あの人も? 子役時代から活躍し続けている芸能人

2018年9月3日更新

坂上忍や生田斗真など、幼少期から芸能界で活躍して現在もトップで活躍し続けている俳優・女優・タレントは少なくありません。中には「現在活躍中のあの人にも実は意外な子役の過去が…」という例も。そこで今回は、子役経験のある芸能人を紹介していきます。

子役の過去を持ち今も第一線で活躍中の芸能人

坂上忍

3歳から劇団に所属、テレビドラマの子役としてデビュー。近年は俳優として活躍。また、芸能プロダクションを設立し、子役の育成に力を注いでいる。2012年、テレビのバラエティ番組出演をきっかけに毒舌キャラが注目され、引っ張りだこに。テレビ「バイキング」の司会をはじめ、テレビで見ない日がないほど活躍されています。

少し古め(2014年)の記事ですが、子役時代の印象が強い男性芸能人についてアンケートが実施され、以下のような声が寄せられています。

■子役からの数少ない生き残り。[男性/50代/その他]
■「長嶋監督ごめんなさい」で涙の名演技。[男性/40代/会社員]
■昔、「カックラキン大放送」に出てたのが、印象的。[女性/50代/会社員]

ちなみに、票数によるランキングで坂上は5位になっていました。

長澤まさみ

子役のイメージはない人もいるかもしれませんが、12歳で「東宝シンデレラ」グランプリに選ばれた直後に映画デビューして、雑誌『ピチレモン』の専属モデルとしても活躍するなど、若い頃から芸能活動しています。

1987年6月3日生まれ、血液型A型、静岡県出身。
2000年1月、第5回『東宝シンデレラ』でグランプリに選ばれる。『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年)で第27回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、以降数多くの映画、ドラマに出演。近年では舞台、台湾ドラマへの主演など活動の幅を広げている。『海街diary』(2015年)にて、日本アカデミー賞など数々の賞を受賞。2016年NHK大河ドラマ『真田丸』に出演。
近年の彼女は、是枝裕和監督の『海街diary』(2015年)や、黒沢清監督の『散歩する侵略者』(2017年)といった、作家性の高い作品で確かな存在感を発揮する一方で、セクシーなダンスや歌に初挑戦したミュージカル『キャバレー』しかり、福田雄一監督の『銀魂』(2017年)の志村妙役で見せた衝撃的なヘン顔しかり、女優としての潜在能力が徐々に開花されている感があります。

生田斗真

ジャニーズ事務所の数少ない専業俳優としてドラマや映画で活躍している生田斗真。子役としては、NHK教育『天才てれびくん』の“てれび戦士”としての活動が知られています。

生田といえば、同世代の嵐、関ジャニ∞と違い、役者業1本のイメージが濃い。しかし、10代のころは歌って踊るアイドルだった。
生田は、11歳で入所したわずか2カ月後、NHK『天才てれびくん』のオーディションに合格したスーパールーキー。そのころにも、意外なタレントと音楽活動を共にしている。 「番組内でバンドを組みました。一緒に出ていた当時の子役タレントだったウエンツ瑛士、前田亜季がメンバーです。バンド名は『ストロベリーパフェ』。番組内だけの活動だったので、広がりはありませんでしたが、今の斗真を思うと貴重な時代です」

小栗旬

現在放送中の大河ドラマ『西郷どん』では坂本龍馬役、公開中の映画『銀魂2』では主演を務めるなど、まさに第一線で活躍する小栗旬のデビューは小学校6年生の時。しばらく泣かず飛ばすでエキストラのような仕事しかなかったそうですが、1998年に大ヒットした学園ドラマ『GTO』や2000年の堂本剛主演ドラマ『Summer Snow』への出演で注目されるように。

'94年に芸能活動をスタートさせ、子役として単発ドラマなどに出演していた小栗だが、初めて連ドラレギュラーを務めたのは「GTO」('98年フジ系)。
1998年放送の学園ドラマ「GTO」(フジテレビ系)にて、いじめられっ子の吉川のぼる役で一躍知名度を上げた小栗。しかしそれより前に、すでに歴史モノに出演を果たしている。
1996年、大河ドラマ「秀吉」(NHK)では、石田三成の幼少期である石田佐吉役を好演。涼しい目元、そして堂に入った立ち振る舞いは、すでに未来の活躍を予感させるものであった。

岡田結実

お笑いコンビ「ますだおかだ」の岡田圭右と元お笑い芸人で昨年からタレント活動を再開した岡田祐佳が両親という、芸能界のサラブレッド。そういった家庭環境だっただけに、随分と小さい頃から芸能活動をしていたようです。

最近出始めたイメージのある岡田だが意外と芸歴は長く、1歳の時からモデルとして活躍していた。そして2010年から13年にかけては『天才てれびくんシリーズ』(NHK)にレギュラー出演。バラエティの印象が強い岡田だが、グラビアで水着姿を披露することもあり、「普通に可愛いからまいっちゃう」「女から見ても、この子は凄い美人な部類」「目鼻立ちがキリっとしていて憧れる」といった反響が起こっている。

