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『ダンシング・ベートーヴェン』の舞台裏

ニューズウィーク日本版 2017年12月26日 10時20分

<ベジャールのバレエ「第九」の舞台製作プロジェクトを追いかけたドキュメンタリー『ダンシング・ベートーヴェン』の監督アランチャ・アギーレが語る舞台の深淵なテーマ>

日本で年末になるとよく演奏されるのが、ベートーヴェンの「第九」こと「交響曲第九番」。この曲にバレエを融合させる大胆なアイデアを実現したのが、今は亡き振付家のモーリス・ベジャールだ。その「交響曲第九番」は総勢80人あまりのダンサーとオーケストラ、合唱団による圧巻の舞台。14年には東京バレエ団とモーリス・ベジャール・バレエ団の共同制作で上演がされたが、そのプロジェクトを追いかけたドキュメンタリーが『ダンシング・ベートーヴェン』だ(日本公開中)。

舞台が完成するまでのダンサーや関係者の努力だけでなく、生と死や人生といった幅広いテーマをみせてくれる。アランチャ・アギーレ監督に話を聞いた。

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――まず、ベジャールのバレエはどこが特別なのだろうか。

ダンスに知性を持ち込んだのがベジャール。彼は思想や感情というものをダンスによって伝えようとした。ダンスのスピリチュアリティを回復させた人でもある。ダンスはもともと宗教に関係し、精神的なものを持っていたが、歴史を経るなかで形式的、装飾的なものが重視されるようになっていった。その中でベジャールはもう一度スピリチュアルなものに回帰しようとした。

――「第九」の舞台ではさまざまな国のダンサーが踊るが、そもそも人種の多様性はベジャールのバレエ団の特徴でもある? 

その通り。例えばパリのオペラ座バレエ団などではダンサーの90%はフランス人だが、ベジャールのバレエ団は設立当初からあえてさまざまな国籍、人種の人を集めている。彼は世界中の文化に興味を持っていた。今はそうしたバレエ団は他にもあるが、ベジャールがパイオニアの1人だった。

まさにそうしたバレエ団だからこそ、「第九」と完璧に合っている。第4楽章の「歓喜の歌」はシラーの詩が歌詞に使われているが、そこでは「人類は兄弟だ」と歌われている。

――12世紀の修道士の話と、ベジャールの舞台で表現される「円」について触れたプロローグが印象的だった。

ベジャールはいつも宗教的なモチーフを取り入れていたし、「円」は彼のお気に入りのモチーフだ。ダンスは円である、と考えていた。

原始の踊りは円を基本としていたが、それが変わったのがフランスのルイ14世(太陽王)の時代。ルイ14世は今日のクラシックバレエを確立したが、その頃には円を2つに割って現在のような舞台の形、つまり正面だけを向いて踊るスタイルになった。

それをベジャールがもう一度、「ダンスは円である」という原点に回帰させた。ある意味でけがを治したというか、損なわれていたものを回復させた。



(C) Fondation Bejart Ballet Lausanne, 2015

――冒頭部分に鉄道自殺の話が出てくることに少し驚いた。

撮影の初日、(バレエ団のある)スイスのローザンヌに行くための列車で撮影していたら、自殺が起きて列車が止まって......。あの場面を入れたのは、逆説的なものを感じたから。これから歓喜の歌についての映画を撮ろう、希望についての映画を撮ろうとして出発した矢先に自殺現場に遭遇した。そんな風に絶望してしまわないために、喜びや希望というのが必要なのだと思ったから。

ベートーヴェンも人生で非常に苦しんだ作曲家だった。と同時に、私たちにあれほどの美と歓喜にあふれる作品を残してくれた。ベートーヴェンが生み出した「苦しみから美や喜びへの昇華」というものを、ベジャールの舞台も私たちに伝えてくれていると思う。

――映画の中で「舞台の人たちは仕事中毒だ」というようなセリフ出てくるが、スポーツのような身体性と芸術性を兼ね備えなければならないバレエダンサーの努力は大変なものだと思う。
 
彼らは多くの犠牲を払って努力をしているが、それだけ報いも大きい。彼らが舞台上で感じる興奮や満足感は、苦しんで努力をして手に入れるだけの価値のあるもの。言ってみれば、人生にも苦しみがたくさんあり、闘わなくてはならないことがたくさんある。最大限努力してそれに立ち向かっているのが、ダンサーたちだと思う。誰にとっても人生は苦しいものだろうが、その鮮烈さが極限までいっているのがダンサーかもしれない。

――「芸術が世界を救う」という言葉が出てくるが、それは今の世界を見て感じていることか?

そう、いま必要なメッセージだと思った。絶望に陥ってしまうような出来事が世界にはいっぱいある。だから映画の中ではポジティブなことを伝えられる何かが必要だった。人間には希望が必要で、その希望を生みだすのがアーティストだと思う。

――これまで数多くのバレエ関連のドキュメンタリー作品の監督や脚本を務めている。次の作品もバレエにまつわるものか?

やりたい企画が2つあって、1本は19世紀のスペインの作曲家についてのもの。もう1本は、日本におけるフラメンコがテーマだ。日本ではフラメンコの人気がとても高いと知り、日本とスペインの関係をフラメンコを通して描いてみたいと思っている。


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大橋 希(本誌記者)

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