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【エンタがビタミン♪】斎藤工の宣伝力がすごい 無名だった永野のDVDを編集し現場で配る ラッセンネタにも助言

TechinsightJapan 2020年7月16日 19時51分

ボブヘアをかきあげて水色のシャツ、赤いパンツ姿で奇声を発しながら「ゴッホより~、普通に~、ラッセンが好きー!」と歌うラッセンネタでブレイクしたピン芸人・永野。1995年から芸能活動していたものの芽が出ずにいたが、2016年上半期には109番組(ニホンモニター調べ)に出演するほど引っ張りだこに。俳優の斎藤工はこれまでテレビ番組などで“自分のイチ推しの芸人”として永野を挙げて彼のPRに貢献してきたが、実はそれだけでなくブレイク前の永野を斎藤自ら関係者に積極的に宣伝していたという。

13日深夜放送のテレビ朝日系『しくじり先生 俺みたいになるな!!』には、永野が“等身大の自分に自信がなかったから変人のフリしちゃった先生”として授業を行った。

芸人デビュー時から所属していたホリプロから、28歳のときにクビを言い渡された永野。さまぁ~ずのライブの舞台転換を全裸で行ったり、泥酔状態でステージに上がったり、数々の問題行動を起こしてきたためだが、その後は仕事が一切無くなった。家賃24,000円の風呂無しアパートで、在宅しているのを昔の仲間に気づかれたくないため暗闇のなかで生活していた永野は、自主ライブを行っても客は友達を入れて4人という日もあり、日雇いの仕事でなんとか生活を立て、まさにどん底の暗黒の日々を送っていた。しかしある日「行くところがないならうちの事務所に来ないか」とライブ仲間が誘ってくれたことが転機に。そこで「再び頑張ろう」と決意し、ラッセンネタが誕生する。

ラッセンネタについて「今ここだから言いますけど、このネタは偶発的に生まれたのではなくてものすごく狙って作りました」と満を持してのネタだったと永野は明かす。ネタのときにかかるポコポコという曲を事務所のスタッフに作ってもらったところ、「けなしながらも笑っている自分がいるのは事実。これはすごいことになるんじゃないか」とヒットを確信したという。

その頃TBS系演芸番組『日10☆演芸パレード』に出演した永野は、司会をしていた斎藤工と出会う。オンエア上では容赦ない言葉を浴びせた斎藤だったがその後、斎藤が監督を務めた映画への出演を全く売れていない永野にオファーしてきた。そこでラッセンネタを披露したところ、斎藤が「こっちの方が面白いじゃないですか!」と演芸番組でのネタよりもイケると断言したのだ。曲は同じでもいろいろな歌詞のパターンを永野は映画用に披露したが、実際にその映画『バランサー』(2014年)でもラッセンネタが使われている。これで自信をつけた永野はライブでもラッセンネタを中心にやり続けるようになった。

また永野は、感謝の気持ちから斎藤工の誕生日に自分のネタを集めたDVDをプレゼントしたそうだ。すると「工くんがいろんな撮影現場でそれをコピーして配ってくれた」と永野が明かすと、スタジオでは「えーっ!」「すごーい!」と驚きの声があがった。それも渡す人によって「この人にはまだ伝わらないかなと思えばソフトバージョン、こういうクセのある芸が分かるだろうなという人にはハードバージョンと自分で編集して宣伝隊長やってくれた」と永野は感謝する。この斎藤の宣伝力には生徒の平成ノブシコブシ・吉村崇も「すごいな…」とつぶやいた。ホリプロを辞めたときには、それまで「永野さんはすごいな」と言ってくれた後輩もさっといなくなったという。斎藤工の存在はそんな永野にとって全幅の信頼を寄せられる心強いものだったのではないか。



こうしてブレイクした永野だが、その後も斎藤との関係は続き、2019年は斎藤工と永野、俳優で音楽プロデューサーの金子ノブアキ、映像クリエイターの清水康彦が集い、プロジェクト「チームMANRIKI」を結成。斎藤工が主演で永野も出演している映画『MANRIKI』は、永野の原案・原作に、プロデューサー・斎藤工、監督・清水康彦、劇中音楽は金子ノブアキが担当している。撮影以外にもプロモーションや舞台挨拶で斎藤も永野も穏やかな楽しそうな笑みを見せていて、さらに親密になったようだ。

この投稿をInstagramで見る 永野(@naganoakunohana)がシェアした投稿 - 2019年 3月月27日午後6時46分PDT

画像は『MANRIKI 2019年11月27日付Instagram「テレビ出演情報」、2019年12月10日付Instagram「宮崎県の皆様」、2019年11月15日付Instagram「仲良しショット」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 関原りあん)

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