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東武線「群馬の玄関」川俣と茂林寺前に何がある? 伊勢崎線が本領を発揮する「利根川を渡った先」

東洋経済オンライン / 2024年5月1日 6時30分

そんなこんなで、明和町という町の歴史と将来に触れたところで、相良さんが教えてくれた。

「実は川俣駅、最初に開業したときは利根川の南にあったんです」(相良さん)

当時、利根川は東武にとってルビコン川のようなもので、なかなか橋を架けることができなかった。そこで、暫定的に利根川の南に駅を設けた。それが川俣駅のはじまりだ。

だから、川俣駅の名の由来になった「川俣」という地名は、利根川南岸、埼玉県内にある。1903年に利根川南岸に開業した川俣駅は、1907年に利根川北岸の現在地に移転した。

そのとき名前を川俣駅から変えなかったことで、県境を跨いで地名と駅名の不一致、などという珍しい例が生まれたのである。つまり、川俣という北関東入り口の駅は、駅周辺の様相の変貌とあわせ、東武鉄道の歴史にとってもある種象徴的な存在でもあるのだろう。

分福茶釜の茂林寺

川俣駅からまっすぐに北に進むと、館林市内に入って茂林寺前駅だ。その名の通り、茂林寺というお寺が近くにある。分福茶釜の言い伝えで知られる古刹で、観光に訪れる人も少なくない。

「駅から茂林寺までは、ちょうど分福茶釜の物語をたどっていきながらお寺まで歩けるように、道案内の看板も設けられています。昔はもっと参道にお土産屋さんが並んでいてにぎわっていたのだろうなという、そんな面影も残っていますよ」(相良さん)

分福茶釜とは、どんなお話なのか。茂林寺に伝わるものを簡単にまとめると、次のようになる。

代々の住職に仕えていた老僧が、千人法会の折にどこからか1つの茶釜を持ってきた。その茶釜は、不思議なことにいくら湯を汲んでも湯が尽きなかった。老僧は自らこの茶釜を紫金銅分福茶釜と名付け、この茶釜の湯で喉を潤すと開運出世・寿命長久などの功徳に授かると言う。ただ、その後老僧は寝ている間に狸の姿を現してしまい、正体が露見。最後に源平屋島合戦と釈迦の説法の場面を再現し、狸の姿になって茂林寺から去った――。

世に流布する分福茶釜のお話は、これをもとに脚色されたものがほとんど。ただ、共通しているのは湯が尽きない不思議な茶釜と人を化かす狸の物語、ということだ。そんなわけで、茂林寺前駅の駅前にも、狸の置物が鎮座する。信楽焼でよく見かけるアレだ。そして、そのまま駅前の道を案内板に従って進んで行くと、狸に化かされてどこかへ……ではなく茂林寺へ。

映画の舞台になった

ちなみに、分福茶釜や茂林寺、そして茂林寺前駅は、1963年に公開された映画『喜劇 駅前茶釜』に呑福茶釜・呑福寺として登場している。森繁久弥やフランキー堺が出演するドタバタ喜劇で、時代を感じるナンセンスなシーンも目白押し。そして、その中では門前町も描かれている。

映画の中でのにぎわいぶりとは、いまはかけ離れたものだ。それでも、分福茶釜と茂林寺の存在感が損なわれることはないだろう。少なくとも、この駅はいよいよこれから本格的にはじまる伊勢崎線の北関東の旅の入り口なのである。

鼠入 昌史:ライター

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