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中国の「監視社会化」を考える(1)──市民社会とテクノロジー

ニューズウィーク日本版 2018年12月5日 15時30分

<中国が先端のテクノロジーを駆使した監視社会になりつつあることにはもはや異論はほとんどない。次に問うべきなのは、そうした「権力の監視」を監視できる市民社会は中国に存在するのかどうか、だ。神戸大学大学院経済学研究科教授で中国経済論が専門の梶谷懐が、数回に分けて考察する>

第1回: 現代中国と「市民社会」

          ◇◇◇

監視社会化が進む中国?

近年の中国社会における急速なITの普及、生活インフラのインターネット化は、膨大な個人情報の蓄積とそれを利用したアーキテクチャによる社会統治という新たな「管理社会」「監視社会」の到来という状況をもたらしています。一方では町中に監視カメラが設置され、交通違反をした市民が大スクリーンで顔写真付きでさらされるなど、比較的原始的な「見せしめ」が行われている。そうかと思うと、地方政府などが行政機関を通じて入手した市民の個人情報を統合して市民の「格付け」を行う社会信用システム、あるいはアリババ傘下の企業が提供するセサミクレジット(芝麻信用)に代表される、日常行動によって個人の支払い能力などの「信用度」を点数付けし、新たなビジネスにつなげようとする社会信用スコアなど、AIとビッグデータを駆使したサービスが急速に広がった結果、中国社会が「お行儀よく」なった、という指摘もよく聞かれるようになっています。

中国経済を研究している者として、様々なメディアから情報が入ってくる、あるいは中国の大都市に一定期間滞在する中で体感するこういった最新のテクノロジーを駆使した社会におけるイノベーションの動きは確かに面白いけれども、「果たしてこれでいいのか?」というある種の背筋が寒くなるような感覚があることも否定できません。このところ日本でもテクノロジーの進化による監視社会化について関心が高まっており、関連する書籍が出版されているほか、『日経ビジネス』(2018年11月12日号「ここまで来た監視社会」)、および『週刊東洋経済』(2018年12月1日号「データ階層社会)といったビジネス誌でも相次いでこう言ったテーマでの特集を組んでいますが、いずれも中国の事例がネガティブなトーンで紹介されています。

一方で、いわゆる現代の「監視社会」をめぐっては、これまでも欧米や日本などの事例を中心に、膨大な議論の蓄積があります。その中には、比較的単純な、「監視社会」をジョージ・オーウェルの『1984』で描かれたように人々の自由な活動や言論を脅かすディストピアと同一視し、警鐘をならすようなものもありますが、そういった議論はむしろ下火になってきています。それに代わって、近年の議論はテクノロジーの進展による「監視社会」化の進行は止めようのない動きであることを認めたうえで、大企業や政府によるビッグデータの管理あるいは「監視」のあり方を市民(社会)がどのようにチェックするのか、というところに議論の焦点が移りつつあります。

もちろん、習近平への権力集中が強化される現代中国において、そのような「市民による政府の「監視」の監視」というメカニズムは望むべくもありません。それでは、中国のような権威主義的な国家における「監視社会」化の進行は、欧米や日本におけるそれとは全く異質な、おぞましいディストピアの到来なのでしょうか。しかし、「監視社会」が現代社会において人々に受け入れられてきた背景が利便性・安全性と個人のプライバシー(人権)とのトレードオフにおいて、前者をより優先させる、功利主義的な姿勢にあるとしたら、中国におけるその受容と「西側先進諸国」におけるそれとの間に、明確に線を引くことはできませんし、そのように中国を「他者化」することが問題解決につながるとも思えません。



私は、このような問題を考察する上では、「監視社会」が自明化した現代において、私利私欲の追求を基盤に成立する「市民社会」と、「公益」「公共性」の実現をどのように両立させるのか、という難問を避けて通るわけにはいかない、と考えています。たとえば、テクノロジーによる管理社会・監視社会化の進展によって、社会の「公」的な領域と「私」的な領域の関係性が揺らぎつつある現在、中国社会を論じる際に一つの重要な軸であり続けた、近代的な「普遍的な価値」「市民社会論」の受容、という主題はすでに過去のものになりつつあるのでしょうか。あるいは、現代中国の動きは「監視社会化」の先端を行く事例として、日本に住む我々にとっても参照すべき課題を提供しているのでしょうか。

