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【倉本聰:富良野風話】決断

財界オンライン / 2021年9月14日 18時0分

以前にも書いたが、もう一度書く。

 海抜零からの発想ということについてである。

 今我々は、とてつもなく進んだ世の中に生きており、便利が当然、当たり前のことになっている。

 たとえば富士山を登る、ということ。昔はふもとから歩いて登ったが、今は五合目まで車で登れる。五合目、2300メートル。3776メートルの富士山の1476メートルを歩いただけで富士を踏破したということになっている。これは甚だおかしな考えである。3776メートルの富士を登ったというのなら、海抜零メートルの駿河湾から登らねばならない。しかし世間では五合目から歩いても富士を登ったということになってしまった。つまり世間での思考の基準は、零という基本点でなく、五合目という、ひどく底上げされた地点になってしまったのである。このことが世の中を狂わせていることに、ヒトは気づかなくなってしまった。

 たとえばオリンピック。たとえばコロナ。たとえば総裁選、解散総選挙。どれをとっても何のためにやるのか、そも何のために必要なのかという大元の意味をみんな見失い、いつもの思考法で、いつものしきたりで、いつものやり方でやろうとするから、新しい事態への対処法が出てこない。これでは物事、解決できるわけがない。

 世の中、進化し、変貌していくということは、ITが発達し、スマホ社会になり、あらゆることが便利になって一瞬のうちに事が片づく。そういうことを言うのではない。

 通信機器が発達し、リモート会議で事が運び、リニアの開発で東京―大阪間の移動時間が短縮され、便利になると喜ぶ人がいる。そういうことを言うのではない。

 それは只、一部の、わずかな人を利するに過ぎず、土を耕して米を作る人、スコップで土砂をとり除いて、通れなくなった道を通れるようにする人、埋もれた人を掘り起こす人。そういう人々の倖せを願い、そういう人々が利するように社会全体を動かすことこそが集団社会の倫理の筈である。

 地球の向こうでは国を失い、流民になってさまよう人がいる。地球のこっちでは小銭が欲しくてIR(統合型リゾート)の是非を叫ぶ人がいる。我々はいつのまにか便利に動かされ、五合目まで車で行けるようになった僥倖(ぎょうこう)を、その足どりを考えることも忘れて五合目の発想で物事を処理せんとする。だがそれは土台ムリなのである。矛盾が組み合わさって立ち上がった建物は一遍の低気圧で簡単に崩壊する。我々は常に海抜零から全てを発想し考えねばならない。

 今日僕は60年近く持っていた運転免許証を返納した。山合いに住む僕にとって免許証を捨てることは大きな決断だった。だが、3日前に受けた認知症テストで、記憶力・判断力が少し低くなっていると申し渡された。致し方なくもういちど、海抜零地点に戻ることにした。

【倉本聰:富良野風話】 黒い点

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