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不屈の少女マララが上る大人への階段

ニューズウィーク日本版 2017年2月7日 10時0分

<イスラム過激派の銃撃にも負けなかった不屈の少女が、大学進学を控えた19歳の今、将来の夢と不安を語った>(写真:世界一有名な10代になった少女ももうすぐ大人の世界へ)

大学への進学と高校最後の試験の話になると、普段の自信あふれる口調が変化した。「えっと」という言葉が多くなり、神経質そうに笑いだした。

マララ・ユサフザイ(19)は、これまでにさまざまな経験をしてきた。イスラム過激派による銃撃、ノーベル平和賞受賞、国連本部での演説。世界で最も有名な10代の1人だが、今は大学進学を前に迷う普通の高校生だ。

昨年12月には、オックスフォード大学で最初に女子教育を始めたカレッジであるレディー・マーガレット・ホールの教授面接を受けた。「人生で一番厳しいインタビューだった。今でも怖い」と、ユサフザイは12月下旬、取材に応じバーミンガム公共図書館で言った。

希望はオックスフォードで哲学、政治、経済を勉強すること。イギリスの多くの有力政治家と同じコースだ。07年に暗殺された憧れの人、パキスタンのベナジル・ブット元首相も、この3つをレディー・マーガレット・ホールで学んだ。

波瀾万丈の人生を歩んできた彼女の不安そうな様子を見るのは、新鮮な経験だった。パキスタン北西部のスワト渓谷で、パキスタン・タリバン運動(TTP)の武装民兵が彼女を乗せたスクールバスに乗り込んできたのは12年10月。銃を手にした男は、マララ・ユサフザイはどこだと女学生に尋ねた。友人たちが彼女のほうを振り向くと、男は頭部に向けて発砲した。

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ユサフザイは当時15歳。パキスタン北部のイスラム過激派、特に彼らの女子教育弾圧を手厳しく批判し、既にある程度名の知れた存在だった。

この銃撃事件をきっかけに、彼女は世界的なセレブになった。数百万の人々が容体を気に掛け、回復を信じた。

幸運にも一命を取り留めたユサフザイは、公の場で発言を開始。事件にひるむことなく、女子教育の拡大を訴え続けた。「病院で目を覚ましたとき、頭はとてもクリアだった。この人生には目標があると確信した。私は第2の人生をもらったと思った。以前の私よりもっと大きな何かを成し遂げるために」

欧米のアイドルではなく

この第2の人生で、彼女は多くを成し遂げた。13年設立のマララ基金は、これまでに8400万ドルの援助を実施。ノーベル平和賞受賞に加え、自伝『わたしはマララ──教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』(邦訳・学研マーケティング)も多くの賞に輝いた。世界の女性たちにとって、彼女はフェミニズムの象徴になった。

「女性の活動家から、私たちの権利のために立ち上がってほしいと頼まれました。でも、これからは女性たちが自分で声を上げるのです」と、ユサフザイは16歳の誕生日に国連本部の演説で言った(国連はこの日を「マララの日」に制定した)。

だが3年後、彼女は自分の問題の解決を迫られた。世界の人権運動の「子役スター」から、プロの活動家や政治家になる最善の方法は何か、という問題だ。



国連本部で記者会見し教育への投資強化を呼び掛けるマララ(中央、15年9月) Darren Ornitz-REUTERS

英サンデー・タイムズ紙の海外特派員で『わたしはマララ』の共著者でもあるクリスティーナ・ラムは、マララは多くの賞と世界的名声を獲得したが、彼女の人生のピークはまだ先だと語る。「あれほど雄弁で情熱的で、強い決意を持った人に出会ったことがない。いつかパキスタンの首相や国連事務総長になったとしても、私は驚かない」

今のユサフザイは自分のために最高の教育環境を手に入れる決意だと、ラムは指摘する。ユサフザイにとって大学は「さまざまな問題を考え、多くの国の状況を変え、結果を出すためのツール」なのだという。

「さまざまな違う考えを吸収している」と、ユサフザイは言った。「以前は弁護士とか医者、自動車修理工、アーティストになりたかった。時々、政治家になってパキスタンの首相になりたいと思うこともあった」

政治への野心をもっとはっきり口にしたこともある。昨年10月、アラブ首長国連邦(UAE)で開催された女性問題の会議では、パキスタン首相になりたいと明言した。1年前には英ガーディアン紙の取材に対し、「私たちの国の政治家は、国民のため、平和や教育のために何もしていない。私は祖国の首相になりたい」と語っている。

この発言は無邪気な夢か、周到な計算に基づく自信の産物なのか。答えはまだ分からないが、彼女はほかのどんな19歳よりも世界の指導者と共に過ごした時間が長い。政治的権力のない活動家では、たとえ世界的有名人でも世の中を変えられないという結論に達したのかもしれない。