これから何回かにわたって、人々の経済的な欲望を開放しつつ、政治的にはますます強権の度合いを強める習近平政権下の中国を、「テクノロジーを通じた統治と市民社会」という観点から検討してみたいと考えています。

中国における「市民社会」論

さて、「市民社会」は(米国を含む)西洋社会の、そして日本のような非西洋の後発資本主義国の近代化を論じる上で、欠かすことのできない概念ですが、論者やその立場によって使い方やニュアンスが異なるため、しばしば混乱を招きやすい用語でもあります。これは、地域、および歴史的文脈においてもともと異なった概念を表していた別々の用語が、今日の日本では「市民社会」という言葉で総称されていることに起因しています。その中で、中でも冷戦の終焉以降は一般的な理解として、NGO、NPOや労働組合、あるいは宗教団体などの国家にも市場にも位置づけられない「第3の社会領域」に属する社会組織を、市民社会として理解すると言うのが一般的になっています。

この点について、少し補足しておきましょう。

1989年のベルリンの壁崩壊以降、社会主義と自由主義陣営との間のいわゆる冷戦構想が崩れると、ヘーゲルやマルクスの影響を強く受けてきた「市民社会」概念も大きく変化します。そもそも社会主義体制の下では労働者の「貧民化」をもたらす市民社会の問題点は解決されたはずでした。しかし、実際はソ連や東欧の社会主義体制の下で、官僚支配や言論の抑圧、生産の停滞など、数多くの問題が生じていました。そのような旧体制の打破に立ち上がった人々が、「市民社会」を、「国家共同体」とも「自由な経済社会」とも異なる第三の意味合いで用いるようになったのです。

その動きを新たな「市民社会」に関する理論としてまとめあげたのが、西ドイツ出身の思想家、ユルゲン・ハーバーマスです。ハーバーマスは、二〇世紀以降の高度消費社会が、人々の実感に根差した秩序形成の場である「生活世界」と、より高度で複雑な、むしろ自動的な制御メカニズムに近いものとしてイメージされる「(社会)システム」との深刻な乖離をもたらした、と考えました。

ハーバーマスによる市民社会論の代表作である『公共性の構造転換』は、自律的な個人が主体的に参画して構成される市民社会から、大企業や官僚システムに支配された没人格的な大衆社会へと社会が転換する中で、いかにして「市民的公共性」を保つか、という切実な問題意識のもとに書かれた書物です。



そのハーバーマスが、ベルリンの壁崩壊という現実に直面し、英語のcivil society、すなわち「市民社会」の直訳語として使い始めたのがZivilgesellschaftという言葉でした(植村、2018)。これは、1990年に出版された英語版の『公共性の構造転換』の序文の表現によれば、以下のような性質を持つ言葉だったのです。

《市民社会》の制度的核心をなすのは、自由な意志に基づく非国家的・非経済的な結合関係である。もっぱら順不同にいくつかの例を挙げれば、教会、文化的なサークル、学術団体をはじめとして、独立したメディア、スポーツ団体、レクリエーション団体、弁論クラブ、市民フォーラム、市民運動があり、さらに同業組合、政党、労働組合、オールタナティブな施設まで及ぶ(ハーバーマス、1994)。

このように、冷戦の終焉以降、政治社会=国家(政府)とも経済社会=市場(企業)とも異なる、第三の社会領域の組織および運動として「市民社会=市民団体」の影響力を評価する立場が現在の「市民社会」論の主流になり、政治学、経済学、社会学などの社会科学においても急速に普及していったのです。

