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【南スーダン】自衛隊はPKOの任務激化に対応を――伊勢崎賢治・東京外国語大学教授に聞く

ニューズウィーク日本版 2016年9月8日 16時3分

 紛争地での武装解除や開発援助に携わってきた東京外国語大学の伊勢崎賢治教授は時事通信社のインタビューに応じ、南スーダンに派遣された自衛隊への「駆け付け警護」の任務付与、国連平和維持活動(PKO)参加5原則、平和構築の課題などについて見解を示した。内容は次の通り。(インタビューは8月29日、聞き手=時事通信社解説委員 市川文隆、写真はニュース映像センター写真部 渡辺寛之)

――PKOで南スーダンに派遣された自衛隊に、駆け付け警護の任務が付与されます。現地の情勢を踏まえ、どう見ていますか。

伊勢崎賢治・東京外国語大学教授 自衛隊は今、帰ってくることができません。首都で大統領派と副大統領派が大規模な戦闘を行ったのです。それは、両派首脳の目の届かない地方で双方の「ハグレ者」たちがけんかしているわけじゃない。各国大使館、国連PKO本部がある首都で、双方の主力部隊が交戦しているのです。これを停戦が守られている状態と考える国際世論は存在しません。でも、国連PKOは現地に残っている。

 これが昔、例えば1994年のルワンダのケースならとっくの昔に撤退しています。そのルワンダの虐殺の教訓、つまり国連が100万人を見殺しにしたその教訓から今のPKOは立ち上がっているのです。それを契機に「保護する責任(Responsibility To Protect)」という考え方が生まれ、「内政不干渉」の原則との葛藤の末、「住民の保護」が現在ほとんどのPKOミッションの筆頭任務になっているのです。

【参考記事】邦人も避難へ、緊迫の南スーダン情勢と国連PKO

 99年には「国連事務総長官報」という形で、PKO部隊は戦時国際法・国際人道法を順守せよとの命令書が出されています。これは、PKO部隊は任務遂行のため同法に従って「紛争の当事者」つまり戦時国際法上の「交戦主体」になるということであり、住民を保護するため交戦も辞さないということです。

 この時点で、停戦が破綻したら撤退するという日本のPKO参加5原則は全く意味が無いだけでなく、「交戦」を禁止する憲法9条とも、もはや「解釈」が成り立たないほど抵触しているのです。そのことを日本政府もメディアも見事に見過ごしてきました。「職務怠慢」以外の何物でもありません。

「駆け付け警護」ですが、現場では単に「プロテクション」と言います。国連にはセキュリティー・プランがあり、治安状況の悪化にステージを設け、それぞれにおいての行動の指針があります。プロテクションの対象は、いわゆる国連スタッフ、PKOの文民要員や、国連開発計画(UNDP)など国連関連団体の外国人スタッフです。彼らをプロテクションするPKO本部はそのステージを決定し、一時退避などの行動を彼らに「命令」できます。国連と関係の無いNGOやジャーナリストは、そういう「命令」から独立した存在なので、プロテクションの責任は負えません。

 もちろん、何かが起こったら現場の判断で助けることがあるでしょうが、大義名分として「日本の自衛隊だから日本人を助けなければ」という議論は、国連では全く意味が無いというか不謹慎でさえあります。PKOに派遣された自衛隊は、国連PKO本部の指揮下にあるということを理解すべきです。「東京に指揮権がある」という今までの日本政府の答弁はミスリードです。

――国連の平和維持活動が変化した例は。

伊勢崎氏 介入旅団(FIB)という概念があり、コンゴ民主共和国の国連PKOに13年、「前例にしない」という条件で、安保理決議されました。あらかじめ悪さをすると分かっている武装組織を「先制攻撃」をもできるということで物議を醸しました。いくら「住民保護」が大切とはいえ、そこまでやっていいのかと。

 しかし、コンゴではある巨大な凶悪武装集団の殲滅に「成功」してしまったので「前例にしない」で済むかと危惧されていたのですが、現在、南スーダンでもこれを認めるか否かという議論がされています。人権・人道主義のために国連PKOがどこまで交戦できるかというジレンマが、今、自衛隊がいる現場を支配していることを日本人は思い知るべきです。



