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中国が南シナ海に造る「万里の長城」の意外なもろさ

ニューズウィーク日本版 2016年3月17日 17時0分

 米軍原子力空母ジョン・C・ステニスを旗艦とする空母打撃群が、イージス駆逐艦のストックデールとチャン・フー、それにミサイル巡洋艦モービル・ベイを随伴して南シナ海で警戒監視活動を行った。同海域の軍事拠点化を強引に進める中国を牽制するためだという。

 ステニスの指揮官は「わが艦艇は見たこともないほどの中国人民解放軍の艦船に囲まれていた」と、波高き「戦場」を振り返った。古来中国が得意とする人海戦術に遭遇したわけだ。

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 同じような戦術は紀元前の中国北部でも見られた。モンゴル高原から南進してきた遊牧民の匈奴軍は、いつも「イナゴよりも多い漢の軍隊」に包囲されては撤退を余儀なくされていた。人命を尊重するか否かで匈奴と漢は価値観が異なる、と司馬遷の『史記』は伝える。

 近現代では日中戦争と国共内戦、1950~53年の朝鮮戦争と79年の「ベトナム懲罰戦(中越戦争)」の際も、中国共産党側は常に相手より何倍、何十倍もの兵士を投入。彼らが言うところの「勝利」を手に入れていた。「まるで無用となった兵(つわもの)どもを消耗するのが目的であるかのように、人間の塊を次から次へと砲火の中に放り込んでいた」、と対戦した日本軍や国民党軍だけでなく、さらには米軍やベトナム軍側にも驚くほど同種の証言がある。

「中国は『孫子の兵法』にたけている」と知略に富んだイメージがある。だがそれは「中国は孔子が『論語』の中で理想として唱える高潔な仁徳の実践者である」と同じような空論にすぎない。実際は、人海戦術しか知らないのだ。

戦下手な東南アジア諸国

 南シナ海での人工島建設をどう理解すべきか。こちらは万里の長城を例に考えれば分かりやすい。中国政府は南シナ海での軍事拠点を「海上の万里の長城」と呼んで自慢しているので、両者を歴史的に比較してみる必要がある。

【参考記事】中国が西沙諸島に配備するミサイルの意味

 万里の長城は紀元前の春秋戦国時代に各地で建設が始まり、中国本土を統一した秦の始皇帝がつなぎ合わせたことで長くなった。東の渤海湾から西の嘉峪関まで連綿と続くが、現在の形として残っているものは明朝による補強工事の結果だ。

 中国本土に侵入する遊牧民を阻止するためとの説が一般的だが、国土を塀で守るという中国の国防戦略は一度も成功したことはない。華やかな国際文化を築いた隋や唐の始祖は鮮(せん)卑(ぴ)拓跋(たくばつ)系の民族だったし、世界帝国の元と清を建設したのはモンゴル人と満州人。いずれも長城を馬で乗り越えて中国本土を支配下に置いた遊牧民だ。東アジアにおける王朝交代の歴史が、万里の長城の建築は功を奏すことはなかったという事実を雄弁に物語っている。

「万里の長城は草原の遊牧民を威嚇するための装置だった」「中国国内の不満分子が遊牧民の自由世界に亡命するのを阻止する目的で建てた」「長期かつ大規模な工事を通して社会基盤を整えようとした」──長城の建設をめぐる諸説は尽きない。
ただどちらにしても、中国人が誇張するほど軍事的な役割を果たさなかったのは事実だ。そして、長大な建築物を造り上げるのに周辺の樹木はすっかり伐採し尽くされ、長城に沿って砂漠地帯が横たわっているのもまた事実である。

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 万里の長城はまさに「負の遺産」そのもの。騎馬弓射によって合理的に武装した遊牧民に徒歩の中国兵が太刀打ちできなかったのも、長城が役に立たなかった敗因の1つだろう。

 しかし、南シナ海の「万里の長城」は事情が異なる。人工島に最新鋭のミサイルとレーダーが配備されているだけではない。これに対抗する東南アジア諸国は遊牧民に比べると戦が下手な善良な民族からなる。

 日本の安倍政権はフィリピンやベトナムなどに自衛隊の中古武器類を提供する方向だという。これも米軍の警戒監視活動と並んで、「万里の長城」に対する次善の策になるだろう。


[2016.3.22号掲載]
楊海英(本誌コラムニスト)

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