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31歳から修行、44歳でラーメン店出した男の半生 オープンは「震えるほど怖かった」開店も3カ月延期

東洋経済オンライン / 2023年11月26日 12時30分

12年9カ月に及んだ修行を経て、自身の店を開いた「桜上水 船越」船越節也さん

秋はラーメン界が騒がしくなる季節。

【写真たっぷり】「桜上水 船越」の絶品ラーメン

なんといってもラーメンイベントが多い。「大つけ麺博」(新宿・大久保公園)、「東京ラーメンフェスタ」(駒沢オリンピック公園)をはじめ、各地でラーメンイベントが連日開催されており、コロナも明け、いつもの秋が戻りつつある。

2023年1月にオープン「桜上水 船越」

そして、毎年10月に発表される賞レース「TRYラーメン大賞」が今年も例年どおり行われた。著名なラーメン評論家が1年かけて食べ歩き、そのなかから選び抜いた名店をランキング形式で紹介した“業界最高権威”ともいわれる賞である。今年の「第24回 TRYラーメン大賞 2023-2024」では、「桜上水 船越」が新店大賞を受賞した。新店部門は2022年7月~2023年6月にオープンしたお店が対象となっている。

京王線・桜上水駅から徒歩3分。

北口を降りて商店街を歩くと甲州街道沿いに「桜上水 船越」はある。派手な看板はなく、ぼーっと歩いていると通り過ぎてしまうような外観だが、長い行列を見ればすぐその存在に気づくだろう。

店主の船越節也さんは鳥取県倉吉市出身。父に連れられて札幌ラーメンの「どさん娘」で食べた、塩バターコーンラーメンがラーメンとの出合いだった。

高校に入ってからさらにラーメンが好きになる。鳥取のラーメンは2000年頃の「B級グルメグランプリ」にエントリーされた頃から「鳥取牛骨ラーメン」と呼ばれるようになった。

その後、音楽の仕事をするために上京し、ライブハウスなどで下積みの仕事をするようになる。

仕事で新宿に行くことが多く、アルタ裏にある熊本ラーメンの「桂花ラーメン」にハマり、多い時は週8回(一日2回行く日もあった)通うほどの常連だった。

それから仕事を転々とする中で、電機メーカーの派遣社員になり、電気店を回る仕事に就いた。各地を廻る仕事だったので、ラーメン本を片手に仕事の合間に食べ歩きをしていたという。

「どこに行っても美味しいラーメン屋があって、どんどん食べ歩きにハマっていきました。

特に好きになったのが『ぜんや』、『春木屋』、『渡なべ』ですね」(船越さん)

32歳でラーメンの世界に

その後しばらくの間は、アミューズメント業界で働き、ラーメンからも遠ざかる。役職につき待遇も良く、生活に不自由はなかったが、手に職をつけないと一生ものの仕事にはならないと思い、「好きなこと」で「手に職」がつけられるものはないかと探し始めた。

船越さんが音楽の次に好きだったものが「ラーメン」。

ぼんやりとラーメンが仕事にならないかと考え始め、好きだった「渡なべ」に応募しようと決意する。当時「渡なべ」は髪型自由・ピアスOKなど、体育会系のイメージが強いラーメン業界の中でも、自由なスタイルが魅力的だった。

しかし当時「渡なべ」はスタッフを募集していなかったので、他のお店の面接を受けたが受からず、ダメ元で「渡なべ」に電話をしてみた。

「この面接で店主の渡辺樹庵さんにお会いし、いろいろな味を作れる渡なべスタイルに魅力を感じそのスキルを学びたい旨を伝えました。

『今はスタッフがいっぱいで入る隙間がないので、またスタッフが足りない時に連絡します』と言われたので、その間はアルバイトでつなぎ、その後『渡なべ』に入ることになりました」(船越さん)

船越さんはこの時すでに32歳。ラーメンの世界に入るにはかなり遅いといえる。

「渡なべ」の現場は大変厳しく、ついて行くのに必死だった。2~3年は怒られっぱなしで、高田馬場の本店から町田の「基 motoi」、神保町の「可以」などグループ内のさまざまなお店を転々とした。

