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日本の「料理人帯同制度」は世界でも少数派 おもてなしの是非

ニューズウィーク日本版 2017年8月14日 20時0分

内閣改造で河野太郎氏の外相就任が決まった時、筆者の頭に浮かんだのは、外務省の「公邸料理人帯同制度」はどうなるのだろう、ということだった。外国に赴任する日本大使は料理人の帯同が認められ、料理人の給与は一部公費で賄われる。これに対して河野氏は一時、公邸料理人不要論を打ち上げていた。河野氏が「公邸料理人帯同制度」の廃止を主張していると筆者が外務省官房に籍を置く数人から聞いたのは、同省の「要人外国訪問支援室」室長の公金横領事件(2001年)の後だった。この事件を機に、在外公館などで公金支出のずさんさ、大使の不祥事などが相次いで明るみに出ていた。

この複数の官房職員によれば、「公邸料理人帯同制度」に対する河野氏の批判は、公邸料理人が「情報収集と人脈形成のために任国の要人をもてなす」という本来の目的ではなく、大使夫妻の日常のぜいたくのために使われている、という点にあった。公費が支給されている公邸料理人をそのように使うのは公私混同も甚だしい。「公邸料理人帯同制度」は廃止し、レストランでもてなせばいいではないか、と。

念のため、河野氏の公式サイトのブログ「ごまめの歯ぎしり」を読んでみた。衆院外務委員会の理事や委員長を務めた同氏の外務省に対する評価は厳しい。無駄遣い、情報開示の不十分さ、公金横領を長年許してきた外務省のシステム...。公邸料理人についての記述は見当たらなかったが、同省に対するその厳しい姿勢から、「公邸料理人帯同制度」を批判的に見ていたことは十分に想像できる。

料理人を帯同するメリット

「公邸料理人帯同制度」を採用している国はあまり多くない。日本の他は中国、ロシアなど一握りで、ほとんどの国は現地の大使館に任せている。例えば駐日フランス大使の公邸料理人のセバスチャン・マルタン氏は、東京・六本木のフレンチレストランでシェフをしていた04年に大使館にヘッドハンティングされた。駐日英国大使館の大使公邸は代々、日本人料理人が厨房を預かっている。

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ただ、小さい国の大使館だと料理人に出せる給与にも限度があり、安くて済むフィリピン人を雇うところも少なくない。筆者は駐日レバノン大使の公邸にも招かれたことがある。おいしいレバノン料理に舌鼓を打っていると、料理人はフィリピン女性だと教えられ、驚いた。大使は日本に赴任後、このフィリピン人の料理の腕を見込んで、短期間、レバノンに派遣し、料理を学ばせたのだという。

日本の場合は、外務省の外郭団体である「国際交流サービス協会」が日本料理のできる料理人を中心に登録していて、赴任する大使に紹介する。大使と料理人の間で給与面など条件を話し合い、折り合えば帯同することになる。大使の中には料理人の腕を確かめるため、赴任前に自宅に呼んで作ってもらうこともあるという。

大使経験者は異口同音に「公邸料理人帯同制度」を支持する。「誰でも行けるレストランでもてなすのと、大使公邸でもてなすのとでは全く違う」と。

レストランはビジネスライクな場であり、公邸のようにひとときを共有する親密でくつろいだ雰囲気は持てない。また、レストランは誰でも行けて、知っている人には新鮮味がないが、日本大使公邸は「町場では食べられない日本料理を出す」のが誘いの殺し文句であり、招かれて喜ばない人はまずいない。

ある大使経験者は筆者にこう語った。「おいしい料理を出す大使公邸と言う評判が立つと、めったに顔を出さないような人も来てくれます。そうすると『あそこに行けば珍しい人に会える』とさらに人が集まります。情報収集、人脈作りといった外交基盤強化の上で、『公邸料理人帯同制度』は重要なツールであり、私も大いに活用し、役立てました」

筆者もこの制度は「日本食の普及」という点で、小さくない役割を果たしたと思っている。大使公邸に招かれるのは、その国で発言力、影響力を持った人たちが多い。政治家、実業家、官僚、知識人、芸術家...。彼らは1960、70年代、大使公邸で日本料理のおいしさを知り、知り合いや友人に口づてに広がり、これが日本食ブームの下地を作ったと思われる。

「日本料理はコンテンツ」と紹介した訳は?