軍紀の不在が問題となる可能性

――宿営地に保護を求めてくる住民を守る活動を自衛隊もすることになりますか。

伊勢崎氏 宿営地全体や市街をパトロールするような任務を自衛隊にさせることは、国連PKO本部としてさせるわけがありません。まず、自衛隊は施設部隊ですから。小規模の警護小隊が付随していますが、いわゆる歩兵部隊としての任務は与えられません。それに国連官僚としての司令部幹部は、自衛隊は「軍隊」でないことは分かっていますから、事故を起こしたら軍事的過失、つまり戦時国際法・国際人道法違反に日本は国家として対処できないことを理解しています。「安全なところでおとなしくしていろ」というのが了解事項です。

 歩兵部隊や機甲部隊のようなPKOとしてクリティカルな任務へは、周辺国や発展途上国――中国は例外ですが――からの派兵がPKOミッション設計の慣習的な前提となっている現在では、先進国の中でも奇特な日本の自衛隊は、はっきり言って「お客さま」です。日本政府は、今回の安保法制でも、歩兵部隊を出すというようなことは想定していないのですから、「通常任務」の観点からは、自衛隊のリスクをあまり心配する必要はありません。

 しかし、今回の首都ジュバでの戦闘のように、不慮の事態になったら別の話です。戦火に右往左往した住民が保護を求めてPKOの基地に大量に押し寄せ、それを武装組織が追ってくるような場面ですね。「住民保護」が筆頭任務ですから、たとえ自衛隊に銃口が向けられていなくても、住民が危機にひんしていたら「交戦」しなければなりません。それが政府軍、現地警察であってでもです。この場合は、国連一加盟国政府と国連PKOの「交戦」となります。

 そういう事態のことを考えて法整備をするのが、法治国家がその軍事組織を国外に出すという究極の外交政策を実行する上の最低限の所作であると思います。ご存じのように、日本には、国家の責任である軍事的過失を、刑事事件のように人権の観点からでなく、軍紀の観点から裁く法体系がありません。自衛隊の過失は、国家でなく個々の自衛隊員の過失になってしまいます。国連PKOには軍事法廷がありません。同時に、国連地位協定により、南スーダンのような受け入れ国側に裁判権はありません。

 ということは、PKOの現場で起こる軍事的過失は、各派兵国の軍法・軍事法廷で裁くしかありませんが、日本にはこれが無いのです。これは現地社会の側から見たらどういうことなのか――。日本人は日米地位協定における被害者の立場から感情移入することができると思います。つまり、米兵の公務内での殺傷事件が起きた時、日本側に裁判権が無いのに加えて、米側から、もし「ごめんね。これを裁く軍法も無いの」って言われたらどうでしょうか。

【参考記事】住民に催涙弾、敵前逃亡、レイプ傍観──国連の失態相次ぐ南スーダン

――南スーダンでは、政府開発援助(ODA)との組み合わせによる平和構築を目指しています。

伊勢崎氏 今の駐南スーダン日本大使はそういうことに熱心で有能な人物ですから。彼は昔から平和構築や民軍連携といったことにこだわってきました。

――南スーダン政府が国連南スーダン派遣団(UNMISS)に反感を持っています。

伊勢崎氏 かつての国連PKOは中立な立場にこだわっていましたから、現地社会から歓迎されることはあれ、敵意を向けられることはあまりありませんでした。事故が起こっても補償で済んでいました。今は完全に違います。国連PKOは、紛争の当事者になるのです。現在南スーダンでは、大統領は国連PKOを国家として受け入れましたが、だんだん反感を強めています。大統領派の国民、そして「チンピラ」たちは当然首都に大勢いますから。

 先月には、外国人ジャーナリストが多く宿泊するホテルが大統領派の国軍兵士によって襲われ、特に米国人女性が暴行され大問題になりました。親米と言われていたキール大統領ですが、今回の事件はその勢力が国連を含む国際社会に敵意を募らせている恣意(しい)的な顕示だと臆測が飛んでいます。

