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21世紀版『美女と野獣』で描かれる現代の女性像 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2017年3月21日 18時45分

<女の子向けラブストーリーの王道的作品とも言える『美女と野獣』の中にも、製作された時代を反映した女性像が描かれている>

ディズニーの『美女と野獣』実写版リメイクが大ヒットになっています。先週16日の先行上映も相当な動員数だったようですが、最終的に先週金曜から日曜までの「オープニング・ウィークエンド」の興行収入は1億7400万(約196億円)に達したようで、これは「歴代7位」という記録的な数字だそうです。私は正式な封切り日である金曜の早い時間に行きましたが、夜の時間帯では多くのシネコンで「売り切れ」が出ていたようです。

多くの批評サイトの反応も好意的ですし、いつもは辛口のニューヨーク・タイムズも「インスタント・クラシック(出てすぐに古典になった)」という相当な表現で褒めていました。一部ネガティブな意見もないわけではありませんが、「91年のアニメ版(本作のオリジナル)に及ばない」とか「あまりに売れ線狙いであざとい」「エマ・ワトソンはいいが、他が弱い」というような「斜に構えた」ものが主のようです。

ヒットの理由ですが、何と言っても主役のベルをエマ・ワトソンが演じているということが大きいと思います。キラキラした知性が、大変な好感度を生んでいるということもありますが、『ハリー・ポッター』シリーズのヒロインだった彼女と一緒に育ったミレニアル世代を中心に、アメリカ人は完全に心を奪われた感じです。特に、女の子のいる家庭の「のめり込み」は相当なものですし、これからさらに現象が拡大していく感じもあります。

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そのワトソンですが、アイビーリーグの名門校ブラウン大学を卒業したこと、そして「アクティブ・フェミニスト」を自称していることは有名です。では、その彼女の思想と、この作品はどう結びついているのでしょうか? この『美女と野獣』ですが、「女の子向けのロマンチック・ラブ・ストーリー」であることは間違いありません。と言いますか、その王道を行く作品だとも言えるでしょう。

ですが、そこに一種の「穏健なフェミニズム」が入っているということは、91年のアニメ版の当時から言われていることです。ベルという主人公が、まず「本好きな少女」であり、同時に「自分の信念を貫く」強さがあり、さらには「交際相手となる男性を外見では判断しない」という本作の「核」にある設定で、自立した女性像を描いているからです。

ネタバレになりますが(大変に有名なお話ですからお許しください)、その一方で、結末の部分で野獣が元の王子様に戻ってしまう部分が、一種の保守性だと批判されたのは事実です。その点を突いたのが、ディズニーのライバルである、ドリームワークス・アニメが作った『シュレック』(2001年)というパロディです。『シュレック』の場合は、野獣がイケメン王子に「戻る」のではなく、「美女」の方が野獣に化けて「野獣カップル」になるというわけですから、まさに本作の完全なパロディというわけです。



では、91年版の『美女と野獣』が保守的で、21世紀に入ってすぐの『シュレック』が進歩的ということかというと、そう簡単に整理はできないと思います。91年の『美女と野獣』については、レーガンからブッシュ(父)という保守性の残る時代にあって、女性の自己決定権ということを前面に打ち出したところ、あるいは当時はまだ偏見の残っていた異人種間の交際を示唆するような内容は、社会的な意味があったと思います。

次の『シュレック』の場合は、確かに「イケメン王子との結婚」という保守的なファンタジーを「破壊」してしまう、一種の価値相対化をやっており、それが9.11テロ事件の直前、つまり「プレ9.11」という一種の「ゆるい世相」を反映していたのは事実だと思います。同時に、異宗教間の結婚の場合に、一人が改宗して「同じ色に染まったカップルになる」ということ、具体的には、この時期には少し増えてきていたキリスト教からユダヤ教への改宗というカルチャーを賞賛するという含みも少しだけ感じられます。

その後、小説と映画で少女向けの市場を大きく開拓した『トワイライト』という作品があありますが、この場合は「バンパイヤと結婚して自分もバンパイヤになる」という決意をするヒロインの設定には、異人種・異宗教間の結婚ということで、『シュレック』に似た要素が入っていると同時に、非常に強い自己決定の意思を持ったヒロインの姿には『美女と野獣』のコンセプトも入っているように思います。そのヒロインに、『美女と野獣』の「ベル」をイメージさせる「ベラ」という名前が与えられていることが、それを物語っています。

では、今回の2017年版はどうかというと、ワトソンのやった主役ベルについて言えば、設定、セリフ、エピソードなどはオリジナルから大きく変えてはいないのですが、発明家の父を助ける際に、さりげなく「メカを理解している感じ」を出したりして、「21世紀の知的な女性」という感じになっていたと思います。何よりも、毅然とした演技で改めて女性の自己決定権という思想を体現していたのは事実です。

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これに加えて、「トランプ時代」への意識も見て取れました。例えば村人たちが集団ヒステリーを起こして「野獣を退治しよう」と城に殺到するシーンは、一種のポピュリズム批判になるぐらいの強めの演出が施されていました。また、悪漢ガストンのキャラクターには髪型などにコッソリと「トランプ的な」ニュアンスが付加されていたように思います。

LGBTキャラの登場という話が一部で物議を醸し、アメリカの南部でボイコットがあったとか、マレーシアやロシアの拒否反応の話が大きく報じられていますが、脚本も演出も極めて自然でまったく気になりませんでしたし、私の地元は東海岸ということもあって小学生を連れた家族連れもまったく屈託なく笑っていました。こうした拒絶反応については、ユアン・マクレガーが「今は21世紀だぜ、冗談じゃないよ」と言っていますが、まったくその通りで自然に流れていく感じでした。

そのユアン・マクレガーを含む脇役陣も豪華で、マクレガーとイアン・マッカランのコンビは、素晴らしいセリフの芸を聞かせてくれていますし、何よりも「ポット夫人」を演じたエマ・トンプソンは最高でした。これも少々ネタバレになるのは恐縮ですが、作中の主題曲は基本的にエマ・トンプソンが歌っています。まずソロで朗々歌い上げ、エンディングでの大団円シーンでもリードを取っているのですが、若いときにウェストエンドで活躍した歌唱力は大変な貫禄でした。

歌ということでは、主役のエマ・ワトソンも端正な歌を聞かせていましたし、彼女が『ラ・ラ・ランド』のオファーを蹴って、この作品に賭けたのは正解だったと思います。

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