「もともとは『渡なべ』の心臓部ともいえるワークス(セントラルキッチン)に入りたかったのですが、とてもそんな状況ではなく、完全に落ちこぼれ状態でした。

何度も悩みましたが、悔しかったので何とか続けようともがきました。その中でたどり着いたのが、他の人がやったことのない仕事を見つけてくる、やりたがらないことに自ら参加する、ということだったんです」(船越さん)

店主の樹庵さんにくっついて地方遠征をし、徹底的に食べ歩き、全国のラーメンを頭に叩き込んだ。

そんなある日、福岡で食べ歩きをする車の中で、船越さんは樹庵さんにあることを相談した。

「FUJI ROCK FESTIVALのフードブースの応募要項を見つけて、これだ!と思ったんです。他の人がやらないことを自分がやりたいと思っていたので、『フジロックに出店しませんか?』と樹庵さんに相談しました」(船越さん)

樹庵さんはそれを快諾し、船越さんは大好きな音楽の現場で大好きなラーメンを振る舞えるようになった。以降、「渡なべ」のフジロック出店はほぼ毎年続き、今も夏のメインイベントとなっている。

また、2013年頃から「渡なべ」グループの店舗で、全国各地のご当地ラーメンを再現する企画が次々スタートし、船越さんが全国で学んだご当地ラーメンの知識が生かされる時がやってきた。

「この頃からもしかしたら将来自分の店が持てるかもしれないと思い出しましたが、『渡なべ』で働いていることで全国のさまざまなラーメンを作れる貴重な経験ができるので、このまま続けるか独立するかは大変悩みました」(船越さん)

この時点でも船越さんは何十種類ものラーメンを作ってきた。歳は既に35歳になっていた。せめて自分の子どもが中学に入るまでには自分のお店を出そうと決意した。

12年9カ月の修行ののち「桜上水 船越」をオープン

結局船越さんは12年9カ月の修行ののち、2023年1月「桜上水 船越」をオープンした。

「TRYラーメン新人大賞」の受賞や今の行列を見ると順風満帆に見えるが、このお店は本当は前年の11月にオープンする予定だった。オープンが延びたのには理由があった。

独立に向けて、船越さんは漠然と「塩ラーメン」を看板メニューに据えたお店にしようと考えていた。新座にある「ぜんや」のような普遍的な人気を誇る塩ラーメンを自分のラーメンでも描きたいと考えていた。

「渡なべ」時代から、船越さんはイメージモデルがあれば、想像した通りのラーメンが作れるようになっていた。今回もイメージモデルがあった。だが、実際に塩ラーメンを作ってみたがいざ作ってみると不安しかなかったそうだ。

「以前から老舗を中心に食べ歩きをしていたので、いざ独立ということになり今の新店を食べ歩いてみると、そのレベルの高さに焦りを覚えました。

師匠の樹庵さんにはYouTubeで“都内TOP3の実力”“どんなお店にも負けない”と賞賛され、それが逆に完全なプレッシャーになってしまいました」(船越さん)

あまりの新店のレベルの高さに、自分がどこまでやれば良いのかもわからなくなってきて、スープに使う食材はどんどん増えていき、パニック状態になってしまったという。

ここで船越さんは、自分がもともとどんなラーメンを作りたかったのかに立ち返ることにした。

他の店が作っているような新しいラーメンを作りたいわけでもなく、“ノス(ノスタルジック)系”と呼ばれるような古いラーメンを作りたいわけでもない。

船越さんが目指しているのは「普遍的」なラーメン。「普遍的」と言うと、一見古くから伝わる味わいのラーメンを想像するが、そうではなく、流行に左右されずこれから長く愛されるラーメンを作りたいと考えていた。

11月にオープンしようと思っていたが、どんどん時は過ぎていき、家賃だけがかかっていく。

年末には樹庵さんが心配して連絡をしてきた。「あまり他の店を気にしすぎないほうがいい」とアドバイスをくれた。

師匠のアドバイスを胸に、その後、年明けの2週間で一気に仕上げていった。

はじめは清湯(あっさり系)だったが、どんどんスープを濁らせてゼラチン質のある脂を浮かべたパンチのあるスープに仕上げた。麺も150gから200gに増量。スープに合う大きなワンタンを合わせ、インパクトを加えるようにした。

