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有力な「証人」が米で不審死 インドネシア史上最大級汚職事件の闇

ニューズウィーク日本版 2017年8月21日 13時45分

<汚職容疑で政府高官が起訴された他、政界の大物の名前も取り沙汰されている住民登録証の電子化事業に関わっていたビジネスマンが、ハリウッドで遺体で発見された。彼が持っていたはずの汚職の有力証拠も見当たらない。いったいどこまで事件は拡大するのか>

米国カリフォルニア州ロサンゼルスの西ハリウッドのバリーグローブにある高級住宅で、8月11日午前5時頃(米西部時間)、1人のインドネシア人男性が死亡しているのが発見された。

この男性は実業家のヨハネス・マルリム氏(32)で、米に本拠を置く会社を経営していたが、この会社はインドネシア政府が国民全員に登録が義務付けている住民登録証(KTP)の電子化(電子住民登録証=e-KTP)事業に深く関連していたことからインドネシア国内では大きなニュースとして伝えられた。

このe-KTP事業は2011~2013年にかけて国家予算5兆9000億ルピアを計上してスタートしたものの、うち2兆3000億ルピアが損失となった。事業を受注した企業の幹部らが国会議員や担当省庁の内務省幹部に多額の賄賂を贈ったことによる損失とされ、インドネシア汚職撲滅委員会(KPK)が本格的捜査に乗り出している。

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これまでに内務省幹部や政党関係者、国会議員など少なくとも37人がKPKから容疑者、あるいは容疑者の可能性があるとして事情聴取を受けている。7月にはゴルカル党党首で国会議長のスティヤ・ノファント氏を収賄の容疑者に認定しているが、事件に関与した疑いのある人物が多数いることから全容解明にまだ至っていない。

そんな中、事件の有力な証拠を保管しているとされ、捜査に協力する姿勢を示していたというマルリム氏の突然の死は多くの疑問を投げかけている。

身辺の危険を相談していた

地元ロサンゼルス警察は検視結果や現場の状況から、マルリム氏が数人の人質をとって建物内に立てこもり、警察とのにらみ合いの末マルリム氏自身が銃で頭部を撃って自殺したと発表している。しかし、マルリム氏をよく知る関係者からは「自殺する動機がない」「人質を取る理由もなくありえない状況」と"自殺"を疑問視する声が沸き起こっている。そしてインドネシアの証人被害者保護局(LPSK)関係者は「マルリム氏から重大事件証人として身辺警護に関する相談を受けていた」ことを明らかにした。LPSK関係者によると死亡の約1週間前に「身に危険が迫っている可能性がある」として証人保護に関する話し合いをしたが、細かい部分で合意に至らずさらに協議しようとしていた矢先の死亡だったという。これはマルリム氏が殺害の危険を感じていたことを示しており、今回の自殺に疑問が生じる理由の一つとなっている。



死後、「有力証拠」の音声記録が行方不明に

マルリム氏はe-KTP事業の根幹となる本人を確認するための指紋識別装置を製造するバイオモール社の社長で、2010年に同事業を立案する会議に出席した際、会議内容を録音した音声記録を保管していたとされる。この音声記録は今後の捜査、裁判で容疑者らの犯罪を立証する最も有力な証拠になるといわれていた。マルリム氏はLPSK関係者に「500ギガバイトの音声記録の証拠を持っていることが身の危険を招いていると思う」と漏らしていたとも伝えられている。同氏の死亡後、この有力証拠となりうる音声記録がどうなったかは不明で、ますます自殺を巡る謎と闇が深まっている。

ロサンゼルス警察は自殺との結論を出している一方で、インドネシア国家警察国際関係部署担当者は「マルリム氏の死亡そのものは米当局によって確認されているが、詳しい死因はまだわかっていない」と慎重な姿勢を見せた上で、現在米連邦捜査局(FBI)と協力して事件の真相解明にあたっていることを明らかにしている。

汚職捜査官が顔に化学物質をかけられ失明

e-KTP事業の捜査を巡っては、今年4月11日早朝にジャカルタ市内の路上を歩いていたKPKで同汚職事件を担当するノフェル・バスウェダン捜査官が正体不明の男性2人組から通りすがりに化学薬品を顔面にかけられる事件が起きている。ノフェル氏はその後シンガポールで治療を受けたが、片目を失明した。国家警察では容疑者の似顔絵を公開して犯人の行方を追っているが、事件は解決に至っていない。

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多数の政府機関関係者、国会議員に捜査が及ぶに従い、国会議員の間から独立捜査機関としてのKPKの捜査権限に対し「KPKの独走をチェックする必要がある」「KPKも間違いを犯す可能性がある」などと反発する声が出始めている。しかしジョコ・ウィドド大統領は「汚職というインドネシアの悪弊は根絶しなければならない」としてKPKへの絶大の信頼を寄せており、世論調査でもインドネシアで最も信頼できる機関としてKPKは認知されている。このためKPKは現在のインドネシアで「最強の捜査機関」の地位を確保、2004年から2015年までに国会議員57人、閣僚や政府組織のトップ23人、州知事18人、地方自治体の市長、副市長46人、大使4人、裁判官・検察官など司法関係者41人、政府機関高官120人を反汚職法などで摘発、法の裁きを受けさせる実績を残している。

今回のマルリム氏の死を受けてKPKのフェブリ報道官は8月14日に「e-KTP事業の捜査は何の変更も影響もなく続く。すでに犯罪を立証するに十分な証拠は得ている」とのコメントを発表、今後の捜査の継続と容疑者追及の手を緩めることはないことを明らかにしている。

[執筆者]
大塚智彦(ジャーナリスト)
PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など



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大塚智彦(PanAsiaNews)

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