その延長線上に、それまでの領域的な国家と深く結びついた市民社会概念に代わって、水平的で国境横断的な、グローバルなネットワーク構築の中心的役割を担うものとして、NGOなどの第三の社会領域、すなわち「市民社会(Zivilgesellschaft)」の役割を再評価する潮流の台頭も挙げられるかと思います(カルドー、2007)。これは、分かりやすく言えば、NGOや市民団体などが「第3の社会領域」に位置する団体の代表として国家の壁を乗り越えて活動することで、新自由主義や資本主義の矛盾を乗り越えていこう、という考え方を表したものです。その中で、例えば中国も含めて新興国あるいは権威主義体制の国家においても、こういったNGOに代表される第3の社会領域みたいなものは広がりを見せているんだよ、という観点から、中国においても、「市民社会論」が盛んに論じられる、という状況があります。

代表的な議論として、2012年岩波新書から出版された、李妍焱さんによる『中国の市民社会』という本があります。この本は、中国で実際に活躍する多くのNGO、環境問題に取り組んだり、農村から出稼ぎに来ている底辺層にいる人たちをサポートしたり、そういった活動行っているNGOの活動を日本の読者に紹介した本です。李さんの言葉を借りれば、「市民社会は決して市民社会的伝統を有する欧米の国々、あるいは国家権力の相対化を追求する民主主義制度の「特許的領域」ではない。市民社会の伝統を有さない国においても、社会主義を標榜する国においても、国家が公共の問題の全てをコントロールできない以上、市民社会の存在が現実的に可能となる」ということになります(李、2012)。



ただ、こういった中国の現実に関しては、日本の研究者から異論も投げかけられています。例えば、鈴木賢さんは、中国のNGOに代表される社会組織について、以下のような非常に厳しい見解を示しています。「中国の社会組織法制は厳しい制御[控制]主義と一定程度の放任主義を特徴とすると概括されるが、政治的、社会的安定を優先させることを考慮して、社会組織の発展をできるだけ抑制することを基調とした。党国(=党組織と国家機関が一体化した、社会主義体制に特徴的な統治機構にあり方) は党国のコントロールが及ばない「社会」が育つことに強い警戒感を抱き、その勢力の拡大を恐れてすらいるように見える」「党国は党国に決して逆らわず、聞き分けのよい、むしろ協力的で、利用価値の高い社会組織だけを育成しようとしているのである」(鈴木、2017)。

また、辻中豊さんと小嶋華津子さんも、「現状において、中国の市民社会組織に許された活動空間は、限定的といわざるを得ない」と指摘した上で、中国共産党第16期中央委員会第6回全体会議(2006年10月)では、「民間組織」に変わり「社会組織」という新たな概念が提出されたことに注目しています。というのも、「この呼称の変化は、「民間」という言葉に内包された「主体性とエネルギー」を否定し、団体を、共産党が領導する「社会建設」に貢献すべく再定義する動きであった」からです(辻中=李=小嶋、2014)。

それに対して李さんの方からも、反論と言うよりはむしろやや異なる立場から、中国の市民社会のあり方を擁護する議論が出されています。そこでは、中国の思想史研究の大家である故・溝口雄三の『中国の「公」と「私」』と言う本を引用しながら、例えば中国の「天の理」という概念であるとか「大同」すなわち「万民の均等な生存」と言うものに基づいた、必ずしも権力を制限すると言う観点以外のところから正当化ができるのではないか、という反応が出されています。

「中国の公観念には、『天』の観念が色濃く浸透しており、それは古来の『天理』、すなわち『万民の均等的生存』という絶対的原理に基づく。政府、国家も、世間や社会、共同も『天理』を外れてはならない」「公共性を担う存在として、国家も市民社会もその正当性は所与のものではなく、『天理に適う』ことによって担保される。天理に適う役割を示さなければ、公共性を担う資格(権威)が認められない」(李、2018)、というわけです。

しかし一方では、こういった形で、「中国的市民社会」の用語を行わなければならない、ということ自体が、中国のような非欧米社会において市民社会を考える難しさ、あるいは私的利益の追求としての市民社会の基盤の上に公共性を打ち建てることが非常に困難であることを示しているようにも思われます。

「アジア」と市民社会

さて、「市民社会」をめぐる問題は非常に扱いが難しい問題だ、というのは何も中国だけの問題ではありません。日本でも、この用語をどのように社会変革に結びつけるか、という点をめぐって盛んな論争が繰り広げられてきました。これは、一つには、地域、および歴史的文脈においてもともと異なった概念を表していた別々の用語が、今日の日本では「市民社会」という言葉で総称されていることに起因しています。



