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核協議合意で接近する米・イラン関係 - 酒井啓子 中東徒然日記

ニューズウィーク日本版 2015年7月16日 11時15分

 二週間も延び延びになっていたイランの核開発を巡る協議は、14日、ようやく決着がついた。イランは、今後ウラン濃縮は原子力発電用のみの濃縮度合いにとどめ、IAEAの国内施設の査察を認めるなど、核開発を制限し、その見返りに、イラン向けに課されてきた経済制裁を解除する、ということで、両者合意したのである。本来ならば先月中に決着がつくべきところ、期限は三度も延期された。

 この合意が重要なのは、核開発が本当に止まるかどうかではない。1979年、イラン革命から9か月後に発生した在イラン米国大使館人質事件以来、初めてイランと米国が外交上歩み寄った出来事だからである。そもそも二年前、ロウハーニがイラン大統領に就任したことを契機に、ロウハーニが国連総会に出席するため渡米したり、並行してザリーフ外相がケリー国務長官と会談したりと、閉ざされていた両国関係は動き始めた。その流れで、米、イランを含む六か国による核開発協議が開始されたのだが、2013年11月に「第一段階の合意」が成立したあとは進展のないまま、今に至っていたのである。

 協議の行方がどうなるか、決裂の懸念もささやかれていたが、米政権の対イラン接近という方向性には変わりようがなかったといえよう。なにより「イスラーム国」(IS)対策上、米政権にとってイランの協力は不可欠だからだ。イラクに入り込んだISを追い出すには、シーア派志願兵を中心とした「人民動員組織」に頼る他ないが、その人民動員組織を実質的に指導、監督しているのは、イランの革命防衛隊だ。

 いや、ISのことがなくとも、米政権がイランとの関係改善を模索したことは、過去にもある。クリントン政権期、当時のオルブライト国務長官がイランに譲歩した態度を示したことがあった。残念ながらこの時は、穏健派ハータミー大統領の国内での勢いが下降路線にあって、このラブコールは通じなかった。いずれにしても、域内大国であるイランを無視して中東情勢の安定化は難しい、という認識は、オバマ政権のみならず米国の政策決定者の間ではある程度共有されてきた。

 この米国の姿勢は、当然ながら、反イランを掲げる同盟国の神経を逆撫でしている。イスラエルのネタニヤフ首相は、これまでも繰り返し、協議合意に反対の意向を示してきたが、今回の合意を受けて、「歴史的な大間違い」と怒り心頭だ。

 だが、イスラエル以上に怒りと危機感を覚えているのが、サウディアラビアである。これまで米国の後ろ盾を当然視してきたサウディとしては、仇敵イランにその地位を奪われるのでは、と危惧している。その危惧は杞憂ではない。「Gゼロの世界」を提唱したアメリカの政治学者、イアン・ブレマーは、「この後10年以内に、アメリカとイランとの関係は、サウディアラビア以上に密接なものとなっているだろう」とつぶやいている。

 最大の対米同盟国という地位を失うだけではない。サルマン国王になってからのサウディアラビア王政は、欧米のサウディ研究者が「パラノイア状態」と呼ぶほどに、宗派抗争への思い込みを強めている。そしてその背景にイランがいると、妄想とも言えるほどにシーア派を危険視している。協議合意を受けてサウディアラビアのあるコラムニストは、「このような形でイランと合意が成立したら、イランはますますシーア派の武装勢力に肩入れするばかりではないか」、と怒りをあらわにした。

 このように、なによりもイランを最大の敵とみなし、米国の対イラン接近に危機感を感じているサウディアラビアとイスラエルが、こっそり裏でつながろうとしたところで、驚くことではなかろう。サウディアラビアは、イスラエル国家を決して認めていない。しかし今月初め、サウディアラビアの大富豪で故アブドッラー国王の甥にあたるワリード王子が、サウディの日刊紙「ウカーズ」に対して、イスラエル訪問の用意があるとの発言を行った。イスラエルが占領しているエルサレムに巡礼に行く、という趣旨だが、サウディの要人がイスラエル行きを公言したことは、各方面に衝撃を与えている。この発言を受けてイランでは、「やはりサウディはシオニストとつながっていた!」と、非難轟々のツイッターやブログが飛び交った。

 そもそも、「サイクス・ピコ体制打破」と息巻いて、第一次大戦後の西欧植民地支配で押し付けられた中東の国境を否定するISが、その「押し付けられた国境」の最大の例であるイスラエルを真っ先に攻撃対象にしないのはおかしい、という声は、アラブ人から頻繁に聞かれる意見だ。それは、ISがイスラエルとつるんでいるからに違いない、という結論に至る。そして、ISを間接的に支援し肥大化させてきたのは、アラブの王政・首長制諸国の金持たちだ。サウディアラビアとイスラエルはつながっていてISを手先にしている、というアラブ人の間でささやかれる俗説は、ワリード王子の発言を聞けば、ますます信憑性を持って受け止められていく。湾岸の航空会社の飛行機は、かつてはイスラエル上空を大きく迂回して北上していたものだが、最近は真上とはいかずとも、ぎりぎりの海岸線を通っているようだ。少なくとも、ルートマップ上で迂回しているようなふりをするだけの衒いは、ない。

 それにしても、イランと米の間で合意が成立した翌日に、日本では安保法制が採決されるとは、なかなか示唆に富んだタイミングだ。「ホルムズ海峡に機雷がまかれたら」という想定が繰り返し主張されるが、まさに事態は真逆になりつつある。米国とようやくパイプが開けたイランが、ホルムズに機雷を撒くはずもない。いや、もしホルムズに火の手が上がるなら、米国に見捨てられた元同盟国サウディと、新たなパートナー、イランとの間の冷戦状態が熱戦になるときかもしれない。あるいは、5、6月に起きたモスク爆破事件のように、ISがサウディとクウェートでの活動を本格化したときだ。

 さて、そんな誰もほぐすことのできない複雑に絡んだ紛争のど真ん中に、わが自衛隊は機雷を拾いに行って、無事に済むと本気で考えているのだろうか?


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