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「ハチロク」大正から令和まで活躍したSLの記憶 花輪線や五能線での現役時代、「SL人吉」の勇姿

東洋経済オンライン / 2024年5月4日 6時30分

肥薩線の名所、第二球磨川橋梁を渡る「SL人吉」(撮影:南正時)

2024年3月、製造から102年を経過した蒸気機関車(SL)が引退した。JR九州の「SL人吉」を牽引していた58654号機だ。

【50枚以上の写真で振り返る】越美北線を現役で走っていたころの勇姿や、花輪線での3重連、SL人吉の「ハチロク」まで。

この機関車の形式は8620形。1914年から1929年にかけて672両が製造された旅客列車用の機関車で、1970年代まで日本各地で列車を牽引して活躍し、その形式から「大正の名機ハチロク」と言われた。

SL時代の末期まで活躍し、動態復元された58654号機に至っては100年以上の歴史を誇った古参のSLハチロク。その足跡を追ってみよう。

越美北線のお召し列車、花輪線の3重連

8620形は旅客用として全国各地の線区で重宝されたが、戦後は貨物列車にも使われることが多かった。筆者は8620形の均整のとれたスタイルに魅せられ、故郷の越美北線で運用されていたこともあり多数の記録を残している。

まずはその越美北線のハチロクの記憶をたどってみよう。特筆されるのは、1968年10月に開催された福井国体の際、福井と越前大野の間で運転されたお召し列車の牽引に当たったことだ。この時の機関車は28651号機で、その後も同機は長く福井機関区に在籍して走り続け、引退後は同線の終着駅九頭竜湖駅近くに静態保存されている。

福井機関区のハチロクは国鉄長野工場で全般検査を終えた機関車が投入された。88623号機は8620形の原形を保ち、デフレクター(除煙板)なし、化粧煙突の美しい姿で28651号機と共に最後まで越美北線で走り続けた。

【画像】越美北線を現役で走っていたころの勇姿や、花輪線での3重連、SL人吉の「ハチロク」まで(50枚以上)。

筆者がハチロクを追って初めて訪れたのが花輪線である。同線では、安比高原を越える急勾配区間をハチロクの3重連が貨物列車を牽引して力闘していた。まだ若かった筆者はその迫力ある姿に圧倒されてシャッターチャンスを逃し失敗した苦い思い出がある。

東北地方では、五能線で活躍していたハチロクがよく知られていた。筆者は1972年5月に初めて五能線を訪れ、鰺ケ沢近郊でハチロクの牽く貨客混合列車を撮影してカメラ雑誌の口絵を飾った。

当時の五能線は観光客や「乗り鉄」の姿はほぼ皆無で、秘境然としたローカル線だったが、ここを一躍有名にしたのは「男はつらいよ 純情編」(第6作・1971年山田洋次監督)でのロケだった。SLファンでもある山田洋次監督が五能線に目を向けたのは当然のことだったかもしれない。

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