河野氏の批判は十数年前のこと。今なお持論なのだろうか。「ごまめの歯ぎしり」を読んでいて面白い話が目に入った。13年3月28日の項だ。

欧州連合(EU)のブロック欧州議会外務委員長が来日し、シュバイスグート駐日EU大使が前日(3月27日)に晩さん会を催した。ブログに河野氏はこう書く。

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「明石康元国連事務次長、川口順子元外務大臣などとご一緒に私もお招きをいただき、キプロス問題、カラジッチ裁判、北朝鮮問題、EUの意思決定のしくみ等々をテーマにした話が続きましたが、なによりも驚いたのが晩餐会の料理でした」(かぎかっこ内は原文ママ)

そして英語で印刷されたメニューをそのまま写している(丸かっこ内は筆者訳)。

Aji Tartar, Toasted Tatami-Iwashi
 Soy Sauce and Olive Oil Dressing
 (アジのタルタルとあぶったタタミイワシ、しょうゆとオリーブオイルのドレッシングで)

Roasted Lobster with Lemongrass Butter
 Soba Blinis
 (ロブスターのロースト、レモングラス風味のバターとソバ粉のパンケーキ)

Sea Bream Filet
 Beetroot and Celeriac Cream
 Wasabi Foam and Lettuce Sauce
 (タイのフィレを、ビーツと根セロリのクリーム、泡状にしたワサビとサラダ菜ソースで)

Wagyu with Yuzu
 Seasonal Vegetables and Diamond Potato
 (和牛にユズを添えて、季節の野菜とひし形のポテトと共に)

Sansho Scented Strawberry Tartar
 (さんしょうの風味を付けたいちごのタルタル)

Vanilla Panacotta, Reduced Balsamic
 Strawberry-Lemongrass Sorbet
 (バニラ味のパンナコッタに濃縮したバルサミコソースをかけて、いちごとレモングラス風味のシャーベットと)

飲み物はフランスワインだった。

Sancerre La Sablette 2010
 (サンセール・ラ・サブレット 2010年)

Connétable Talbot Saint-Julien 2005
 (コネタブル・タルボ 2005年)

ロワール地方の白ワインに、赤はボルドー地方メドック地区(サン・ジュリアン)のシャトー・タルボのセカンドワイン。

河野氏は料理の感想をこう述べる。

「大使公邸のフランス人シェフによるフランス料理でしたが、メニューの通り前菜からデザートまで一品ずつ、全ての料理に日本の素材が活かされていました。いちごに山椒という取り合わせは、あまり日本ではないと思いますが、絶品でした」

「フレンチをはじめヨーロッパの料理に確実に日本の影響が浸透していることを感じましたし、シェフの日本の素材を取り入れようという意気込みにも感動しました。日本食と日本の食材、強力な日本のコンテンツです」(かぎかっこ内は原文ママ)

4年前のこのブログで、河野氏は日本食、日本の食材を高く評価し、「強力な日本のコンテンツ」とさえ言っている。ここからは持論の「公邸料理人帯同制度」不要論は結び付かない。

これは想像だが、河野氏はある時点から持論を見直したのではないか。21世紀に入って日本料理は世界的なブームとなるが、日本人自身が世界における日本料理ブームを広く認識するのはそんなに前ではない。ちなみに、和食が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されたのは、河野氏が駐日EU大使の晩さん会に出席したその年の12月である。

無駄遣いの削減、公金のきちんとした管理、情報開示など、外務省への厳しい姿勢を堅持してきた河野氏からすると、もてなすならレストランでいいではないか、と一時は思っていた。そうすれば公邸料理人を、大使夫妻の日常の食事にも担当させる不透明さも無くなり、公私混同も避けられる。

しかし、日本料理や日本の食材が世界的に認知され、「強力なコンテンツ」となっていく中で、公邸料理人が貴重な外交ツールとなると思うようになったのではないか。河野氏が駐日EU大使の公邸料理人の手になる晩さん会をブログで取り上げたこと自体、持論にこだわらない証左と見ることもできる。これからの河野外相の言動に注目しよう。

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[執筆者]
西川 恵(にしかわ・めぐみ)
毎日新聞社客員編集委員
1971年毎日新聞社入社。外信部長、専門編集委員などを経て14年から現職。
著書に『エリゼ宮の食卓』(新潮社、サントリー学芸賞)、『ワインと外交』(新潮新書)、『国際政治のゼロ年代』(毎日新聞社)、『饗宴外交』(世界文化社)など。近著に『知られざる皇室外交』(角川新書)。フランス国家功労章。

※当記事は時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」からの転載記事です。




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※時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」より転載

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