Infoseek 楽天

それでも「アラブの春」は終わっていない

ニューズウィーク日本版 2018年11月14日 16時0分

<独裁者好きのトランプは民主主義をあざ笑うが中東全域に広がった民主化を求める声は圧政では消せない>

2011年に民主化を求める人々の声がアラブ世界を揺るがしたとき、心を動かされなかった人がいるだろうか。

市井の人々が腐敗と専制に立ち向かい、選挙で選ばれた政権の樹立を求めた。それはこの時代において最も希望の持てる市民の闘いの1つだった。チュニジアの野菜売りの青年の焼身自殺をきっかけに大規模な抗議のうねりが起き、アラブ諸国は次々に革命の波に洗われて、4人の独裁者が失脚した。

しかし、その後の展開は期待どおりにはいかなかった。新政権を担った各派の対立に加え、旧体制を支えた軍や情報機関の隠然たる力を十分に排除しなかったために混乱が拡大。疑心暗鬼に駆られた強権指導者の支配に道を開く結果となった。

伝統的に中東政治を牛耳ってきたエジプト、イラク、シリアに代わって、地域の盟主に名乗り出たのはアラブ首長国連邦(UAE)とサウジアラビアだ。ジャーナリストのジャマル・カショギ殺害に対する各国の反応から明らかなように、少なくともサウジアラビアは、この新しい地位を利用しようとしている。

今や民主主義そのものの存続が危うい。とりわけ中東では芽生えかけた民主主義を専制政治が踏みつぶしているが、欧米諸国は見て見ぬふりだ。ドナルド・トランプ米大統領は軍部出身のエジプトのアブデル・ファタハ・アル・シシ大統領を称賛。サウジ政府とその事実上の指導者ムハンマド・ビン・サルマン皇太子との戦略的絆を見直そうともしない。専制支配を容認する姿勢は中東の安定にも、アメリカの国益にも寄与しない。

実際、トランプはモラルリーダーとしてのアメリカの権威を弱めてきただけだ。アメリカの大統領が民主主義を嘲笑し、アラブ世界の独裁者の言い分にお墨付きを与えた。民主主義は必ずしも善ではないし、望ましいものですらないという言い分だ。

トランプが気まぐれで、その政策に一貫性がないのをいいことに、シシらはますます国民への締め付けを強化。自分たちに逆らう者を容赦なく殺している。特にシシは拉致や超法規的な殺人などやりたい放題だ。

記者の死を無駄にするな

中東の危機的状況に加え、中国の台頭とヨーロッパで高まる排外主義、経済の伸び悩みが混乱を招いているとすれば、今の世界に必要なのは確固たる理念を掲げたモラルリーダーだ。民主主義、言論の自由、国際社会のルールや国際法を支える原則。一歩も譲れぬこうした普遍的価値を守り抜かねばならない。

現状には希望も持てる。カショギの残虐な殺害に人々が怒りをあらわにしたことで、今でもまだ踏み越えてはいけない一線があることが分かった。多くの証拠から、外国で暗躍するサウジ殺人部隊がカショギを拷問して殺し、遺体を切断したことは明らかだ。こうした犯罪は国際的な基準、モラル、法律の全てに反し、加害者が裁かれなければ国際秩序が脅かされる。



言うまでもなく私たちはカショギの死に対して公正な裁きを声高に求めるべきだ。しかし、それ以上に重要なのは数週間後、数カ月後に同様の事件が繰り返されるのを許してはならないこと。カショギの死を無駄にしてはならない。

物語はまだ終わっていない。大きなうねり――アラブの春よりもはるかに大きなうねりが胎動している。地域の文化や歴史的背景と関わりなく、普遍的なモラルとして民主主義を守らなければならない。欧米諸国は中東外交を見直し、抑圧的な政権の実態に目を向けるべきだ。辛うじて保たれている世界秩序を維持する、あるいは立て直すには、それが不可欠だ。

アラブ世界で根底的かつ持続的な変化が起きている今、単純に古い秩序に回帰するわけにはいかない。欧米諸国はいくら頰かむりを決め込もうとしても、中東で起きている事態を無視するわけにはいくまい。民主化を求める闘いは下火になるどころか、燃え盛ろうとしている。

<本誌2018年11月13日号掲載>



※11月13日号(11月6日売り)は「戦争リスクで読む国際情勢 世界7大火薬庫」特集。サラエボの銃弾、真珠湾のゼロ戦――世界戦争はいつも突然訪れる。「次の震源地」から読む、日本人が知るべき国際情勢の深層とは。


アムル・ダラグ(元エジプト計画・国際協力相)

この記事の関連ニュース