母国のパキスタンを含む南アジアでは、欧米の団体やメディアが彼女にセレブの地位を与えたという批判をよく耳にする。ユサフザイについての記事を執筆したインドの作家のタビシュ・カイルはこう指摘する。

「彼女をアイドル扱いするのは、ほかの多くの『マララたち』を否定することだ。彼女たちの多くはごく普通のまま、例えばおとなしく顔をベールで覆いながら、大人たちが眉をひそめても学校に通っている。もしマララが欧米のアイドル以上の何かを成し遂げれば、彼女たちにとって大きな意味を持つ」

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卒業後に待つ大きな責任

自分の名声が目標の足を引っ張るリスクについては、ユサフザイ自身が何度も認めている。13年の国連演説ではこう述べた。「『マララの日』は私の日ではありません。すべての女性の日、自分の権利のために声を上げたすべての少年少女の日です」

1年後、ノーベル平和賞の受賞スピーチでも同様の趣旨を繰り返した。「私が自分の経験を話すのは、それが特異なものだからではありません。たくさんの少女たちが経験したことだからです」

ユサフザイは記者とのインタビューで、自分はセレブではないと主張した。気持ちは分かるが、世界的な有名人であることは否定できない事実だ。

だが、名声は役に立つ道具でもある。父親のジアウディンと設立したマララ基金は、世界中の女子教育に資金援助を行い、女子教育普及のために地域や国、世界レベルでロビー活動を行う団体だ。



ナイジェリアでは、イスラム過激派ボコ・ハラムに誘拐された少女のためにカウンセリングと高校の奨学金を提供。レバノンでは、シリア難民のための学校を開設した。ヨルダンでは、2つの難民キャンプで教育プログラムに資金援助を行っている。

昨年12月、基金の理事会が開かれた。新イニシアチブ「グルマカイ・ネットワーク」の新たな助成金の配分を決めるためだ(「グルマカイ」はユサフザイが11歳の頃にBBCのウルドゥー語ブログにタリバン支配下の生活をつづっていたときのハンドルネーム)。現地住民による就学支援プログラムを対象に、今後10年にわたって年間最高1000万ドルを投資する予定だ。

ユサフザイは理事会には出席したが、基金の日常的な運営には携わっていない。今は学業優先の生活だ。だが大学を卒業したら、(彼女が望めば)基金を思いどおりにできる。基金は歴史こそ浅いが、影響力は大きい。ユサフザイがトップになれば、彼女(と理事会)が支持するにふさわしいと考える理念に巨額の資金を投資できる。

大学を出たばかりでそんなチャンスに恵まれる若者はめったにいない。それ自体はありがたいが、「マララ」であること、タリバンに襲撃されて生き延びた少女であることによって失ったものを思って悲しくなることもあるという。

「19歳になった今、振り返ってみると思う。私の青春は、私の子供時代はどこにあったのって」と、彼女は言う。「私くらいの年頃で、学校教育が禁止されたり、テロリストに会ったり、重要な問題のために活動したり、世界の指導者に会ったりしたことのある子供は多くない」

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学校では「普通でいたい」

学校の友達も彼女の過去を知っているが、ユサフザイは友達とはそういう話はしない。自身の果敢な戦いや、基金が主導する運動も話題にしない。「友達とは深刻過ぎる話はしないようにしている。普通でいたい」

取材中、彼女は「普通」という言葉を20回以上使った。いろいろなことをやってきたが、自分は今でも普通だと繰り返す。活動家や有名人としての自分について語る際は人ごとのように話す。国家元首に会う自分は別人とでもいうかのようだ。学校でしばらく友達ができなかったことについては、「最初は私のことを怖がってた子もいたんじゃないかな」と言う。

自分は「すごく内気」だと言うユサフザイは、新しい学校で友達ができるまでに何カ月もかかった。今でも何か起きてクラスメイトの自分を見る目が変わったり、やっぱりあの子はちょっと違うと思われたりしないか心配だという。

大学に進学すれば新しい友達をつくらなければならず、生まれて初めて家族と離れて生活することになる。オックスフォード大学以外にも出願しているが、どの大学に行くにしても、世界中の大勢の子供たちと同じように、初めて親元を離れて暮らすことになる。

本人は楽しみにしているが、家族は複雑なようだ。米カリフォルニア州のスタンフォード大学を一緒に見学した際、父親のジアウディンは担当者に、キャンパス内に家族が滞在できる施設はあるかと尋ねた。娘がこの大学に入ったらこっちに引っ越したいので、と。だがあいにく担当者の答えはノーだった。

その瞬間、ユサフザイは大人の世界に一歩近づいた。希望に満ちた素晴らしい子供時代以上に輝きにあふれる世界に。

[2017.2. 7号掲載]
ミレン・ギッダ

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