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NHK朝ドラ『ブギウギ』で“最恐の存在感”を発揮した43歳女優。シビれる必殺フレーズも

女子SPA! 2024年3月30日 8時45分

 第2次世界大戦中から翻り、戦後の日本人は敵国だったはずのアメリカ伝来の音楽に身体を揺らした。

 中でも国民的なブームになったのが、ブギのリズム(発祥はアフリカ)。音楽による時代の大転換を鮮やかに描いたのが、2023年度後期朝の連続テレビ小説『ブギウギ』(NHK総合)だった。

 コラムニスト・加賀谷健が、最終回を見終えた今、本作“最恐”の存在感を発揮したと感じる菊地凛子を読み解く。

◆ねっとり強烈なブルースの女王

 朝ドラ『ブギウギ』のモデルは戦後を代表する稀代の歌い手、笠置シズ子だった。趣里扮する福来スズ子のブギの女王感にばかり気を取られながらも、もうひとり、ブルースの女王も忘れずにとしきりに思いながら筆者は本作を見ていた。

「買物ブギー」のあの早口言葉みたいな歌い方は、今でこそクセ強最強の桑田佳祐的な歌い回しの元祖といってもいいのだが、笠置のライバルとして登場するブルースの女王、淡谷のり子は、ねっとり強烈な人だ。

 1990年代あたりの晩年の映像を見ると、紫髪にごっついメガネをかけた淡谷の出で立ちと毒舌に震えあがる。淡谷のモノマネを得意のレパートリーにしていたコロッケですら、全然誇張なしに思えるくらい、ほんとに強烈。

 そんな淡谷をモデルとするのが茨田りつ子(菊地凛子)。第5週第23回では、梅丸少女歌劇団の看板歌手としてキャリアを積みながらもタップダンスで目を引く秋山美月(伊原六花)の引き立て役じゃないかともやもやするスズ子が、ラジオであの名曲を耳にする場面が秀逸だった。

◆戦中ポップスを代表するナンバー

 流れてきたのは、1933年にリリースされた「別れのブルース」。周りの人たちは「辛気臭い」というが、スズ子は「ビリビリきた」と心の中で熱いものをその歌声から感じる。

 スズ子が同曲を耳にしたのは1937年という設定。盧溝橋事件に端を発して日中戦争が勃発した年である。淡谷を代表する「別れのブルース」は、実はリリース当初はまったくヒットしなかった。戦中の雰囲気には合わず、日本国民からもレコード会社からも日本風ブルースは理解されなかったよう。

 作曲は服部良一。ドラマ内では羽鳥善一として草彅剛が演じる。「別れのブルース」に「ビリビリきた」スズ子は、羽鳥の薫陶を受け、10年後の1947年にリリースされる「東京ブギウギ」で戦後最大のスター歌手になった。

 一方、「別れのブルース」は、満州で演奏していたジャズトランペッターが取り上げたことで再評価され、同曲は結果的に大ヒットし、日本の戦中ポップスを代表するナンバーとなる。

◆日本独自のブルースを開拓

 淡谷のり子がほんとうにすごいのは、ある意味では彼女を置いて他には世界に通用する歌手はいないということ。「別れのブルース」や「雨のブルース」など、タイトルにブルースと入っているが、アメリカ南部ミシシッピ発祥の音楽ジャンルであるブルースとは実は似て非なるもの。

 ブルースに「The」をつけて発音すると「憂鬱」を意味するのだけれど、まさにこの憂鬱な雰囲気が淡谷のブルースナンバーとして精神的に流れていると解釈できる。本場のブルースとは全然違うけど、日本独自のブルースではあるという。

 言わば、淡谷は別ジャンルとしてのブルースを遠く日本で確立した開拓者だった。そこから日本ブルースのフロンティアは広がり、1970年代の演歌まで脈々とつながる。

 淡谷のり子がいなければ、『夜明けのブルース』の五木ひろしだってきっとデビューしてなかったんじゃないか。日本独自のジャンルを開拓した淡谷の功績は計り知れない。

◆さりげなくもシビレるフレーズ

 その意味で、彼女こそ日本最大の世界的なスーパースターだと筆者は思うのだが、スズ子を鼓舞したラジオから流れる声だけですごい凄みを利かせる菊地凛子の演技もただ事じゃない。

 スーパースター淡谷のり子を演じるというのに、菊池は物怖じするどころか、どっしり堂々としている。第9週第45回、梅丸学劇団の解散で悶々とする毎日のスズ子がふらりと観に行ったのが、りつ子のコンサート。

「別れのブルース」のワンコーラスを聴けば、スズ子同様に視聴者も息を呑むしかない。感動して楽屋に押しかけてきたスズ子を軽くあしらいながらも、りつ子はこう言う。「こんなご時世いつ歌えなくなるかわからないんだよ」。さりげない口ぶりだが、これはシビレる。必殺フレーズだ。

◆本作最恐の存在感

 戦中に歌を歌うということは現在では考えられないほどの緊張感がある。歌手たちは常に軍部の監視下にあるからだ。りつ子のような反骨の歌い手ならなおさらのこと。

 青森出身の淡谷自身はそうした強情な態度を津軽方言の “からきじ”と呼んだ。あの必殺フレーズは、まさにからきじの覚悟を物語っている。

 りつ子の登場回で最大の見せ場となったのが、第14週第66回だった。りつ子の姿は鹿児島の海軍基地にあった。特攻隊員へ向けた慰問公演。「皆さんのお望みの歌を」と問いかけたりつ子に対して、隊員たちは口々に「別れのブルース」をリクエストする。

 日本独自のブルース調とはいえ、アメリカ伝統のルーツ音楽を歌うことはご法度。特攻隊員の覚悟に対するせめてものからきじの覚悟を表明したのだ。

「特攻隊のときだけは、わたし初めて舞台の上で泣きました」(「歌に恋して85年」1992年放送)と淡谷は言っている。

 ドラマ内では、歌い切り、静まり返った舞台袖でりつ子は泣き崩れる。菊地凛子の名演あってのこの名場面。

 絶対的に過酷な現実に対して物語の中で淡谷のりこの涙を再現する菊地こそ、本作最恐の存在感だったと思う。

<文/加賀谷健>

【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu

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