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TPPを潰すアメリカをアジアはもう信じない

ニューズウィーク日本版 2016年11月29日 18時30分

<アメリカは貿易による経済的利益はもちろん、東南アジアの親しい国、疎遠な国を貿易で一体化させ、対中国戦略の地歩とする戦略も失った。残るのはバラバラで脆いアジア>

 南米ペルーで先週閉幕したAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議で、環太平洋諸国は自由貿易の重要性をうたった首脳宣言を採択した。保護主義の様相を色濃くする次期米政権を念頭に、アメリカを含めたAPEC諸国は「開かれた市場を維持し、あらゆる形態の保護主義に対抗する」と訴えた。その翌日、ドナルド・トランプ次期米大統領は動画サイト「ユーチューブ」で2分半ほどの動画を公開し、就任初日に取り組む政策の最優先事項として、アジア太平洋地域でアメリカが旗振り役を務めてきたTPP(環太平洋経済連携協定)からの離脱を通告すると明言した。トランプの離脱宣言により、来年1月に新政権が発足するまでの「レームダック会期」での法案通過は絶望的になった。

リバランスは有名無実に

 アジア諸国のアメリカに対する信頼性は、大きくぐらついている。日本をはじめベトナム、シンガポールなど、TPPの批准をアメリカのアジアに対する深い関与を示す試金石と見なしてきたアメリカの同盟国にとっては、TPP発効が不可能となった事態は、大打撃だ。シンガポールのリー・シェンロン首相は訪米時、TPPの失敗が意味することを端的に表した。「試されているのはアメリカの同盟国としての信頼性だ。合意が守られなければ、アジアはアメリカを当てにできない」

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 事実、次期米政権がアジアへの関与を徐々に弱めていくのではないかと懸念を募らせるアジア太平洋地域の同盟国は、トランプが大統領選を制してから翻弄されっぱなしだ。とりわけ日本や韓国の不安は尋常でない。米軍駐留費で応分の負担を求めるという主張から、新政権の対北朝鮮政策、手の内が明かされずブラックボックスのような対中政策まで、不確実さが不安の連鎖を呼んでいる。

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 そのなかでも最も致命的なのが、アメリカが戦略的に推進してきたアジア政策に終わりを告げる、TPPの消滅だ。とりわけバラク・オバマ大統領が掲げたアジア重視の「リバランス」は有名無実となる。リバランス政策の3つの柱は経済、外交、安全保障だ。そのなかでも特にオバマ政権が経済成長の基礎として戦略上最も重視してきたのが、世界経済の40%を占める12カ国が合意したTPPだ。アメリカがアジアと結びつくだけでなく、アジア諸国の間で相互に経済的な依存や協力関係を高めることで、参加国間の溝を埋め合わせ、アメリカが長期的にアジア政策を展開しやすくする意図が込められていた。

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 アメリカがハブとなりそこから放射状に各国と2国間関係を結ぶという伝統的な対アジア外交モデルと異なり、TPPにはアメリカが主導して考え方の近いアジア諸国同士を結びつけることで、より統一感や共通性のある外交・経済的なネットワークを築く狙いがあった。とりわけ大多数のアジア諸国にとって、そうしたネットワークの将来性は魅力的に映った。中国との経済的な結びつきを強化したい思惑もある反面、中国中心の経済秩序が拡大に対抗する予防線を探しあぐねていたからだ。

 TPPが頓挫してトクをするのは間違いなく中国だ。中国はTPPを推進するアメリカの動きに深い疑念を抱き、中国側の関係者の多くがTPPには反中の意図があるとしてこの枠組みに憤慨してきた。批准を目指していたオバマは国民に向けて、TPPはアジアで「中国がルールを書き換えてしまう」状況を阻止できると強調し説得を試みた。一方の中国政府からすれば、TPPにはオバマ政権のアジア重視の「リバランス」安全保障政策を補完する意図が透けて見え、その目的は何が何でも中国の台頭を封じ込めることだと見なした。

