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『シェイプ・オブ・ウォーター』聖なるモンスターと恋に落ちて

ニューズウィーク日本版 2018年3月3日 15時0分

<ホラー映画専門と言われてきたギレルモ・デル・トロ監督が、半魚人との異色の愛を描く話題作>

ギレルモ・デル・トロ監督の話題作『シェイプ・オブ・ウォーター』は、冒頭で口を利けない主人公イライザ(サリー・ホーキンス)の規則正しい日常を描く。

清掃員のイライザは夜に起きて風呂に入り、手短にマスタベーションを済ませ、仕事に出掛ける。幼少期のトラウマで声を出せない彼女の生活は、孤独だけれど万事てきぱきしている。

そんなイライザが、ついに運命の人に出会う。いや、正確には相手は人間ではなく、水槽に閉じ込められた半魚人。デル・トロ作品には人間的なモンスターがよく出てくるが、人間と性的関係を持つモンスターが登場するのは初めてだ。

物語の舞台は1962年、アメリカとソ連が軍事的にも科学的にも激しい競争を繰り広げていた時代の米メリーランド州ボルティモアだ。イライザが勤める政府の極秘研究所では、軍の科学者であるストリックランド大佐(マイケル・シャノン)が、南米で捕獲された半魚人の研究をしている。

登場人物はみな、どこか性的な問題を抱えている。サディスティックなストリックランドは、妻とセックスをするとき完全な沈黙を要求する。イライザの隣人ジャイルズは同性愛者で、恋い焦がれた相手に拒絶される。イライザの友人ゼルダは、夫との間に距離を感じている。誰もがハッピーでない。そして誰もその理由が分からない。

奇跡を起こしたホーキンス

それでも『シェイプ・オブ・ウォーター』は、これまで手掛けてきたなかで最も楽観的な作品だと、デル・トロは言う。「これまで作ってきた映画は、どれも喪失感があった。でも(『シェイプ・オブ・ウォーター』は)安心できる。まだ希望があると思えるんだ。癒やしのパワーがあると言ってもいい」

観客は過去のデル・トロ作品同様、「こんなことってある?」という疑問をひとまず置いて物語を追う必要がある。水槽に「不思議な生きもの」(ただし体形は水泳選手のような逆三角形だ)を見つけたイライザは、怯えるどころか熱い視線でアプローチを始める。すると半魚人も金色の斑点がある目で、イライザを渇望するような視線を送る。

「彼は動物じゃない。川の神だ」と、デル・トロは言う。その姿は、日本の魚の絵からヒントを得たという。「(女性が)キスしたいと思うような顔にする必要があった」

脚本も手掛けたデル・トロは、ホーキンスに演じてもらうことを念頭にイライザのキャラクターをつくり上げたという。「この映画の本当に奇跡的なところは、ホーキンスの視線だ」と、デル・トロは語る。「半魚人への思いで、瞳が震えるんだ。ほかの登場人物はみなコミュニケーションの問題を抱えているが、口を利けないイライザと半魚人だけは完璧に分かり合える」



イライザは手話で言う。「彼が見る私は、不完全な私じゃない」。デル・トロに言わせれば、それは「私が53年の人生で見つけた最高の愛の定義だ」。

『シェイプ・オブ・ウォーター』では、色が登場人物の人柄を物語る重要な役割を果たす。郊外にあるストリックランドの家は、明る過ぎて息が詰まりそうだ。イライザのアパートは、水が好きな彼女の思いを反映した深いブルー。だが、半魚人と愛を交わすと、イライザは赤い服を身に着けるようになる。

冷戦時代を舞台にした『シェイプ・オブ・ウォーター』には、ロシアのスパイが登場してイライザと半魚人の運命に影響を与える。それが現代のアメリカで起きていることを示唆しているのは明らかだ。「私は現実逃避的な物語は書かない」と、デル・トロは断言する。「現代について語る最善の方法は、過去を題材にすることだ」

1962年はアメリカでおとぎ話が終わった年だと、デル・トロは言う。理想の指導者像を体現したジョン・F・ケネディ大統領は翌年暗殺された。第二次大戦後の成長が豊かさをもたらす一方で、社会は崩壊しつつあった。「特定の性別、特定の人種以外の人にとっては難しい時代だった。社会の分断が表面化し、暴動が起きた」

その意味では、この作品に出てくる本当のモンスターはストリックランドだ。無知で孤立主義を決め込む彼は、典型的な醜いアメリカ人だ。イライザが半魚人を自宅に連れ帰り、バスタブに隠すと、激怒したストリックランドは手段を選ばぬ残酷な追及劇を展開する。

「イデオロギーこそホラー」

デル・トロが生まれ育ったメキシコでは、古代アステカの多神教と民間信仰が、スペインによってもたらされたカトリックと融合している。デル・トロ自身もカトリックの家庭に生まれ、聖人をあがめる一方で、ホラー映画に夢中になったことで、心の中に文化的な重層構造が生まれたという。

「これは冗談でも、知識をひけらかしているのでもないが(1931年のホラー映画『フランケンシュタイン』で)、フランケンシュタインが殺されるシーンを見たとき、殉教者に似たものを感じた。そのとき私の中で、モンスターと聖人がつながった。どちらも真実とスピリチュアルな側面を表す存在だ」

デル・トロの作品はホラー映画と分類されることが多いが、『シェイプ・オブ・ウォーター』はホラー映画ではない。「『あなたは特定のジャンルの専門家ですね』と言われると、『そうだ』と答えることにしている。でも(ホラー映画ではなく)、私というジャンルの専門家だ」



「特定の路線にこだわるつもりはない。スペイン内戦下を舞台にしたおとぎ話(『パンズ・ラビリンス』)や、同じくスペイン内戦時代の幽霊の話(『デビルズ・バックボーン』)、メキシコを舞台にした吸血鬼の物語(『クロノス』)を映画にしたこともある」

「SF作家のシオドア・スタージョンは、あらゆるものの90%はクズだから、SFも90%はクズだと言った。いわゆるスタージョンの法則だ。デル・トロの法則は、あらゆるものの10%は偉大だというものだ」

デル・トロは安易なホラー映画に興味はない。彼が描きたいのは、もっと陰湿なホラーだ。「私が大人の男として怖いと思うのは、イデオロギーが社会を分断する力だ。人を(『嘘つき』『バカ』など)一語で表現してしまうと、その人たちを簡単に傷つけたり、無視したりできるようになる。移民問題も性差の問題も、憎しみは増殖する一方で、理解を生むことはない」

そんなデル・トロも、楽観的な『シェイプ・オブ・ウォーター』を撮ったことで、1年ほど休みを取ることを考えるようになったという。今年は読みそびれていた小説を読み、「夕暮れを見たい」と言う。その一方で、チャック・ホーガンと小説を書いているほか、ネットフリックスでアニメ映画3本を製作することも決まっている。

これでは休暇どころか、今年も大忙しのようだが......。だが本人は、仕事を「4つだけ」に絞ることで、人生を楽しむ余裕ができるはずだと笑う。

「40歳を過ぎると、自分の墓碑を思い描くようになる」と、デル・トロは言う。「私の墓碑にはおそらく『ギレルモ・デル・トロ、ここに眠る。生きて、愛して、映画を何本か作った男』と書かれるだろう。映画は既に何本か作ったから、今度は人生を楽しまないと。このままでは予定どおりの墓碑にならない」



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[2018.3. 6号掲載]
エミリー・ゴーデット

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