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金正恩が背負う金王朝の異常性

ニューズウィーク日本版 2018年1月15日 17時30分

<脱北した金正日の元ボディーガードらが、キレやすく残酷な金正恩の来し方について証言>

金王朝の後継者として今や北朝鮮で絶対権力を握る金正恩朝鮮労働党委員長だが、その幼少期は孤独で不幸だったのかもしれない。父親である故金正日総書記のボディーガードだった脱北者が証言した。

証言者の李英国は1978~1988年にかけて権力継承前の金正日のボディーガードを務めたことから、世界で最も謎めいた金王朝の内情を知る人物とされる。1994年に脱北したが捕らえられ、北朝鮮の収容所に5年間収監された。出所後の2000年頃に再び脱北して韓国入りを果たした李は、それ以降、若き最高指導者・金正恩の代を含めて、3代にわたり北朝鮮を牛耳る金王朝の知られざる一面を暴露してきた。

「正恩はストレスを抱え、子どもの遊び相手がいなかった」と、1月12日に放送された米ABCニュースのインタビューで李は語った。「彼の周囲には大人しかいなかった。教育担当も遊び相手も大人だった」

「正恩は切れやすい性格だった」とも李は言った。「いったん怒ると、見境なく周囲に当たり散らした」

金正恩の誕生日は1984年1月7日とする説が有力だが、依然として不明だ。ABCニュースによれば、李が金正恩を何度も見かけたのは、彼が6歳か7歳の頃だったという。今写真で見る正恩は一見すると父や祖父である金日成より泰然自若として親しみやすいイメージすらある。だが李に言わせれば、アメリカに届く核ミサイルをもつ正恩は、幼少期には激昂しやすい性格だった。

「正男のほうが優遇されていた」?

「彼はとにかく短気だった」と李はインタビューで語った。「他人の気持ちなどお構いなし。相手に申し訳ないという気持ちがない。何でもやりたい放題で、年配の女性を怒鳴りつける有り様だった」

李は、異母兄である長男・正男の方が三男・正恩より父親に優遇されていた、とも指摘した。後継者に指名されてから権力継承まで、父の金正日には20年以上の猶予があったのに比べて、正恩には継承準備の時間がほとんどなかった。このことから、当初は正男が後継者とされていたが、2001年に東京ディズニーランドに行こうとして成田空港で捕まり強制退去させられたときから後継者候補から脱落した、とする憶測が生まれた。政治に無頓着な正男はマカオを拠点に暮らしていたが、昨年2月にマレーシアの空港で猛毒VXガスを使って殺害された。正恩の指示によるもの、とする見方が大勢だ。

だがジョンズ・ホプキンズ大学の北朝鮮分析サイト「38ノース」の専門家で北朝鮮指導部に詳しいマイケル・マッデンなど一部の専門家は、最初は正男の方が後継者候補として有力だったとする見方に反対する。マッデンと同じ38ノースの専門家で、同大高等国際問題研究大学院の米韓研究所所長を務めるジェームズ・パーソンによれば、金正日は父・金日成の不興を買うのを恐れて息子たちを隔離させた、とも言われているという。



「金正日は2人の息子を決して会わせなかった。正恩は正男に一度も会ったことすらない、とも言われている」とパーソンは本誌に語った。

「金正日が息子たちを隔離させたのは、複数いた夫人との関係を金日成から隠すためでもあった。金日成は金正日の女性関係に猛反対だった」とパーソンは言った。

李は、孤独な幼少期を過ごしたことが金正恩の人格形成に影響を及ぼしたようだ、とABCニュースに語った。最高指導者の座についた正恩は、ベテランのエリート幹部を次々に粛清し、父以上に残酷な独裁体制を敷いた。逆に国民に対しては、北朝鮮の指導者として初めて妻を公の場に同伴させ、下級役人にも頻繁に声をかけるなど、祖父や父よりオープンな顔を見せている。

金正恩のそうした特性すべてが、ドナルド・トランプ米大統領の気に食いらなかった。トランプは北朝鮮に対する軍事的な圧力を強化し、厳しい制裁を科して経済的にも追い詰めようとした。金とトランプは互いの国への核攻撃も辞さないと脅し合い、個人的にも侮辱を繰り返してきた。金は元日の「新年の辞」で韓国の平昌で来月開催される冬季五輪に選手団を送る意向を示し、2年ぶりに南北当局者会談も開催されて一気に緊張緩和に向けた期待が膨らんだが、その後は米韓合同軍事演習の中止を求めるなど再び強硬姿勢に転じ、相変わらず何を考えているのかわからないままだ。

(翻訳:河原里香)


トム・オコナー

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