失われたチャンス

 アメリカの信用が失墜したことで最も深刻な影響を受けるのが、TPPの議論を最初に始めた東南アジア地域だ。アメリカがアジアでの経済的な関与を維持するのに失敗すれば、アメリカと東南アジア諸国の関係は尻すぼみになる。アメリカはフィリピンとタイ(いずれもTPP非参加国)と同盟関係を結んでいるとはいえ、いずれの関係ももろく壊れやすい。そのうえタイでは軍事政権、フィリピンではご都合主義でナショナリストの大統領が誕生するなど、両国で強硬な政治指導者が台頭したことで、それらの同盟関係がアジアにおける安全保障政策上のアキレス腱へとすり替わってしまった。

 TPPが重要なのは、東南アジアには、アメリカが十分に関係を確立していないベトナムやマレーシアなどの主要な新興国を擁するからだ。貿易は、アメリカ政府との結びつき強化を望む一方で、中国の抑え込みには従いたくない同地域の多くの国々を効果的に統合する手段だった。TPPの約束を前提に急増した投資はアメリカがアジア太平洋地域との関係を育むのに役立ってきた。ベトナムとの軍事的関係も前例のない進展を見た。

 しかし、こうしたすべてがいまや、幻と消えた。アジアの安全保障問題に関するトランプの考えは依然として不確かな一方で、経済的な考えははっきりしている。トランプは、国際貿易政策の「改革」を自分の政権にとっての最優先事項だと位置づけてきた。改革の対象にはTPPだけでなく、北米自由貿易協定(NAFTA)も含まれている。



 トランプがTPPを批判しているのはおもに、TPPに参加すればアメリカの雇用がアジアに流出することになるのと疑っているからだ。こうした保護貿易主義的な主張はほとんど筋が通らない。ピーターソン国際経済研究所は、もしTPPが実現した場合、2030年までにアメリカの実質所得はおよそ1億3100万ドル増加すると推定する。また、2030年までに推定3570億ドルの輸出増進効果も加わるという。

 こうした経済的な恩恵に加え、TPPがほかの大型貿易協定と異なるのは、ハイレベルの自由貿易をメンバー国に課していることだ。合意には何年にも及ぶ厳しい交渉が必要だった。TPPは、関税率を引き下げ市場アクセスを提供するだけではなく、加盟国に徹底的な構造・規制改革を強く促す。改革に向けたこれらのコミットメントの多くは、日本などのアメリカの同盟国やベトナムなど新興の友好国に高い政治的犠牲を強いている。これらの国々は、膨大な時間とカネを費やしたこの協定を反故にすべきか、あるいは、当面はアメリカ抜きのTPPを受け入れるべきかどうかという決断に迫られている。

一旦はアメリカ抜きで

 TPPが後退したことで、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)など、中国が主導する協定は再び活発な動きを見せている。TPPとRCEPの加盟国は大きく重なるが、最も顕著な違いは、前者が中国、後者がアメリカを欠いているという点だ。中国政府は、アジアインフラ投資銀行や「一帯一路」のインフラ構想への参加を促すことで、同国の経済計画を強く推進する見込みだ。また中国政府は、日本・韓国との三カ国による貿易交渉を通して、アジア太平洋地域からアメリカの影響を引き離そうとしてする可能性もある。

 ほかの手段があるとすれば、アジア太平洋地域における自由貿易協定だろう。APEC(アジア太平洋経済協力)が主導する理想主義的な構想だ。これにはアメリカと中国の両国が含まれることになるが、実現の見込みはTPPよりもはるかに低いと思われる。

 アメリカがTPPから離脱すれば、オバマ外交から「アジアのリバランス」というレガシーが損なわれる。リーダーシップの所在が不明確になり、同地域が不安定化することにもつながる。日本の安倍晋三首相は、当初こそTPPに反対していたものの、いまでは皮肉なことに、TPPの最も多弁なセールスマン的存在となり、「TPPの成否は、世界の自由貿易体制とアジア太平洋地域の戦略環境を左右するだろう」と述べている。安倍のこの警告は、アジア諸国の懸念でもある。トランプは、事の重要性をよく考えるべきだろう。

From Foreign Policy Magazine



バークシャー・ミラー(米外交問題評議会国際問題フェロー)

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