそ、僕がルールをつくってパブリックにできる。上手い子同士でゲームをやっていいけど、試合後は絶対に、30分間、開放してねとしています」

イベントは農作物のマーケットやバランスボール教室、ミュージシャンを呼んでのライブなどバスケットじゃないものが中心。色々な人が来て、自然とバスケットに触れられる環境を目指している。

総工費は約6000万円。Bリーグや東京オリンピックの会場を盛り上げ、バスケット界でも活躍するDJは、「バスケットは自分を変えてくれた大事なスポーツなんで、恩返しをしたい」とコートつくった。

「一度でいいから佐古選手の名を呼びたい」と直談判

豊川市出身のコバタクさんは中学でバスケット部に入った。小学生の時に連載が始まった『スラムダンク』は欠かさず読んでいた。

「なんか運動した方がいいかなあと思ってなんとなく入部したんです」

中1の夏、1992年バルセロナオリンピックで初めて編成された、NBA現役スターの米国代表「ドリームチーム」に衝撃を受けた。

「そのタイミングで『バスケット・ボーイ』って映画を見たんです。往年の名選手、ピート・マラビッチの少年時代の物語で、寝る時もボールを持って、自転車に乗りながらドリブルしてて。サッカーの『キャプテン翼』みたいで。それで俺もこうする!ってなったんです」

本人曰く「バスケ狂いで下手くそ」な中学生は、夜な夜な、市内の学校開放で練習している大人に加わった。進学した地元の公立高校は「練習試合に4人しか来ないような弱いバスケ部だった」。

しかし、雑誌やテレビで情報を集めて、バスケ以外は考えることがないくらいの中高6年間を過ごし、「やるなら本場へ」と米国の大学への進学を決めた。

「自分のそれまでの人生、バスケに真剣になっていなかったらなにも始まっていなかった」

オレゴン州の大学に入り、街の中にあるコートでバスケットに加わってみた。

「アハハ…これは無理だなって、すぐに現実をみた。めちゃくちゃうまいと思った相手が高校ではスタメンに入れなかったとか。それで初めてバスケット以外のものへ視野が広がったんです」

大学内ラジオ局のDJに挑戦したのがきっかけとなり、卒業後、帰国して名古屋のラジオ局ZIP-FMのナビゲーターになった。

2006年、愛知県刈谷市を拠点にする実業団チーム、アイシン精機のホーム試合で進行や会場の盛り上げをするホームコートMCをした。当時は「ミスターバスケットボール」と言われていた佐古賢一選手(現在はBリーグ北海道ヘッドコーチ)が所属していた。

「中学の時から大好きな佐古さんが近くにいるぞと思ったら居ても立ってもいられなくなって、チームに電話して『一度でいいから名前を呼ばせてもらっていいですか』ってお願いしたんです。先方からしたら、いきなりなに言ってるか分かんねえって話ですよね(笑)。

でも、当時のバスケット部長さんが会ってくださって。ラジオのDJが何をしにきたんだ?と思ったでしょうね。バスケ狂いが、ノーギャラでいいです、『ケンイチー!サーコー!』って叫ばせてほしいって来たわけですから(笑)。

そしたら『1試合できそうだからやっていいよ』と言っていただいて。感激しましたよ。当日は名前呼んで、鳥肌が立って、あーよかった、夢が叶ったって」

スマートにやっていては誰も助けてくれない

その後もホームコートMCを続け、2016年に始まったBリーグでプロ化したシーホース三河の会場でも盛り上げている。FMラジオでは今、平日の昼間に2時間半の番組を持つ。

学生時代を過ごしたオレゴン州に同行する海外ツアーが企画される充実した日々。そんな中、2018年秋に父親が急逝した。

「ブドウ畑を売るという話もあったんですが、四十九日を迎える前日に母親に初めてコートの構想を話したんです。ブドウ畑は母親がメインでやっていたんで。親父がいなくなった上に、この畑まで手放しちゃうというのは相当寂しく思ったみたいで、最初は驚いていたけど、面白そうねって話になって」

すぐに家族と整地を始めた。

「ブドウ棚を支える太い石柱が200本くらい刺さっていて、一本を抜くだけで1時間くらいかかった。その嘆きをSNSで呟いたら、10人くらいが手伝いに来てくれて、その光景をアップしたら、重機があるから持っていくよってユンボが来てくれて、早く整地ができた。すごくないですか、これ。

『自分はバスケのことは知らないけど、豊川のために面白いことをやろうとしているのを応援したい』っていう人もいた。バスケへの恩返しと思っていたのが、故郷への恩返しにもなるかもしれないと感じたんです。

スマートにやっていると周りは手伝いようがないですけど、困っていると寄って来て手伝ってくれる人がいる。困っているから、人が巻き込まれてくれる。するともう、僕一人じゃなくて、みんなの夢として共有できるじゃないですか」

2019年、ブドウ畑の柱の撤去作業をする小林拓一郎さんと仲間たち=本人提供

このプロジェクトの意味と可能性を感じた。

2020年8月23日、コービー・ブライアントとコバタクさんの誕生日に合わせてオープンした。ストリートバスケットをイメージし、「お金を払ってもらって、バスケをやってもらう感覚ではない」とコートの無料開放にこだわった。

基本的に「カフェ」と捉え、その売り上げとコートを囲む金網やゴールなどへの広告費で、建設費用の借金を返して維持費を賄っているため、誰でもコートが使えるという仕組みだ。

だが最近、少しルールを変え、飲食持ち込みを不可にした。

「水や水筒くらいならいいと思っていたんですが、エアコンの効いたカフェの席を占領してマックシェイクとか飲まれるとね。それを注意するのって本当に悲しくて、心が疲弊しちゃって……。どういう成り立ちの施設なのかを発信しているんですけど、理解してくれる人がだんだん少なくなってきていて」

見学にきた業者から、利益を出せるように、と経営のアドバイスを受けることもある。

「親切心からなんでしょうが、それは別に僕がやりたいことじゃない。『自分の街になにもない』って不満を持つ人っているじゃないですか。だったら自分たちで好きな街に変えていけばいい。グレパーでそういうのを見せたいんです。

年をとって、コーヒーを飲みながら『リバウンド取れー!』と言ってたい。それで『うるせーな』『あのジジイ、オーナーらしいぜ』って言われたいですね。で、最後は『俺にやらせてみろ』って。超かっこいいじゃないですか」

夢はまだ始まったばかりだ。

取材・文/松本行弘

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