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インターポールでサイバー犯罪を追う、日本屈指のハッカー

ニューズウィーク日本版 2016年12月7日 18時10分

<昨年シンガポールに開設されたインターポールのサイバー捜査部門IGCIでは、日本からも警察や民間の専門家が出向して、世界最先端のサイバー犯罪捜査を担っている>(写真:インターポールのサイバーセキュリティ拠点IGCI)

 国際刑事機構(インターポール、ICPO)は、日本で最も名の知られた国際機関の一つだ。

 その理由は、国民的人気アニメ『ルパン三世』など日本のポップカルチャーによく登場するからだろう。とはいえ、現実のインターポールがどんな組織なのかを知る人は意外に少ないのではないだろうか。

 1923年に設立された世界最大の警察機関であるインターポールには、日本を含む世界190カ国・地域が加盟している。2016年11月には、それまで総裁を務めたフランス人のミレーユ・バレストラジ氏に変わり、史上初めて中国人が総裁に選ばれたことで、賛否の議論を引き起こしている。

 実は、日本とインターポールの関係は古い。1975年から警察庁は「セカンドメント(出向)」として職員をICPOに派遣しているし、1996年から2000年まで、日本人の兼元俊徳氏が総裁を務めたこともある。また財政的貢献は加盟国中、第2位であり、664万4000ユーロ(約9億万円)の分担金を支払っている。

 そんなインターポールは、2015年4月に、シンガポールにサイバーセキュリティに特化した拠点「IGCI(インターポール・グローバル・コンプレックス・フォー・イノベーション)」を始動させた。IGCIの初代・総局長は警察庁出身の日本人、中谷昇氏が就いている。

 IGCIにも、フランスが本部のインターポールのように、警察庁や民間から日本人が赴任している。セカンドメントだけを見ても、警察庁から現在、数名がIGCIに勤務している。

 著者はシンガポールのIGCIを訪問し、世界的な警察機関で働く日本人の日常と、IGCIの実情について聞いた。

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 インターポールのデジタル犯罪捜査官・山崎隆之は、IGCIのサイバーフュージョンセンターと呼ばれる部署に所属している。

 サイバーフュージョンセンターには、大きなコンピュータースクリーンがいくつか設置され、画面に向き合う形で20席ほどのデスクが並ぶ。近未来的なオフィスだ。同センターは官民の橋渡し的な役割を担っており、世界中から集まるサイバー脅威の情報を収集する。すでにオープンになっている情報もあれば、そうでないものもあるが、そうした情報を分析した上で、世界の関係各国に情報を提供していく。

 山崎の任務は、情報収集がメインとなる。IGCIには民間からも分析官などが多数勤務しているため、彼らをはじめとする情報提供者などから懸案事項や新たなサイバー脅威などについて情報を得る。また外部の民間パートナーとも会うなどして情報を仕入れる。そうした情報は、「サイバーアクティビティ・リポート」と呼ばれる報告書にまとめられ、世界の関係機関に提供される。日本の警察庁なども、実務につながるようなこうした情報をIGCIから得ている。



警察庁からインターポールに出向中の山崎隆之氏(筆者撮影)

 山崎は、「私たちはインテリジェンスハブ(拠点)のようなもので、サイバー脅威に関するインテリジェンスを扱っています」と語る。つまり、サイバー犯罪対策のインテリジェンスの最前線に身を置いているということだ。

 実は山崎は今年4月にシンガポールのIGCIに配属されたばかりだ。もともと警察庁で交通畑にいた山崎は、交通分野でも信号機の管制など情報管理を担当していた。そこから情報技術解析(デジタル・フォレンジックス)やサイバー犯罪捜査を担当するようになり、山崎は「法律ではないですが、ルール作りなど、政府のIT戦略の策定などにも、警察庁の立場で携わっていた」と話す。その後、希望してIGCIに赴任することになった。

 同じくデジタル犯罪捜査官である安平俊伸は、2015年7月からIGCIで、国際的な会議や企画などを取りまとめる役割を担っている。

 警察庁時代、安平は情報技術解析の国際協力の取りまとめを担当していた。情報技術解析では、国際的な連携が技術的にも欠かせないため、日本代表として会議などに出席することも多かった。IGCIに来る直前まで警察庁のサイバー犯罪対策課などに籍を置いた安平は広報なども担当し、語学が堪能だったこともあって、IGCIに所属することになった。

 そもそもなぜ、インターポールのサイバー部門に日本人が送り込まれているのか。日本にとって、警察庁という官庁に属する日本人がIGCIに赴任することにどんな意義があるのか。

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 一つには官民協力という概念を実感できることがある。日本では、公務員倫理法などがあって、なかなか官民連携が進まない。企業とつながることが利益誘導と取られる場合もあるからだ。

 だがIGCIは、サイバーセキュリティを担うのに不可欠な官民連携が当たり前のように行われている。サイバー空間では官民の協力なしに、安全を守れない。インフラのほとんどは民間によって所有・維持されている。インターネットも多くの利用者が集まって作り上げている世界であり、民間の技術力がなければ何もできないと言っても過言ではない。

