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歴史の中の多様な「性」(4)

ニューズウィーク日本版 2015年12月3日 15時42分


論壇誌「アステイオン」(公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会編、CCCメディアハウス)83号は、「マルティプル・ジャパン――多様化する『日本』」特集。同特集から、自身トランスジェンダーであり、性社会・文化史研究者である三橋順子氏による論文「歴史の中の多様な『性』」を5回に分けて転載する。


※第1回:歴史の中の多様な「性」(1) はこちら
※第2回:歴史の中の多様な「性」(2) はこちら
※第3回:歴史の中の多様な「性」(3) はこちら

女性同性愛について

 最後に、今まで触れることができなかった女性同士の性愛について述べておこう。日本では、女性同性愛(レズビアン)の存在は、男性同性愛(ゲイ)に比べて、かなり社会的認知が遅れている。ゲイに負けないくらいレズビアンが活躍している欧米諸国と比べると、日本のレズビアンの存在感は、残念ながら希薄である。

 最近でこそ、同性婚への注目からレズビアン・カップルの挙式写真がマスメディアに多く流れるようになった。しかし、なぜゲイ・カップルの挙式写真はあまり流れず、美しく華やかなレズビアン・カップルの写真ばかりが流れるのか? と考えると、あきらかに「見られる性としての女性×2」というジェンダーバイアスが掛かっていて、それはそれで問題だと思う。

 なぜ、日本社会ではレズビアンの存在感が希薄なのかということは、ちゃんと考えなければいけない問題だと思う。そこで、昨年(二〇一四年)、「日本におけるレズビアンの隠蔽とその影響」という論文を執筆して某大学の研究所が出す論集に寄稿したのだが、その後、まったく音沙汰がなく、「そちらをご参照ください」と言えない状況にある。そこで、そこに書いたことを、触りだけ述べてみたい。

 文献的に見出せる日本最初のレズビアン的存在は、鎌倉時代に書かれた『我身にたどる姫君』(一二五九‐一二七八年成立)第六巻の主人公「前斎宮」だが、他に明確な事例はほとんど見当たらない。とはいえ、実態として平安時代の後宮、江戸時代の将軍家大奥や大名家の奥向き、あるいは遊廓の妓楼など、女性が多く集まり暮らす場では、女性同士の性愛があったと思われる。江戸時代の性具の中に「互形(たがいがた)」と呼ばれた双頭の張形が残っていること(田中優子『張形と江戸をんな』洋泉社新書、二〇〇四年)や、同時期の春画の中に僅かながら女性同士の性愛を描いたものがあることなどが、女性同士の性愛が存在したことを示している。

 そもそも、女性同士の性愛を示す概念、言葉がなかった。「互形」を用いた女性同士の擬似性交を「互先(たがいせん)」と言い、女性同士の性愛を示す「貝合せ」とか「合淫(ともぐい)」という言葉があった(白倉敬彦『江戸の春画─それはポルノだったのか─ 』洋泉社新書、二〇〇二年)。あるいは、「といちはいち(ト一ハ一?)」という語源不詳の言い方もあった。しかし、いずれも卑語、隠語の類であり、世間に広く通用した言葉ではなかった。

 女性同士の性愛が概念として存在しないのは、江戸時代の「色」の発信が常に男性(大人)主体とされていたことからわかるように、女性が性愛の発信主体となることが想定されていなかったからだ。

 日本で最初に女性同性愛が注目されたきっかけは、一九一〇年(明治四三)七月に新潟でおこった「令嬢風の二美人」の入水心中事件だった。この事件をきっかけに明治最末期になってようやく「女性間の顚倒性欲」が「発見」される(菅聡子「女性同士の絆─ 近代日本の女性同性愛─」『国文』一〇六号、二〇〇六年)。

 すでに述べたように明治時代以前の日本には「同性愛」という概念はなかった。西欧から同性愛概念が導入されたとき、男性同性愛は「男色」という類似の先行概念があったことで、「男性同性愛? ああ男色みたいなものだね」という感じで概念の読み替え・継承・受容が可能だった。なんとかうまく接ぎ木することできたのだ。