「他にない一杯を目指して作ったつもりでしたが、どこか枠に収まってしまっていたことに気づきました。長く愛される一杯を作るためには、安い材料を使っていても美味しくて量のあるものにすべきだと気づいたんです」(船越さん)

「オープン時は震えるほど怖かった」

こうして、どこのインスパイアでもない「これは何ラーメン?」と言われるような独自の一杯が完成した。

さすがにもう開店しないといけないと思っていたので、もはやこのラーメンでいくしかなかった。

「オープン時は震えるほど怖かったです。しかし最終的には自分のラーメン観がうまく落とし込めた一杯になったかなと思っています。トータル的な完成度を見ても納得できるものになっています」(船越さん)

自分で納得していても、全員が美味しいと言ってくれるとは限らない。いざ店を開くと、ラーメンをハッキリ残して帰る人もおり、船越さんはまた自信を失っていった。

ラーメンファンたちは美味しいと言ってくれるが、樹庵さんに気を遣っての言葉なのではないか?……そんなふうに、半信半疑になる日々だったそうだ。

筆者が「船越」のラーメンをはじめて食べたのが今年3月。

一口食べた時点で確実に「TRYラーメン新人大賞」を受賞する一杯であると確信するほど衝撃的な味わいだった。

今までまったく食べたこともないラーメンであるにもかかわらず、そこにははっきりとした“懐かしさ”が共存していたのだ。

「全国のご当地ラーメンの食べ歩きの結晶」

「ギミックとしては、コショウや親鶏の丸鶏のダシの風味、豚の旨味のアタック感など“懐かしさ”につながるような仕掛けはもちろんありますが、それだけではありません。このラーメンは、私の全国のご当地ラーメンの食べ歩きの結晶なんです」(船越さん)

船越さんは樹庵さんと廻った全国のご当地ラーメンの遠征の中で、各地の横綱店がなぜ横綱になりえるのかを研究してきた。

このラーメンの中には、その一つ一つの技術が詰まっているのだ。

昔ながらの塩漬けメンマをひき肉と一緒に炊く製法、ネギを青い部分も含めて大きめにざっくりと切る旭川ラーメンのようなアプローチ、盛り付けを綺麗にしすぎずスープもどんぶりになみなみ入れるなど、全国のご当地ラーメンの繁盛店を巡って培った「圧倒的に見るからに旨そうなラーメン」の技術を応用したのである。

「ラーメンの絵面も含めてご当地の知恵を注ぎ込んでいます。ラーメンらしさにこだわり、見た目からして『あー、いいよね』と言わせるものを目指しました。これこそが私の狙う『普遍的』なラーメンイズムなんです」(船越さん)

パッと見では船越さんのラーメンは「新しい」とは言われないかもしれない。見た目の綺麗なオシャレなラーメンが一般的には新しいと言われるだろう。しかし、船越さんは「新しい」の捉え方を変えたいと話す。

「見た目も綺麗で味のレベルも高いラーメンが世の中にあふれていて、逆にうちのような見た目のラーメンが新鮮に映るのかもしれません。うちのラーメンが大賞になるということは、この一杯に逆に新しさを感じていただけたのではないかなと思います。

決して新しくは見えないかもしれませんが、他と別のことをやろうと思って作った一杯です。そこに違う意味での新しさを感じてくれたならありがたいなと思います」(船越さん)

船越さんは敬愛する「春木屋」「永福町大勝軒」「丸長」などのように、長く愛される普遍性の塊のような店を目指してまだまだラーメン作りに邁進していく。

「うちはスペシャルティなコーヒーではなく、旨いコーヒー牛乳を作っているようなイメージでラーメンを仕上げています。ラーメンの大衆性を大事にし、肩肘はらずに食べられるものでありたいと考えているからです」(船越さん)

ラーメンが世界から注目され次のステージにいこうとしている中で、ラーメンの本来の良さに注目する船越さん。これから「船越」のラーメンがどうなっていくか期待である。

井手隊長:ラーメンライター/ミュージシャン

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