例えば、近代の「市民革命」を通じて成立したとされる自律的な市民社会にしても、一方では「法律の前での平等」の下で人々が政治に参加する「公民社会」、他方ではアダム=スミスが「商業社会」のモデルを通じて提示したような「自由な経済社会」という、二重の意味を持ち続けてきました(成瀬、1984)。このことは、近代西洋社会における「市民」が、資本主義的な市場経済の担い手(フランス語では「ブルジョワ」bourgeois)である同時に、国家主権とのかかわりにおいては、人間と市民の諸権利の主体(同じく「シトワイヤン」citoyen)でもあるという、二重性を持つ存在であったことに対応しています。

そして最近では、すでに述べたようにNGOやNPOなどの国家とも営利企業とも異なる「第三領域」に属する民間団体、あるいはその活動領域を指して「市民社会」と呼ぶ動きが主流になっています。つまり、西洋社会にその起源をもつ少なくとも三つの異なる概念に、日本では同じ「市民社会」という用語を当てるのが習わしになってきたのです。

このことは、日本の社会科学の発展の中で、マルクス主義が大きな役割を果たし、それゆえに「市民社会」概念の受容が独特のバイアスを持って行われたことと深く結びつき、独特の複雑さをもたらしてきました。

ここでとりあげたいのが、例えば戦前の講座派、あるいはその問題意識を受け継いだ戦後の市民派マルクス主義の議論です。こういう立場の人たちによって共有されているのは、ヨーロッパの資本主義の発展が、自由で平等な独立した個人に支えられた市民社会を生み出したのに対して、日本にはまだ十分に成熟した市民社会が成立していない、彼らは、戦後の日本社会に注目して、そこでは十分に成熟した市民社会が成立していない、という視点です。

中でも内田義彦、平田清明といった「市民社会派マルクス主義」と呼ばれる人々の議論によって、「市民社会」という概念には「人々が相互に尊重し合い、理性にもとづいて対等に対話を行うことを通じて、公共問題を自主的に解決していこうとする社会」、すなわち「めざすべき善き社会」ともいうべき規範的ニュアンスが込められるようになりました(坂本編、2017)。

市民社会派の議論のもう一つの特徴は、国家と市民社会を対立的に捉えようとする姿勢です。明治以来の日本社会の近代化が、国家主導の上からの資本主義化として行われたため、スミスが理念型して示したようなアントルプルナーによる「下からの近代化」を通じた市民社会の形成がかえって阻害された、という問題意識がそこにはありました。その背景として、戦前の日本における社会の近代化が国家主導で行われ、「個」が確立した自立的市民によって担われなかったため、最終的に非合理的な対英米開戦に突き進み、「滅私奉公」的な総動員体制に至ったことに対する痛切な反省の念を指摘することができるでしょう。

例えば、市民社会派の代表的な論客の一人である平田清明は、『市民社会と社会主義』のなかで、次のように述べています。「日本をふくむアジアでは、個体の肯定的理解が成立しないのだ。個体は、共同体におのれを帰一させつくす(滅私奉公)か、己が私的利益の追求に汲々たる人間である(我利我利)かのいずれかなのである(平田、1969)」。



つまり、アジア的なものというのは市民社会にとっての大きな障害であり、それを打破することが重要であると言う議論を行っているわけです。これは戦前の封建的遺制、つまり天皇制を打破しなければちゃんとした資本主義が生まれないという、講座派マルクス主義の問題意識にもつながっているわけです。

ただこれはなかなか最近では正面切っては展開しにくい議論になっています。その背景としては、一つにはこれが本質主義的な文化決定論であるという批判を浴びるようになってきたと言うことがあります(植村、2010)。もう一つには、すでに述べたように1990年代以降。ハーバーマスの影響によって第3の領域として市民社会が定義されるようになってくると、当然アジアにもNGOはあるわけですから、アジアに市民社会は存在しない、と言うとそんな馬鹿な事はない、と言う批判を浴びることになります。つまりアジアに市民社会が存在しないと言う議論が時代遅れなだけではなく、政治的に正しくないと言うレッテルを貼られるようになっていったわけです。