宮沢りえ

日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞など数多くの受賞歴を持ち、今では演技派女優というイメージが定着した感もある宮沢りえ。デビューは11歳の時でした。

宮沢が芸能界を目指したきっかけは、10歳の頃に見た伝説的モデルの故・山口小夜子が出演するテレビCMにあった。11歳の時にモデルを志し、テレビCMや「週刊セブンティーン」の表紙に抜擢され、デビューを果たす。
11歳で『週刊Seventeen』のモデルとして芸能界デビューし、14歳の時に『三井のリハウス』CMで初代リハウスガール・白鳥麗子を演じて大注目を集め、宮沢は一躍トップアイドルとなりました。17歳の時にはふんどし姿のカレンダーを出して大反響となり、その翌年に出したのが『Santa Fe』でした。

戸田恵梨香

2005年のドラマ『エンジン』『野ブタ。をプロデュース』で注目を浴び、翌年の映画『デスノート』でブレイクを果たして以降、人気若手女優としての道を歩んできた戸田恵梨香には、ジュニアアイドルをしていた過去もあります。

女優の戸田恵梨香は、小学生のころから芸能活動を開始している。
06年、映画『デスノート』のヒロイン、弥海砂(あまね・みさ)役で注目されるまでの間、彼女はジュニアアイドルとして、イメージビデオや写真集などをリリースしていた。きわどい水着姿を拝めるということでマニアの間では、これらの作品はお宝化されているという。

宮崎あおい

4歳の時からCMや雑誌などに登場し、13歳頃に大林宣彦監督作品『あの、夏の日』で映画デビューという経歴を持っています。

4才より子役として活動。ミュージカル『星の王子さま』でゴールデン・アロー賞を受賞し、女優としても注目され、2008年には22才でNHK大河ドラマ『篤姫』の主演に抜擢。歴代最年少の主役となる。2015年NHK連続テレビ小説「あさが来た」では、「今井はつ」役を演じる。
子役時代から実に30年近いキャリアを持つ宮崎は、日本の映画監督にとっては一時期まさにミューズで、数々の主演映画が制作されてきた。NHK朝ドラも大河も主演を経験し、今や大御所女優の風格がある。

ウエンツ瑛士

先日、芸能活動を一時休業してロンドンへ留学することを発表したウエンツ瑛士も幼少期から活躍しています。

「ウエンツさんは幼少期に芸能界デビューを果たし、子役として活躍。音楽方面でも才能を開花し、小池徹平さん(32)とのユニット・WaTでは紅白歌合戦(NHK総合)に出場して話題を呼びました」(舞台関係者)
バラエティ番組の印象の強いウエンツだが、役者デビューは9歳のときに出演した劇団四季のミュージカル「美女と野獣」。12年以降は1年に1回の頻度でミュージカルに出演し、市村正親(69)や大竹しのぶ(61)といったそうそうたる俳優陣と共演している。

蒼井優

デビューは国民的ミュージカル『アニー』のポリー役。ローティーン雑誌『ニコラ』のモデルも務めるなど、若い頃から活躍しています。

1985年8月17日、福岡県出身。99年、14歳のときミュージカル「アニー」のオーディションで1万人の中からポリー役に選ばれ舞台デビューした後、岩井俊二監督の『リリイ・シュシュのすべて』(01)のヒロイン役で映画デビュー。翌年10代目三井のリハウスガールに選ばれる。その後『花とアリス』(04)で初主演、李相日監督『フラガール』(06)で日本アカデミー賞の最優秀助演女優賞と新人俳優賞ほか多数の賞を受賞。近作に『オーバー・フェンス』(16)、『東京喰種トーキョーグール』、『家族はつらいよ2』、TBS系ドラマ「ハロー張りネズミ」(17)など。

夏帆

小学生時代にスカウトされ、2003年から芸能界活動を開始。ティーン向け雑誌『ピチレモン』などでモデルを務め、04年には女優デビューを果たしています。

1991年6月30日生まれ。東京都出身。2004年に女優デビュー。2007年公開、初主演映画『天然コケッコー』で日本アカデミー賞を始め数々の新人賞を受賞。以降、『うた魂』『砂時計』『海街diary』など多数の映画、ドラマで活躍。2017年には映画『22年目の告白 -私が殺人犯です-』やドラマ『監獄のお姫さま』に出演し、2018年は『友罪』が公開。現在ドラマ『グッド・バイ』が放送中。ベストセラー原作の映画『ビブリア古書堂の事件手帖』の公開が11月に控える。

大沢あかね

長澤まさみや夏帆と同じように『ピチレモン』のモデルとして活躍し、『天才てれびくん』の“てれび戦士”の経験もあるという、子役界のエリートとも言える経歴を持ちます。

子役モデル時代を含めて9歳からタレント活動を行ってきた大沢が、夫である劇団ひとりと入籍したのは2009年のこと。
“テレビ戦士”と呼ばれる子役たちが日常のさまざまな疑問を解き明かしていく人気番組『大!天才てれびくん』(NHK教育)。かつてはウエンツ瑛士(26才)や生田斗真(27才)、大沢あかね(27才)らが子役として活躍した、“人気タレントの登竜門”との呼び声も高い番組である。