 しかし、女性同士の性愛は、類似の先行概念がなく、読み替えが成り立たず、大正~昭和初期にいきなり世の中に出てくることになる。接ぎ木しようにも台木がなかったのだ。

 このことが、日本近代における女性同性愛の受容に大きく影響したように思う。大衆は、よくわからないものには警戒的になる。女性同性愛が男性同性愛よりもさらに社会的に警戒されたのは、基本的には男尊女卑の社会構造が大きいが、このあたりにも理由があったのではないだろうか。

 いきなり話が現代に飛ぶ(元の論文にはその間のことも書いてある)。

 性別を移行する人の性別比、つまり、男から女になるMtF(Male to Female)と、女から男になるFtM(Femaleto Male)の比率は、世界標準的にはだいたい二対一くらいでMtFが多いとされている。ところが、日本の現状はまったく逆で、一対三‐四と推測され、世界で最も、そして格段にFtMの比率が高い国になっている。

 このことは、国際学会などでは「日本の特異現象」として注目されているが、日本ではなぜかマスメディアが報道せず(なにか都合の悪いことがあるのだろうか?)ほとんど知られていない。とても重要なことだと思うので、私も「いったいなぜだろう」と、いろいろ考えてみた。

 生得的な体質、さらに突き詰めれば遺伝子的に日本人の女性がFtMになりやすいということはなさそうなので、その原因は社会的なものと考えられる。

 その結果、FtMの増加分はレズビアンからの流入を想定するのが、いちばん蓋然性が高いという結論に至った。自分の性的指向が典型的でないことに気づいた女性が、本来ならアイデンティファイすべきレズビアンではなく、性同一性障害(FtM)として自己認識してしまう社会状況が日本には存在するということだ。

 その背景には日本社会におけるレズビアンの隠蔽と認識の不足がある。さらにそこに「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(二〇〇四年施行)が誘導的に作用している。同性婚が認められていない日本では、生得的な女性が女性と法的に婚姻するには、手術によって性器の形を変え、戸籍を男性に変更するしかないからだ。

 多くの女性が、本来必ずしも必要でない手術(乳房切除、子宮・卵巣除去)を受ける方向に誘導されているとしたら、それは大問題であり、改善されなければならない。そのためには、レズビアンの顕在化と社会的認識の向上が不可欠だと思う。

 実は、二〇一七年に予定されているWHO(世界保健機関)の疾患リスト(ICD)の改訂によって「性同一性障害」(Gender Identity Disorder)という病名は国際的には消え、新設される「conditions related to sexual health(性の健康に関連する状態)」の章に「gender incongruence(性別不一致)」という病名が置かれ、性別移行に関係する疾患が精神疾患カテゴリーから外れる(性別移行の脱精神疾患化)ことがかなり有力になっている。これが実現すれば、トランスジェンダーは、長い年月、精神疾患の名のもとに抑圧されてきた状態から、ようやく解放されることになる。

 日本は、そうした世界の潮流をしっかり受け止めなければならない時期に来ている。具体的には同性カップルの公認(法的保障)と性別変更要件の見直し(手術要件の撤廃など)が今後の課題になると思う。それが実現した時、日本のFtMの比率が、どう変化するかとても興味深い。

※第5回:歴史の中の多様な「性」(5) はこちら

[執筆者]
三橋順子(性社会・文化史研究者)
1955年生まれ。専門はジェンダー/セクシュアリティの歴史。中央大学文学部講師、お茶の水女子大学講師などを歴任。現在、明治大学、都留文科大学、東京経済大学、関東学院大学、群馬大学医学部、早稲田大学理工学院などの非常勤講師を務める。著書に『女装と日本人』(講談社)、編著に『性欲の研究 東京のエロ地理編』(平凡社)など。

※当記事は「アステイオン83」からの転載記事です。





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『アステイオン83』
 特集「マルティプル・ジャパン――多様化する『日本』」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス


三橋順子(性社会・文化史研究者)※アステイオン83より転載

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