 IGCIではその点を割り切っており、民間との連携は重要視している。例えば民間のトレンドマイクロやカスペルスキー、NECなどは「ストラテジック・パートナー(戦略的パートナー)」と位置づけ、特に緊密に協力しているという。安平は、「IGCIは協力してくれる民間企業を歓迎しており、ここでは役所の目線ではなく民間とどうやって付き合うべきかという事を学べるので素晴らしい経験になっている」と言う。



安平俊伸氏は国際会議や連携企画を取りまとめる職務についている(筆者撮影)

 IGCIには、民間として捜査に携わっている日本人もいる。東京に本部を置く、サイバーディフェンス研究所の福森大喜もその1人だ。

 福森は、もともと日本屈指のハッカーであり、世界のハッキング大会などでその名を轟かせていた人物である。近年はコンサルティング業務などに携わっていたが、そのサイバー能力を買われてIGCIに所属することになった。

 福森はサイバー攻撃の手口や使われているマルウェアやテクノロジーを解析し、捜査を進める。「日本にいた頃、サイバー攻撃を受けた企業に行って調査を進めていくと、運がいい場合には、ほぼ間違いないというレベルで攻撃者にたどり着いたりします。でもそれ以上は何もできないというもどかしさがあった」と、福森は言う。「ここで捜査して、実際に国をまたいでサイバー攻撃を行なっていた犯人の逮捕にまでつながったケースもある。やっぱりやりがいはあります」

 まさにサイバー空間にあるバーチャルな「犯罪現場」で捜査に奔走しているのだ。ここでの民間との連携が、後に日本でも生かされることになるだろう。

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 官民の協力以外で、インターポールに属する日本にとって最大の財産となるのは、人脈だ。現在、IGCIには世界各国の警察組織から130人ほどが集結している。彼らはいずれも自国でそれなりに重要な役割を担っている捜査官たちで、それぞれが出身国の警察機関などに戻った後、サイバー捜査の分野で働いていくことになる。

 安平は、「将来的にはインターポールの組織を通さなくとも、ここで広がった人脈で直接、技術協力や捜査などの情報をやりとりできる可能性があります。世界の警察ともつながり、事件捜査などにも生きることになる」と語る。

 確かにそうした世界との個人レベルの連携は国にとっても財産になる。

 では逆に、世界各国で第一線級の警察関係者たちが集まるIGCIでは、日常業務でも、各国の国民性や警察当局の扱いの違いなどによって混乱が生じることはないのだろうか。これはあまり知られていないが、インターポールやIGCIは、法の執行を行うことはない。つまり逮捕権を持たないのだ。その点は日本の警察庁と同じで、警視庁や道府県警察のような法執行といった業務は行わない。

 山崎は、「インターポール自身が手を出せないのはみんな分かっているのですが、逆に各国から来ている同僚たちは出身国で法執行の権限を持っていたので、IGCIで歯がゆさを感じているというような話は耳にします」と言う。



福森大喜は日本屈指のハッカー(筆者撮影)

 IGCIの日本人たちは世界各国の警察関係者のなかに身を置き、日本国内では実感できない世界を感じている。そこで、日本の捜査当局が、自分たちの利益を求めながら世界と渡り合うのに必要なものは何なのか聞いてみた。

 安平は「ギブ・アンド・テイク」が不可欠だと語る。安平によれば、特に捜査の世界では、例えば外国の当局から日本メーカーのデジタル製品について解析の方法の問い合わせが来ることもあるという。そういう場合には、情報を提供する見返りに、日本側が欲しい情報をもらうように交渉する。もちろん、日本側から情報をもらい、お返しに相手に情報を提供する場合もあるという。

 つまり日本のIT技術力が強くなれば、世界の警察機関からの注目度も高まり、問い合わせなども増える。そうなれば、捜査に生かせるような世界の情報もおのずと得やすくなるのである。こんなところで国のIT技術力の高さが生きるというのは興味深い話だ。

 IGCIで働く日本人への取材を通じて、インターネットなどのサイバー空間は、世界中が共有する公共物であることを再認識させられた。日本のみならず、世界中が同じ空間を自在に動き回り、その利便性を享受する。その一方で、サイバー空間には犯罪などのリスクが付きまとっており、IGCIはシンガポールからそれを監視し続けている。

 今後、IGCIで経験を積んだサイバー捜査官が、日本のサイバー犯罪対策に現実的でグローバルな意識を吹き込んでくれることになりそうだ。

<執筆者>
山田敏弘
国際ジャーナリスト。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版などで勤務後、米マサチューセッツ工科大学(MIT)で国際情勢の研究・取材活動に従事。訳書に『黒いワールドカップ』(講談社)など、著書に『モンスター 暗躍する次のアルカイダ』(中央公論新社)、『ハリウッド検視ファイル トーマス野口の遺言』(新潮社)。現在、「クーリエ・ジャポン」や「ITメディア・ビジネスオンライン」などで国際情勢の連載をもち、月刊誌や週刊誌などでも取材・執筆活動を行っている。フジテレビ「ホウドウキョク」で国際ニュース解説を担当。

山田敏弘(ジャーナリスト)

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