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【エンタがビタミン♪】日野原重明先生“地下鉄サリン事件”で患者640名を受け入れた真相 佐藤健が感慨「思い続けることが大事」

TechinsightJapan 2017年12月17日 20時37分

現役の医師であり続けた聖路加国際病院名誉院長・日野原重明先生が今年の7月18日に他界した。2016年の年末から取材に応じたものが9月28日に『生きていくあなたへ 105歳 どうしても遺したかった言葉』(日野原重明著)として出版され、12月15日の『中居正広の金曜日のスマイルたちへSP』(TBS系)では日野原先生とその本に大きな影響を受けたという、iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授へのインタビューを放送した。

山中教授の研究がまだあまり注目されていなかった2010年のこと、新聞記事で日野原先生が山中教授について「早晩ノーベル賞を受賞すると信じている」と評価してくれたことにより力づけられ、やがて再生医療の実現につながるiPS細胞を初めて作製したことで2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞する。その山中教授が日野原先生の著書から「感銘を受けた3つの言葉」について語った。

スタジオゲストの佐藤健は以前、日野原先生をテレビで見た時に100歳を超えているとは思えぬほど「本当にお元気だった」という。安住紳一郎アナウンサーが「96歳の時でも週に一度は徹夜されていたらしいです」と情報を補足したところ、MCの中居正広や共演者たちが改めて驚いていた。

山中教授が感銘を受けた1つ「迷ったら遠くを見つめる」には、日野原先生の次のようないきさつがある。第二次世界大戦による東京大空襲の時、日野原先生は聖路加国際病院の若手医師だった。焼け野原となった街で多くの人々が苦しむのを目にしながら病院では収容しきれなくて救うことができず「大災害に対応できる病院」の必要性を痛感する。

時は過ぎ、1992年に病院を大改築することとなり日野原先生は大人数の救命処置が可能な設備を計画するが、医師仲間は「そこまでする必要はないだろう」と笑っていた。そんな時にあの大空襲での体験を思い出して、計画通りの大病院にした。ホテルのような広々としたロビーを見て「ずいぶん豪勢だね」「先生は贅沢ばかりしますな」と皮肉る人もいたそうだ。

そんななか1995年3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、多くの被害者が出る。ニュースでは駅付近の路上で苦しむ人々の姿が映ったが、救急車で搬送しても受け入れ先が足らなかった事実はあまり知られていない。

聖路加病院にも救急車が入り、救急隊員から「受け入れる病院が足りません、なんとかお願いします」と訴えられた日野原先生は、外来を中止するよう指示して「全ての患者をうちが引き受けます」と告げた。

あの広々としたロビーや礼拝堂にも酸素吸入など救命処置ができる設備が整っており、医師や看護師が休みの者も駆け付けて総動員で対応に当たる。日野原先生はその時「第1日目の収容患者総数は640名」と発表、関わった病院スタッフは1200名という。

日野原先生の言葉「迷ったら遠くを見つめる」とは「新しいことを始めるとき、そして周りの人がそのことを理解せず反対されたとき、遠くを見つめるということを思い出してください」というもので、山中教授は「研究者にとって、本当に有難い言葉」だと噛みしめていた。

“地下鉄サリン事件”にまつわるそのような事実を知った佐藤健は、日野原先生の言葉について「大空襲の時に感じた気持ちを忘れずに持ち続けるのが大事なんだな」と感じ入った。彼は映画『8年越しの花嫁 奇跡の実話』(12月16日公開)で主演しているだけに重なるところがあったようだ。

山中教授は感銘を受けた日野原先生の言葉としてあと2つ挙げている。「人生を人のために捧げる」は日野原先生が1970年、58歳の時にヨド号ハイジャック事件に遭遇しながら奇跡的に生還して「僕はあの時、一度死んだのだと思っています…」と残りの人生を他者のために捧げようと誓ったものだ。105歳まで現役にこだわったのもその思いからではないか。

さらに日野原先生はクラーク博士の「ボーイズ ビー アンビシャス」に触れながら「私は感謝に満ちた気持ちで“キープ オン ゴーイング”」と告げた。「キープ オン ゴーイング、前進また前進を私たちは続けなくてはならない」との意味である。

山中教授は最後に「日野原先生が残されたことをどう受け継いでいくかが私たちの課題だと思う」と締めくくった。日野原先生の言葉は医師や科学者だけでなく、あらゆる仕事や日常生活で力となったり救ってくれることだろう。

画像は『映画『8年越しの花嫁 奇跡の実話』 2017年12月15日付Twitter「#ハチハナ 名セリフ」』『日野原重明 2017年1月7日付Facebook』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)

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