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北京を超えた世界最悪の汚染都市ウランバートル

ニューズウィーク日本版 2017年4月5日 10時30分

<都市部に流入した遊牧民のゲルから吐き出される煙が、モンゴルの首都ウランバートルを悩ませる>

夕暮れかと思うほど辺りは薄暗いが、まだ午前11時。モンゴルの首都ウランバートルは黄色っぽいもやに包まれている。辺りに立ち込める煤煙(ばいえん)に混じって、時々強烈な異臭が鼻と喉を刺す。プラスチックを燃やす臭いだ。

ウランバートルは今や世界最悪クラスの汚染都市。昨年12月には大気汚染のレベルが北京の5倍にも達した。

都心にはモダンな高層ビルが立ち並び、周りにひしめく旧ソ連様式の殺風景なコンクリート建物群を見下ろしている。さらにその周りには18万戸もの移動式住居ゲルがひしめく。

ゲルは首都に新たに流入した人々の住まいだ。ゲルの住民がストーブで燃やすために立ち木を切り尽くし、一帯には切り株ばかりが残されている。

この30年ほどで、モンゴルの人口の約2割に当たる60万人が首都に移住した。原因はゾド(寒雪害)と呼ばれる異常気象だ。極端な寒さと大雪で家畜が大量に死んだために、多くの遊牧民が伝統的な遊牧生活を続けられなくなっている。

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ゾドは周期的に繰り返されてきたが、近年になって発生頻度が高まり、特にモンゴルのゴビ砂漠地域で深刻な被害が出ている。09~10年の冬には記録的な寒さによって800万頭近い家畜が死に、遊牧民9000世帯が生活の糧を失った。

昨年もゾドが発生し、100万頭の家畜が死んだ。被災者支援の体制が整っていないため、家畜を失った遊牧民は都会に出て働くしかない。

彼らはゲルを持ち込んで首都郊外に住み着く。ゲルの中央部には長い煙突が付いた石炭ストーブがあり、住民はこれで暖を取り、煮炊きをする。皮肉なことに、ゲルの生活に欠かせないこのストーブが汚染の元凶になっている。WHO(世界保健機関)によると、ウランバートルの大気汚染の8割はゲルのストーブによるものだ。

特に懸念されるのは、人間の健康を脅かす微小粒子状物質(PM2.5)が大量にまき散らされること。ウランバートルでは昨年12月16日、PM2.5が1立方メートル当たり1985マイクログラムという最高値を記録した。

WHOが推奨する安全値である1日の平均値25マイクログラムの80倍近い値だ。WHOは、今後10年で状況はさらに悪化すると予測している。



ウランバートルではこの冬、大気汚染に関連した子供の肺炎が激増し、市内の病院はどこも満杯になった。モンゴル全体でも、汚染関連の肺炎が乳幼児の死因の第2位で、全体の15%を占めている。

サイモン・フレーザー大学(カナダ)のライアン・アレン准教授が11年に発表した論文によると、ウランバートルでは住民の死亡の1割が大気汚染に関連した疾患によるものだという。

モンゴル全体では心肺疾患による死亡の29%、肺癌による死亡の40%が大気汚染関連とみられるとの報告もある。

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人口集中に打つ手なし

ウランバートルでは冬には気温が氷点下30度まで下がる。ゲルで暮らす人々にとって、ストーブなしの生活はあり得ない。

それでも汚染のひどさにたまりかね、首都の住民は今年に入って2回大規模な抗議デモを決行した。1月末には氷点下20度の極寒の中、マスクをした大勢の人々が黒い風船を手に都心に集結。旧ソ連の影響下にあったウランバートルでは今でもデモはめったに起きないが、健康被害の深刻さが人々を行動に駆り立てた。

ウランバートルの地形も汚染を悪化させる一因だと、アレンは言う。「山に囲まれた盆地で、あまり風が吹かないため、汚染された空気が滞留しやすい」

事態を見兼ねて民間の支援団体も動き始めた。「14年以降、(民間機関が)リアルタイムの大気汚染情報を発表している。WHOも公報で汚染状況を市民に知らせるようモンゴル政府に働き掛けている」と、WHOモンゴル事務所の広報担当デルゲルマー・バンヤは言う。

クラウドファンディングで資金を集め、啓発活動を行い、マスクの配布や空気清浄機の寄贈に取り組む団体もある。3万7000ドルを集めて病院や学校に100台の空気清浄機を贈る運動では、5日間でほぼ4台の購入資金に相当する1400ドルが集まった。

ただ残念ながら、マスクは気休めにしかならないと、ロンドン大学インペリアルカレッジで大気汚染管理の講義を行うオードリー・ドネイゼルは言う。PM2.5のような微小粒子はマスクを通過して肺の中まで入り込むからだ。



健康被害を減らすためには、抜本的な対策が急務だ。モンゴル政府は世界銀行などの支援を受けて「ウランバートル・クリーン・エア・プロジェクト」を立ち上げた。目標は首都での汚染物質の排出量を94%減らすこと。

エネルギー効率の良い電気ストーブを普及させるため、今年1月から電気ストーブを使う世帯に対して夜間の電気料金を免除し始めた。セントラルヒーティングを導入する世帯には、さらに大幅な減免措置を適用するという。

電気でなくとも、現在多くのゲルで使われている開放型ストーブをより燃焼効率の良い密閉型に変えるだけでも煤煙を減らせる。「開放型の問題は不完全燃焼を起こしやすいことだ」と、ドネイゼルは指摘する。ただ、密閉型の導入には「文化的な問題がある」という。ゲルの住民は開放型ストーブで調理をすることに慣れており、密閉型は使いたがらない。

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長期的な解決策として、モンゴル政府はゲルの住民に公共住宅を提供する計画を立てている。議会は13年に住宅整備を盛り込んだ首都の都市再開発計画を承認したが、経済が一段と冷え込んだため計画は棚上げになった。

国際的な支援を受けても、排出量の94%削減への道は遠い。「進捗の遅さに心が折れそうになる」と、アレンは言う。電気ストーブを普及させようにも、ゲルが並ぶ一帯には電気が通っていない。「首都への遊牧民の流入は止まらず、流れに逆らって泳いでいるような気分だ」

冬が終われば暖房は要らなくなり、汚染は緩和されるだろう。そうなれば人々の関心もほかの問題に向けられる。だが首都への人口流入は1年中続いており、来年の冬にはさらに深刻な汚染が首都を襲いかねない。

[2017.4. 4号掲載]
エレノア・ロス

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