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ダイアナ元妃の生涯と「あの事故」を振り返る

ニューズウィーク日本版 2017年8月30日 16時45分

<世界中から愛されたダイアナは、20年前に36歳で非業の最期を遂げた。英王室に嫁いで苦しいことも多い、短い人生だった>

8月31日は、ダイアナ元皇太子妃が亡くなって20年目の節目となる日だ。ダイアナは、現在の王位継承順位第2位のケンブリッジ公爵ウィリアム王子、そして弟のヘンリー王子の母にあたる。

ダイアナは生前、慈善事業家、セレブリティ、人々にとってのロールモデル(模範)、そしてそれまでとは全く異なるタイプの王室の一員として、イギリスの公人の中でも並外れて大きな役割を果たした。

心をむしばんだ結婚生活

ダイアナは、イギリス貴族の家系に生まれた。1975年に父親のエドワード・ジョン・スペンサーがスペンサー伯爵位を自らの父から継承したのに伴い、ダイアナも「レディ・ダイアナ・スペンサー」の称号を得た。

ダイアナが世の注目を一身に集めるようになったのは1981年のこと。この年に、王位継承順位第1位のチャールズ皇太子との婚約が発表され、2人は同年7月に結婚した。この結婚により得た「プリンセス・オブ・ウェールズ」の称号を、ダイアナはのちの離婚後も使い続けることになる。

2人の交際をめぐるメディアの報道は過熱した。これには、チャールズ皇太子がダイアナより13歳年上だったことや、真面目で格式張った皇太子には、ファッションやポップカルチャーに興味を持つ、はるかに若い女性は不似合いなのではないかとの懸念も一役買っていた。

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こうした周囲の懸念は的中する。2人の結婚生活は不幸なものとなり、チャールズ皇太子は、結婚前に交際していたカミラ・パーカー・ボウルズとの関係を再開させたのだ。カミラはのちにチャールズ皇太子と再婚し、現在はコーンウォール伯爵夫人となっている。ダイアナ自身も、騎兵連隊将校のジェームズ・ヒューイットと、密かに不倫関係を結んでいた。

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このように不仲だったとはいえ、ダイアナはチャールズ皇太子との間にウィリアムとヘンリーという2人の息子をもうけた。生前、ダイアナは2人の王子について「安心して暮らせる環境で息子たちを育てたい」と述べ、自らの子育ての様子をこう語っている。「子どもたちをぎゅっと抱きしめ、夜には添い寝もしている。息子たちには常にたっぷりと愛を与え、大切にしている。これはとても大切なこと」

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しかし、絶え間ないメディアからの圧力や、皇太子との辛い関係が、次第にダイアナをむしばんでいった。まだ一般的にはメンタルヘルスの理解が進んでいない時代に、ダイアナは心を病み、過食症や摂食障害に苦しんだほか、自傷行為に走ることもあった。



メディアを巻き込み、ダイアナとイギリス王室の評判を大いに傷つけた数年にわたる騒動の果てに、皇太子とダイアナは1996年に離婚した。離婚の条件として、ダイアナは引き続きロンドンのケンジントン宮殿に住み続ける権利を獲得し、「プリンセス・オブ・ウェールズ」の称号も維持した。離婚後は、元皇太子妃という自らの知名度を生かし、人道支援や慈善活動に力を入れた。中でも名高いのが、このころ世界中で蔓延していたエイズ問題への取り組みで、当時タブーとされていたこの問題にも積極的に関わっていった。

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突然の事故死

ダイアナは死の前日の8月30日、少し前から交際していたエジプト人映画プロデューサー、ドディ・アルファイドとパリを訪れていた。ドディの父は、イギリスのデパート「ハロッズ」の元オーナーである億万長者、モハメド・アルファイド。ダイアナとドディは当初、モハメドが所有するパリのリッツ・ホテルに一泊する予定だった。

しかし、2人の居場所を突き止めようとするパパラッチがホテルを取り囲んでいたため、ダイアナとドディは夕食の予定をキャンセルし、パリ市内にあるドディのアパートに向かうことにした。直前になって決まった話だったため、リッツ・ホテルの警備責任者アンリ・ポールが急きょ呼び出され、運転手を務めることになった。ポールはこの3時間前にこの日の本来の勤務予定を終えており、運転席に乗り込む前に酒を飲んでいた。

ホテルを出る際ポールは、待ち構えたメディアに対し、車には追いつけないだろうという趣旨の発言をしたと伝えられる。ポールが運転する車は猛スピードでホテルをあとにし、速度制限の2倍の速さで近くのトンネルに入った。ここでポールが運転を誤り、車はトンネルの支柱に激突。この事故でドディとポールは即死した。ダイアナは即死こそ免れたが、8月31日の早朝に死亡宣告を受けた。享年36歳だった。

イギリスがダイアナの死によって受けた衝撃は、非常に大きなものだった。一般市民は、生前ダイアナが住んでいたケンジントン宮殿に花束をたむけ、追悼の意を示した。メディアも連日、ダイアナの死についてのニュースを報じ続けた。イギリス王室は、ダイアナの死の知らせを受けた後も、夏の避暑地としていたスコットランドのバルモラル城に滞在を続け、批判の的となった。ただしこれに関しては、ウィリアムとヘンリーの両王子に、人目のない場所で母の死を悼む機会を与えようという思いに駆られた行動だったとして、年長の王族たちの判断を擁護する声もある。

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この年に成立したばかりの労働党政権を率いる若き首相トニー・ブレアは、ダイアナの死に関する演説で、政治家としての名を上げた。ブレアがこの時使った「人々のプリンセス」という表現は、その後もダイアナの呼び名として定着している。

今が見ごろのホワイトガーデン

息子のウィリアムとヘンリーの両王子は、ケンジントン宮殿の庭で控えめな追悼式を行うことになっている。この式典で王子たちは、生前のダイアナを知る宮殿のスタッフや、彼女が支援していた慈善事業の代表と話をする機会を持つ予定だ。

ケンジントン宮殿の外には、20年目を迎えた今、ダイアナの死を悼んで再び多くの花束が供えられている。ロンドンを訪れる機会がある人は、市内西部にある同宮殿を訪れ、こうした様子を見てもいいだろう。

ダイアナをしのんでケンジントン宮殿内に造られた庭園「ホワイトガーデン」は、9月までが見ごろだ。ウィリアム、ヘンリーの両王子もこの庭園を訪れる予定があるほか、一般の人も歩道から眺めることができる。

テレビでは、ダイアナの生涯に関する特別番組がこれまでも数多く放映されてきた。アメリカでは東部夏時間の9月1日午後8時から、ダイアナの死後1週間を題材に、関係者からの証言を集めたBBCのドキュメンタリー『Diana, 7 Days』がNBCで放送予定だ。

(翻訳:ガリレオ)


ジョシュ・ロウ

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