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イラン反政府デモが問う、派閥対立の深い罪

ニューズウィーク日本版 2018年1月22日 11時30分

<各地に拡大した政権への抗議行動――改革派と強硬派の反目が招いたリーダーシップ分断危機の行方は>

昨年末からイラン各地に広がった反政府デモは、この国のリーダーシップが抱える危機をまたもやあぶり出した。非難されるべきは国家権力の全ての階層と、その内部で権力争いを繰り広げる全ての派閥だ。

デモ参加者は、最高指導者アリ・ハメネイやハサン・ロウハニ大統領に対しても抗議のスローガンを唱えた。そこから浮かび上がるのは79年のイラン革命以来、団結してきた政治エリートの各派閥、改革派と現実主義者と強硬派の間の分断だ。

さらに、国家としてのイランと社会としてのイランの溝が深まるなか、政治エリートは派閥を問わず同じ存在だと見なされていることが浮き彫りになった。

こうした危機はイラン特有のものではない。民主化要求運動「アラブの春」、16年のブレグジット(イギリスのEU離脱)決定や米大統領選の結果が示すように、政治の現状や政治エリートに対する民衆の抗議行動は世界的傾向になっている。

イランの市民も20年以上前から投票やデモを通じて、その時々の政治への不満を表明してきた。時期を同じくして、権力内部での派閥間の対立や政治的競争が加速し、それがイラン政治の常態になった。

政治エリートの派閥争いが加速する前兆が、97年の大統領選でのモハマド・ハタミの当選だった。改革派のハタミの下で政権入りした人々は政治・文化・経済の自由化を求め、「内からの変革」という考えを導入した。彼らの路線は有権者に広く支持されたものの、おおむね失敗に終わった。保守派が一致団結して改革を阻んだからだ。

こうした流れのなか、05年大統領選では保守強硬派のマフムード・アハマディネジャドが勝利。アハマディネジャドは不均衡の是正を掲げたが、その再配分政策や対立的な政治姿勢は国内の権力バランスを揺るがした。象徴的な例が09年大統領選の不正疑惑と大規模な抗議運動、政府による弾圧だ。

強硬派を追い詰めた末に

次いで、13年の大統領選を制したのが保守穏健派のロウハニだ。現実主義的な経済・社会改革を公約に掲げたロウハニは体制のバランスを取り戻すはずの人物だった。政治エリートの間には、「身内」であるロウハニなら反目する右派と左派の橋渡しをする一方、革命以来のイスラム共和国としての正統性を回復できるとの期待があった。

核開発計画をめぐってアメリカなど6カ国と協議を続ける間、イラン政治の派閥対立は比較的和らいでいた。外国との交渉を前に、統一戦線をつくるようハメネイが強く要請したからだ。しかし15年7月に核合意が実現すると、強硬派はロウハニとその改革案の信頼性を損なおうとし始め、分断が猛烈な勢いで再び姿を現した。

ロウハニは前任者らと同じく、変化を約束して大統領の座に上り詰めた。だが出世のために利用してきた派閥間の分断に、自らの手で橋を架けることに失敗したせいで今や転落しつつある。約20年にわたるリーダーシップのおなじみの危機サイクル――政権が交代したものの公約は守られず、失望した民衆が抗議運動をするという流れがロウハニをのみ込もうとしている。

イランの強硬派と改革派が争っているのは、現在の政治システムに占める位置だけでない。政治の未来も対立の火種だ。



全ての派閥は手法の面で異論はあっても、理論上はイランの政治システムの保護と維持のため一致団結している。とはいえ現実主義者や改革派は、より開かれた民間部門の創出をうたう経済自由化政策を支持。強硬派に言わせれば、そんな政策は革命の価値観(と自分たちの立場)を損なうものだ。

ロウハニは汚職を政治問題化する姿勢を打ち出し、イラン革命防衛隊がビジネス分野に持つ権益を切り崩そうとしてきた。これも強硬派にとっては、自らの経済的利益に対する脅威だ。

こうした事情を背景にして、今回の反政府デモは発生した。その始まりは12月28日にイラン第2の都市マシャドで起きた抗議行動。首謀者は、ロウハニの経済政策を敵視する同地の強硬派政治家だったとの報道もある。真偽はともかく、デモはあっという間に国内各地の市町村へ拡大していった。

デモ発生前、政府が発表した18年度予算案は、支出削減や汚職批判で国民の大きな関心を集めている。外国投資の呼び込みを図るロウハニは、補助金支出の削減や燃料価格の引き上げを決定。これが民衆の不満を強めた可能性もある。

今回の一件で見逃してはならないのはアハマディネジャドの存在だ。デモとの関わりは今のところ明らかではないが、革命防衛隊のモハンマド・アリ・ジャファリ司令官は「(抗議行動は)体制の価値観や主義に反することを言うある人物と関連している。この元政府高官の関与について捜査中だ」と語った。

バランスを取り戻せるか

デモへの政府の対応は好意的に言っても弱腰で、上層部内部での政治的対立を反映している。

ロウハニはデモ発生後の数少ない発言で、敵対する強硬派との違いを強調。混乱の根本原因は「より若い世代との乖離」にあると認め、インターネット規制の緩和や政府の透明性実現を呼び掛けた。13年の大統領選以来、主張してきたこれらの改革要求を強硬派に突き付ける政治力と勇気がロウハニにあるか。答えがノーなら、残りの任期はレームダック化するだろう。

指摘しておくべきは、改革派も首尾一貫した対応を見せられないでいることだ。ロウハニ政権の協力者として多くの議席を持つ改革派は、政府を支持する一方、デモ参加者の権利を擁護するという苦しい立場にある。

ハメネイはといえば、いつものように、全ては外国勢力の干渉のせいだと批判する態度に終始している。ハメネイが固持する国家観はもはや、多くの市民にとって意味も価値も持たない。この国のシステムの均衡が崩れた責任は、究極的には最高指導者のハメネイにある。

デモをめぐって分かれる反応はイラン政治の実態を映し出す。イスラム共和国という在り方を団結して支持する建前の裏で、各派閥は自らの権力や立場を保持することにかかりきりだ。

1858年、後に米大統領となるエイブラハム・リンカーンは共和党州大会で「分かれたる家は立つこと能わず」と演説した。同じことが今のイランにも言える。政治エリートと民衆の関係を大きく改善しない限り、イラン政府は先が見えない危険な道のりを歩むことになる。

From Foreign Policy Magazine

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[2018.1.23号掲載]
サナム・パキル(英王立国際問題研究所研究員)

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