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春の旅行に最適「美しい街並みを堪能できる国」3選 フランス・オランダ、そしてランタンのあの国

東洋経済オンライン / 2024年4月8日 19時0分

ベトナムは、可愛い雑貨や洋服、フォーやバインミーなど日本でもおなじみの美味しい料理、小柄で愛嬌のある笑顔と人懐っこい性格、海や川や渓谷、そしてジャングルまである大自然と魅力がいっぱい。そこに、強固な民族主義を誇る歴史がスパイスとして加わる観光地です。

①交易の要地として栄える

紀元前4世紀からベトナム北部に〈青銅の短剣〉〈銅鼓〉などで有名なドンソン文化が繁栄しました。その後、秦滅亡の混乱に乗じて南越という国が建国されましたが、前漢時代に滅ぼされ、ベトナム中部に日南郡や現在のハノイに交趾郡などが置かれます。2世紀には中部にチャンパー(林邑)が自立、南部からカンボジアにかけて扶南が成立し、いずれもローマとの交易の拠点となりました。

また、6世紀頃から中部の港町ホイアンもインドと中国の中継貿易で繁栄しています。その後、唐の滅亡によりベトナム人が自立、11世紀初め、都をハノイ(タンロン城)に定めた李朝が建国され、長期的な統一政権(大越国)が始まりました。そして、陳朝ではモンゴルの侵入を撃退、黎朝ではチャンパーを征服して一時南北ベトナムの統一を果たしました。

②フランス領時代の面影

1802年に成立した阮朝は大越国から越南国に呼称を変え、清朝の属国を維持しました。しかし、キリスト教迫害を口実にフランス(ナポレオン3世)が植民地化に乗り出し、まずカンボジアを、その後ベトナムを保護国化します。それを認めない清王朝を清仏戦争で撃破したフランスは、1887年に仏領インドシナ連邦を成立させ、その後ラオスも連邦に組み込みました。

20世紀に入ると、知識人によるナショナリズムが高まる中、日露戦争に勝利した日本に留学生を送る東遊(ドンズー)運動が展開されました。また、第1次世界大戦後には、ロシアでの社会主義革命の影響を受けてインドシナ共産党が成立し、反仏運動を開始します。第2次世界大戦では、フランスに代わり支配者となった日本に対して、ホー=チ=ミンによって結成されたベトナム独立同盟会が反日ゲリラを展開していきました。

③ベトナム民主共和国の建国

1945年の革命で阮朝は滅亡し、ホー=チ=ミンを大統領とするベトナム民主共和国が建国されました。それに対し、フランスは植民地復活を画策し、南部にフランスの傀儡国家(ベトナム国)が生まれ、南北に分裂してしまいました。このインドシナ戦争の結果、フランスは敗北してベトナムから撤退しましたが、ベトナムが社会主義化することを恐れたアメリカが介入、南北の対立は米ソ冷戦の代理戦争と化したのです。そして、1965年からは米軍が本格的に軍事介入し、世にいうベトナム戦争に発展しました。

結局、ジャングル(ベトナム戦争の爪痕を残すクチ・トンネル)などの地の利を得た北ベトナムと南部の共産ゲリラが勝利し、南北は統一され、ベトナム社会主義共和国が成立しました。1986年からはドイモイ(刷新)という社会主義市場経済が導入されたことで、ベトナムは経済成長を果たしました。

SNS映えするスポットの裏にある歴史的な背景を知ってから現地へ行くと、パリのコンコルド広場もホイアンの港町も、もっと味わい深く見えて濃密な旅になりますよ。

佐藤 幸夫:世界史予備校講師

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