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娘が振り返る「山田太一さんが家庭で見せた素顔」 両親の思い出が主題の映画「異人たち」が公開

東洋経済オンライン / 2024年4月20日 13時0分

父の仕事場が家だったので、常に家にいたというのは大きかったと思います。よその家のことがわからなかったので、それが特殊なことだとは中学生くらいまで気づきませんでした。

父はとてもおしゃべりで、大好きな美術館や映画館の話などは、普段の会話の中にあふれていました。けれども、わたしたちを諭すことも、説教をすることもまったくなかったですね。

大学に入るときと、子どもが生まれたときに、こうしたらいいよと言われたくらいで。そのときは珍しいなと思いました。あとはドラマからですね。哲学的な話が多かったので、むしろ文章や映像から、父が考えていることを知ったという感じでした。

海外での映像化の交渉

――今回、映画化の話がイギリスから来たときに、製作会社ナンバーナインのプロデューサーさんがご家族と一緒にお食事をされたというふうにお聞きしました。出版社を通したビジネスライクな感じとはまた違った形で交渉が進められたのかなと思ったのですが。

誰も雇っていなかったため、母や家族が手伝うしかなかった、というところもあります。

その会食に参加したのは弟(石坂拓郎氏)と姉(宮本理江子氏)と父と母です。わたしは子育て真っ最中でして、実家に帰る時間もないような時期でした。

弟は高校からアメリカにいて、映画のキャメラマンでもあるので、映画のことをよくわかっているということもあり、よく母と動いてくれたんですね。

ただ権利関係についてはなかなか煩雑で、スムーズにいかなくて。母がしょっちゅう怒っていました(笑)。

母は3部作(小説として発表された『飛ぶ夢をしばらく見ない』『異人たちとの夏』『遠くの声を捜して』の3作)をイギリスで出版するときは、わたしに3部作のあらすじを要約しろと言ってきたり、家族全員を巻き込んで、みんなでやりたいというのがあったみたいですね。

――お話を聞いていると、お母さまの存在が山田太一さんという作家にとってものすごく大きな存在だったのかなと思うのですが。

そうだったんでしょうね。父はよく「うるさい」って言ってましたけど(笑)。

でも母も「何でも『あらあなた、そうなの?』なんて言ってる奥さんだったら、あの人はドラマを書けなかった」「反抗する妻がいたから書けたのよ」と言ってました。

本当にその通りだったと思います。にぎやかな家族でしたね。喧嘩もよくしてましたし。おしゃべりもいっぱいしてました。やはり母の存在は大きかったんでしょうね。

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