アジア社会における「公」と「私」の関係性

ただ、私はむしろそういった、第3の領域としての市民社会論ではうまく捉えられないようなものが、中国をはじめとした「アジア的」社会の特質を、その歴史的な背景から捉え直していくことによって、むしろ光を当てることができるのではないか、という問題意識を持っています。もちろん、そういった議論を展開するにあたっては一定の注意が必要です。たとえば、市民社会と言う言葉を「NGO」なり「ブルジョワ社会」なりの何らかの実体をもったものとして規定したうえで、それが「アジアには存在しない」などと主張するのであれば、その主張が非常に違和感を持って受け止められるのもやむをえないでしょう。しかし、「市民社会」をより主体間の関係性に注目する、例えば「国家」と「民間」の関係性であるとか、「公共性」と「私的利益」との関係性などに注目すると、アジア的社会の特質というものがある程度は浮かび上がってくるのではないでしょうか。

端的に言うなら、人々の私的利益の基盤の上に公共性を築くことが、近代西洋から受け継がれてきた「市民社会」、あるいはより適切な用語を使えば「市民的公共性」の根本的な課題であるとしたら、その課題の実現が―西洋社会に比べて―著しく困難である、というところに、中国を含む「アジア的社会」がこれまで、そして現在に至るまで抱えている問題は集約されるのではないか。そのように私は考えています。



たとえば、一つの典型的な事例として、習近平政権になってから大々的に繰り広げられた「反腐敗キャンペーン」が挙げられると思います。これは、身分の高い者から低いものまで、役人や政治家が私益を貪っている状態に対して、習近平主席が共産党の規律委員会を通じて厳しく取り締まり、それを通じて公共性を実現する、という政治的キャンペーンです。この一連の動きが非常に特徴的なのは、そこで実現される公共性と言うものが、あくまで私的利益の外部にあり、それを否定するものであるということです。それに対して、先ほどとりあげたような市民派マルクス主義が依拠しているヘーゲルあるいはマルクスの「市民社会」に関する議論には、個々の市民が私的利益をお互いに追求していく中で、それを止揚して国家であるとかアソシエーションといったものを成立させるという問題意識があります。つまり、私的利益を単に否定的な対象としてみるのではなく、その基盤の上に公共的なものを立ち上げるようなありかたにこそ、中国のようなアジア社会とは鮮やかな対象をなす、西洋社会の特徴があるように思います。

このように、中国社会には公的なものと私的なものが分裂しがち、であるといった議論は、もちろん私が思い付きで述べているものではありません。例えば、中国史研究の伝統の中では比較的繰り返し議論されてきたものです。

ここでは2つだけ代表的な議論を紹介しておきましょう。先日京都大学を退官した寺田浩明さんが今年になって出された『中国法制史』という本があります。寺田さんはその本の中で、中国においては法概念と言うものが「公論としての法」として規定できる、とおっしゃっています。この「公論としての法」というのは、西洋起源の「ルールとしての法」に対比される形で理解されるものです。後者は、個別案件とは独立したルールとしての普遍的なルールが抽象された形で存在しており、それが個別案件に強制的に適応されていく、というロジックによって組み立てられています。それによって法秩序と言うものが形成されていく、そのプロセスが「ルールとしての法」の特徴だ、というわけです。

それに対して「公論としての法」では、あくまでも個々の案件において「公平な裁き」を実現していくということが非常に重視されることになります。ここでいう「公平な裁き」とは、個別の事情や社会情勢によって異なるものであり、裁きを行う際にそれらの個別事情を考慮することが重要である、とされます。したがって、それらの事情、情理を考慮せず、機械的にルール=国法を適用することはむしろ否定の対象になります。そして、そういった「公平な裁き」を実現できるのは教養を積んで人格的にも優れている一部の人だけだ、というわけです。



