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インドネシア最強の捜査機関KPK 汚職捜査官が襲撃される

ニューズウィーク日本版 2017年4月17日 15時0分

<汚職撲滅委員会の捜査官がテロと思われる襲撃で負傷した。日ごろから身の危険を感じてたという。誰もが襲撃事件の真相解明と汚職の一掃を願っている>

4月11日午前5時過ぎ、インドネシアの首都ジャカルタ北部クラパガディンの静かな住宅街でインドネシア人男性が前から来たバイクに乗った男2人組から液体を顔にかけられた。バイクはそのまま逃走し、近くの住民に助けられ水で顔を洗った男性はそのまま病院に運ばれた。病院での手当の結果、液体は劇薬物で男性の命には別条はないものの顔と目を負傷、現在シンガポールの病院に転院して精密検査と治療を受けている。

これだけなら単なる通り魔による傷害事件として片づけられたところだが、襲撃された男性がインドネシア汚職撲滅委員会(KPK)のノフェル・パスウェダン捜査官と判明するに至り、ノフェル氏を標的にした「テロ事件」として大きく報道される結果となった。

ジョコ・ウィドド大統領も同日「(襲撃事件は)とても残忍な行為で強く非難する」との声明をだし、警察に徹底的な捜査と犯人の早期逮捕を命じた。

【参考記事】インドネシア民主主義の試金石となるか  注目のジャカルタ州知事選が15日投票

国民から高い評価

KPKは国家警察や検察などから完全に独立した汚職事件を専門に捜査、摘発する機関として2002年に創設法案が制定され2003年に正式発足した。政府高官、ハイレベルの国家公務員、国会議員などが関連する汚職事件の内偵捜査、捜査、起訴、訴追のほかに反汚職の教育、キャンペーン、他の捜査機関との協力、政府の反汚職政策の監視などがその主な役割だ。2004年から2015年までに国会議員57人、閣僚や政府組織トップ23人、中央銀行の頭取1人と幹部7人、州知事18人、地方自治体の市長、副市長46人、大使4人、総領事4人、裁判官や検察官など司法関係者41人、政府機関高官120人などを反汚職法などで摘発、法の裁きを受けさせるという実績を残している。

インドネシアは1998年に崩壊したスハルト長期独裁政権時代には慢性的に汚職がはびこり、殺人事件の裁判結果すら金銭で左右されるとさえいわれた。その後誕生した歴代の民主政権はいずれも「汚職、腐敗、親族主義」からの完全脱却を掲げるが、長年の旧弊はなかなか払拭できないのが現状といえる。

2015年には当時の新任の国家警察長官に指名された人物の汚職疑惑をKPKが指摘した結果、逆に国家警察がKPKの副委員長を汚職容疑で逮捕する事態も発生。2016年2月にはKPKの権力を弱体化する法案が国会で審議されるもジョコ大統領がそれを拒否するなど、その強大なKPKの権力ゆえに国会議員や警察組織との間には深い溝が残されている。公権力からは蛇蝎のごとく嫌悪される存在でありながらもKPKの実績は国民からは高い評価を受けている。



今回のノフェル氏に対する衝撃テロ事件に関してもインドネシア各地で「KPKを支持する」「ノフェル氏を守れ」との市民のデモが起きていることもそうした国民の支持と期待を裏付けているといえる。

「電子住民登録証」巡る巨額汚職疑惑

現在インドネシア国民の関心事の一つにKPKが手掛けている「電子住民登録証(e-KTP)汚職事件」がある。

これはインドネシア国民全員が登録を義務付けられている住民登録証の電子化を目指した政府事業で2011年から13年にかけて国家予算5兆9000億ルピアが計上されたものの、うち2兆3000億ルピアが損失となった事案で、インドネシア汚職史上最大級の事件といわれている。事業を受注した企業体の幹部が国会議員や内務省幹部に賄賂を贈り、多額の予算が関係の懐に入ったとの疑惑でKPKが本格的捜査に乗り出していた。これまでに内務省幹部やスティヤノ・ノファント国会議長(ゴルカル党党首)などが捜査対象となり、起訴されている。 

襲撃されたノフェル氏はまさにこのe-KTP事件の担当捜査官だったのだ。ノフェル氏はこれまでにもバイク通勤中に車で後ろから追突されたり、地方視察中のバスが崖から転落したり、脅迫文書や電話、メールを受け取るなど「身の危険」に迫られていたいという。

政党からの中立を保つ

3月17日、東京でKPKの元副委員長バンバン・ウィジャヤント氏による「インドネシアにおける汚職対策の現状と今後」と題する講演会があった。KPKに在職中は自身も脅迫や嫌がらせなど「危険な目にあったことはある」とするバンバン氏はKPKがインドネシア社会で果たす重要な役割について「汚職を完全に排除することはできないが、少なくすることはできる。そしてそれこそが一般の人々のためであり、インドネシアという国のためであると信じている」と語った。

さらに、KPKが完全に中立を保つために政党との関係は一切持たないことを信条としており、それゆえに国民の圧倒的な支持を背景に捜査することが可能になる、とKPKが中立性を保つことの重要性を強調した。

KPKにはノフェル氏のような警察出身の捜査官も存在する。当初は警察から送り込まれた「お目付け役」との見方もあったが、今回の襲撃テロ事件はそうした観測を一掃、出身母体に関わらず全ての捜査官が「汚職撲滅」という極めて困難な目標に「警察や国会議員、政府高官、政党関係者」などなどの妨害、嫌がらせ、威圧をはねつけながら果敢に挑戦している姿をインドネシア国民の目に改めて焼き付ける結果となった。

襲撃事件を捜査しているジャカルタ特別州警察は4月11日、事件の約2週間前にノフェル氏の自宅付近で不審な人物が目撃されており、その人物の写真も記録されていることを明らかにした。一刻も早く犯人の検挙と事件の解決、そして巨額汚職事件の全容解明をインドネシア国民は望んでいる。

[執筆者]
大塚智彦(ジャーナリスト)
PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など


大塚智彦(PanAsiaNews)

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