 もし自衛隊を含む国連PKOが彼らと「交戦」になり、「民兵」を大勢射殺して、それを相手が「民間人」だと言い張ったら。これは補償問題では済みません。大統領は、国連PKOが国際人道法違反を犯したとして大々的に政治利用するでしょう。まして、それをやった自衛隊に軍法が無いとなったら、どういう政治利用に発展するか。



武装解除→援助の順序誤るな

――平和構築の問題とはどういう点でしょうか。

伊勢崎氏 構築する平和が無くなって困っています。昔は維持する平和が無いと言われていたのですが。シリアなどを見ていると平和構築を語れる事態ではない。フィリピンのミンダナオ和平では、和平合意前の時にも援助をすれば不満が減って、和平を達成しやすいというような平和ぼけの議論が日本ではされました。

 たまたまうまくいく例もありますが、それがその援助のおかげというのは、援助する側の自己肯定でしかありません。国際援助というのは、紛争当事者たちから平和に向けたより大きな政治的妥協を引き出すカードとして最後まで取っておくものなのです。最初からカードを切ってしまっては元も子もありません。

 和平前に道路などのインフラ整備をすれば、それは軍事作戦にも使えるし、人心掌握の作戦にも有効であることを忘れるべきではありません。DDR(Disarmament〈武装解除〉、Demobilization〈動員解除〉、Reintegration〈社会復帰事業〉)でも、この順番をはしょってRから先に、という意見もあります。それは間違いです。

――武装解除はどこに課題がありますか。

伊勢崎氏 国連がやる場合と米国がやる場合で全然違います。国連は一応紛争を終結させるために武装解除を行う。しかし米国の場合は、あくまで敵に勝つための投降作戦のような形になるわけです。私が関わったアフガニスタンでは、そうした事情が色濃く見えました。国連も入っていますが、米国の戦場です。ここでDDRをやるというのは米国のためにやることになります。非常に複雑な思いをしました。

 対テロ戦を戦うには、現地にかいらい政権をつくり、それを維持していかなければなりません。私たちは、タリバンやアルカイダより民衆を多く殺した戦争犯罪者である軍閥たちに、武装解除と引き換えに恩恵や政治ポストを与え、彼らは今でも政府に君臨しています。イラクも全く同じパターンです。結果、両国は、世界でも最も腐敗した政権になってしまいました。これが、米国・北大西洋条約機構(NATO)という最強の軍事力が、対テロ戦に勝利できない根本の原因です。

IS掃討後の停戦監視参加は日本も可能

――イスラム国(IS)がイラクとシリアで掃討される日がそう遠くない時期に来ると思います。その後のシリアの和平をどう構築すべきでしょうか。

伊勢崎氏 そういう時期がいつ訪れるかですね。ISが弱体化して小さな領域で住民を盾にとってこう着状態になる。その時までには、IS、ヌスラ戦線も少しは現実的になり、停戦合意、そして彼らを含めた反政府勢力、アサド政権との政治的な合意となるかもしれません。でも、その時には、先進国でのホームグロウンテロや、スンニ派の政治的グリーバンス(構造的な不満)が蓄積している他の国々、地域での活動が増大しているでしょうが。あるいは別のISが生まれているかもしれません。でも、そういう合意の想定と準備はしておかなければなりません。

 実は、私自身まだISの生まれる直前、アサド対反アサドというふうに紛争構造が単純だった時、少し関わりました。英国のシンクタンクの一員として、自由シリア軍の代表と、もし合意がなされるとしたらその内容はどんなものになるか、そして連立政権の誕生へのロードマップはどういうシナリオになるかのブレーンストーミングです。

 アサド派の政治的発言権を保証しながら、アサド大統領自身はロシアに亡命させるとか、連立政権下で既存のシリア国軍と自由シリア軍の関係をどうするか、軍縮か統合かとか、そうしたシナリオをつくるのです。それは実現しませんでしたが、再びそうしたことを協議する時期が来るのかもしれません。その時、日本の役割はあるでしょう。