もちろん、寺田さんの専門は明清時代の法制史ですから、必ずしも現代に直接当てはめられないと思いますが、それでも現代中国の政治や経済の動きを考える上である程度示唆に富んでいると思います。というのも、先述の「反腐敗キャンペーン」の例にみられるように、お互いに利益を追求する人たちをどこで調停するのか、という問題と、実際の法秩序の形成のあり方というものが、一体化をしない、という現象は現在の中国社会にも普遍的にみられるものだからです。

同じようなことを、また別の観点からおっしゃっているのが京都府立大学の岡本隆司さんです。岡本さんは近著『世界史序説』の中で、君主と臣民が一体化する、というところに西洋における支配のあり方の特徴を求めたうえで、アジアによってはそういった君民が一体になる構造にはならなかった、そういった統治体制はなかなか形成されなかったという議論を展開しています。

すなわち、アジアにおいては生態系が多様であり、「(政治・経済をそれぞれ多元的な主体が担っているため)、全体が一体に還元できないし、全体を律する法制も存在しえない。厳密な意味で官民一体の「法の支配」が機能しないのである」(岡本、2018:237-240頁)というわけです。

その背景になっているのが、民俗学者の梅棹忠夫が展開したような、いわゆる生態史観的な考え方です。そこからは、「貿易・金融と生産を一体化し、さらにそれを政治軍事と一体化した構造体であって、その核心に君臣・官民を一体とする「法の支配」が存在した」「近代世界経済という存在は、イギリスを嚆矢とする法治国家というシステムをつくりあげた西欧にしか、出現しえなかった」という結論が導かれることになります。

ここで、この小文で私が述べてきたことをまとめておきましょう。先ほど、東アジアの社会において市民社会を議論する際に何か特定の存在、つまりNGOなどに注目するのではなく、常に「公」と「私」あるいは民間と国家の関係性に注目すべきだ、ということを述べました。すなわち、たとえフィクションであっても、君臣・官民が一体化していることを前提とした統治が実現されるのか、あるいはそうではないのか。この点は、社会の「公正さ」を実現するルールが、何らかの形で抽象化され、その結果民間活動の統制だけでなくて、権力自体を縛るような構造が実現されているのかどうか、そういった点にも直接かかわってくる、大変重要な問題である、と思っています。

次回以降の連載では、以上、述べてきたような中国の「市民社会」をめぐる議論が現代の「監視社会」に関する議論とどのように関係してくるのか、ということに焦点を当てて話をしていきたいと思います。(続く)


参考文献:
植村邦彦(2010)『市民社会とは何か』平凡社新書
岡本隆司(2018)『世界史序説―アジア史から一望する―』ちくま新書
カルドー、メアリー(2007)『グローバル市民社会論―戦争へのひとつの回答(山本武彦・宮脇昇・木村真紀・大西崇介訳)』法政大学出版局
坂本治也編(2017)『市民社会論:理論と実証の最前線』法津文化社
鈴木賢(2017)「権力に従順な中国的「市民社会」の法的構造」(石井知章・緒形康・鈴木賢編『現代中国と市民社会―普遍的《近代》の可能性』勉誠出版)
辻中豊・李景鵬・小島華津子(2014)『現代中国の市民社会・利益団体――比較の中の中国』木鐸社
成瀬治(1984)『近代市民社会の成立―社会思想史的考察 (歴史学選書 (8)) 』東京大学出版会
ハーバーマス、ユルゲン(1994)『公共性の構造転換 第2版(細谷貞雄・山田正行訳)』未来社
平田清明(1969)『市民社会と社会主義』岩波書店
李 妍焱(2012)『中国の市民社会――動き出す草の根NGO』岩波新書
李 妍焱(2018)『下から構築される中国――「中国的市民社会」のリアリティ』明石書店

[執筆者]梶谷懐
神戸大学大学院経済学研究科教授。専門は現代中国経済論。1970年大阪府出身。神戸大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。最新刊の『中国経済講義-統計の信頼性から成長のゆくえまで』(中公新書)、『日本と中国経済』、『日本と中国、「脱近代」の誘惑』ほか、著書多数
ウェブサイト:http://www2.kobe-u.ac.jp/~kaikaji/
ブログ「梶ピエールの備忘録。」http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/


梶谷懐(神戸大学大学院経済学研究科教授=中国経済論)

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