深津絵里

「カワイイ大人」の代表格、深津絵里さん。そばかすがキュートでとても可愛いです。実は13歳でデビューしており、来年で芸歴30年になります。15歳の時に出演したJRのクリスマスCMが話題となり一躍スターとなりました。
今のお姿は「若い!」と評判の深津さんですが、このCMでは逆に15歳にはとても見えない大人っぽさ。真っ赤な口紅がセクシーでした。
そんな深津さんのデビュー映画は、1988年の『1999年の夏休み』です。少女マンガ界では伝説的な名作『トーマの心臓』を原案とした作品。寄宿舎で夏休みを過ごす4人の少年の禁断の愛などが描かれています。

奥菜恵

清純派女優として13歳でデビューを果たした奥菜は、『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』『若葉のころ』『青の時代』などへの出演でブレイクした。

ちなみに、デビュー作は1992年のフジテレビのドラマ『パ★テ★オ』で、この時の役名を事務所スタッフが気に入ってそのまま使っているとか。

子役時代のイメージが強すぎる(?)芸能人

安達祐実

芸歴34年の女優・安達祐実。1994年の大ヒットドラマ『家なき子』(日本テレビ系)で主人公を演じ、大人顔負けの演技を見せつけ大ブレイクをはたす。2児の母となった今もその愛らしさはそのままに、さまざまな役柄を演じて女優としての活躍を続けている。

芦田愛菜

まだ14歳ですが、子役のイメージが強い芸能人のひとりですよね。

7歳のときにドラマ『マルモのおきて』(フジテレビ系)に出演し、「薫と友樹、たまにムック。」としてリリースした『マル・マル・モリ・モリ!』で一世を風靡。2013年には映画『パシフィック・リム』でハリウッドデビューを果たした。最近では有名私立中学に進学したことも話題になったが、女優業も精力的にこなし、今月には声優を務めた映画『劇場版ポケットモンスター みんなの物語』が公開された。

鈴木福

鈴木福もまだ14歳。最近ではその成長ぶりが話題になっています。

鈴木福は『マルモのおきて』で芦田の弟を演じ、その後はテレビドラマを中心に活躍。最近では赤鬼役として、CM「au三太郎シリーズ」の一員となっている。プロ野球・広島東洋カープの熱狂的なファンでも知られ、中学では野球部に入部したことを明かしている。
11年のドラマ「マルモのおきて」(フジテレビ系)でブレイクを果たした福くんも、今や中学生だ。
「福くんは声変わりだけでなく、身体的にも成長真っただ中。足は26センチを超え、腹筋も割れてきているそうです。いっぽうでは年ごろということもあり、最近のテレビ番組では思春期と聞かれることへの戸惑いも明かしていました」

えなりかずき

NewsCafeでは「子役時代の印象が強い男性芸能人といえば?」というアンケートが実施されたらしい。ランキングとともに寄せられた声をご紹介しよう。
【1位】えなりかずき(48.8%)
■強すぎでしょ(笑)。[女性/20代/会社員]
■子どもだかオジサンだか不明な風貌。[男性/40代/自営業]
■えなり君は「渡鬼」で成長を見続けてきたから、なんだか親戚の子みたい。今は芸能人ではないがケンちゃん、宮脇康之(現宮脇健)こそ子役のスーパースターだった。[女性/50代/主婦]

美山加恋

美山加恋といえば、2004年に放送されたSMAP・草なぎ剛主演ドラマ『僕と彼女と彼女の生きる道』(フジテレビ系)で、主人公の娘“凛”役を若干7歳で熱演。子供ながら大人顔負けの泣きの演技は多くの視聴者の心に響き、涙を誘い、ドラマは平均視聴率20.8%の大ヒットを記録、一躍注目を浴びた大人気子役だ。
その後、数々のテレビドラマ、映画、舞台など幅広く活躍。昨年放送されたアニメ「キラキラ☆プリキュアアラモード」では主人公の声優も務め、今年はアニメ「アイカツフレンズ!」の声優も務めます。

間下このみ

83年にキッコーマンの「ガンバレ!玄さん」のCMに出演するや、一躍国民的子役スターへと駆け上がった間下このみ(38)。現在は1児の母となり、タレント・写真家として活躍中だ。

2004年に26歳で結婚するも、06年に死産を経験。その後「抗リン脂質抗体症候群」という2万人に1人の難病と宣告されました。

「あまり知られていないこの病気を認知してもらいたい、とテレビを通じて発表したんです。するとそれを見た、この病気のデータを持つ大学病院の先生から連絡をいただいて。それから毎日、血液が固まるのを抑制する注射を打ちに病院に通いました。子役時代で海外のロケで熱を出したとき、ものすごい太い針で注射されて卒倒して以来、注射がトラウマだったのですが、それでも生まれてくるわが子のためなら、そんなことくらいと思えて。きっと母として生きる決心ができたんでしょうね」