――日本が関わることのできる役割は何でしょうか。

伊勢崎氏 地上戦がこう着状態になり、停戦に向かう時に中立な軍事監視団を入れるという話に必ずなります。実は、アナン前国連事務総長がシリア和平特使だった時、国連とアラブ連合の共同で停戦軍事監視団の発足の動きになり、当時の民主党野田政権に自衛隊の派遣の要請がありましたが、結局やりませんでした。

 その軍事監視団自体は実際にはあまり人が集まらず、攻撃されて撤退してしまい現在の混乱に至ります。軍事監視団は、非武装が原則、指揮官レベルの現役軍人で組織されるのが基本です。自衛隊の階級としては2佐、3佐レベルが行う仕事で、過去の国連軍事監視団でも実績があります。これを日本のお家芸にすればいいのです。



PKO5原則の見直しが必須

――日本政府に対して提言はありますか。

伊勢崎氏 日本政府だけでなく、野党そしてリベラルもしくは護憲派を含めた世論全体に言わなければなりません。南スーダンの自衛隊が現在、大変に緊迫する現場に駐留し続けるのは、安保法制を実行するためではありません。冒頭に言ったように、撤退できないのです。停戦合意が破れたら撤退し、虐殺を見過ごした時と時代が違うのです。

 問題は安倍政権の安保法制ではありません。PKOの変化を見誤り、停戦合意が破れたら撤退という完全に時代遅れの日本のPKO参加5原則を根拠にしている日本の政局が問題なのです。だから、日本政府だけが国際社会の総意に反して停戦が守られている、と言い続けるのです。自衛隊は、PKO参加5原則の虚構を守るためだけに駐留しているのです。そして、この劣化した政局で南スーダンに自衛隊を送ったのは民主党政権なのです。

 ぜひ、安倍政権支持・反対、安保法制賛成・反対を争点にするのではなく、この状況を打開するべく知恵を絞りましょう。

――他に関与の方策はありますか。

伊勢崎氏 国連文民警察という手があります。駆け付け警護、つまり国連スタッフのボディーガードは一義的には国連文民警察の仕事になっています。今ではインド、パキスタン両国と肩を並べる「PKO大国」の中国も、部隊派遣が主流になる前に、文民警察の派遣で場数を踏んできました。PKO部隊の統制根拠が戦時国際法・国際人道法であるのに対して、国連文民警察は受け入れ国の警察法を根拠にします。つまり、敵を「犯罪者」として対処するのです。

 日本の警察をこれに派遣することは、憲法的に何の問題も無いはずです。でも、93年のカンボジアPKOでの高田晴行警視の殉職を機に、警察はトラウマに陥り、PKOに部隊は派遣しない米国でさえやっている国連文民警察への派遣に、組織として消極的です。

 つまり、出したくない警察、そして、自衛隊を出して改憲への実績としたい歴代の自民党政権(旧民主党を含む)の意向が合致して、交戦権が支配する戦場に交戦権を持たない自衛隊を出し続けてきたのです。この欺瞞(ぎまん)の構造は、南スーダンの危機を受けて一新されなければなりません。

〔伊勢崎賢治氏略歴〕
伊勢崎賢治(いせざき・けんじ) 東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授昭和32年東京生まれ。内戦初期のシエラレオエネを皮切りにアフリカ3カ国で10年間、開発援助に従事し、その後、東ティモールで国連PKO暫定行政府の県知事を務め、再びシエラレオネへ。同じく国連PKOの幹部として武装解除を担当し内戦の終結に貢献する。その後、アフガニスタンにおける武装解除を担当する日本政府特別代表を務める。 著書に、「新国防論 9条もアメリカも日本を守れない」(毎日新聞出版)、「本当の戦争の話をしよう:世界の『対立』を仕切る」(朝日出版社)、「日本人は人を殺しに行くのか:戦場からの集団的自衛権入門」(朝日新書)、「武装解除」(講談社現代新書)など。


※当記事は時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」からの転載記事です。



市川文隆(時事通信社解説委員)※時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」より転載

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