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モデルの乳がんを、レンブラントは意図せず描いた【名画の謎を解く】

ニューズウィーク日本版 2019年3月16日 10時35分

<解剖学は名画・彫刻に対する新たな洞察を与えてくれる。このレンブラント作『ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴』は、医学史的価値を持つ「乳がん(推定)を最初に描いた絵」だった>

絵画の鑑賞は、一つの謎解きである。なぜこの人物が描かれているのか、なぜこの姿勢なのか、なぜ背景にこれが描かれているのか、なぜ画中の人物の服はこの色なのか? 画家はそのキャンバスに様々な思いを込めて描くが、その解き明かしを言葉としてはあまり残していない。

それらを探るには、その絵のテーマの背景となっている人間関係や、歴史的な背景、また画家の生涯に関する情報などが助けになる。そして、時として「解剖学」に関する知識も、絵を分析するのに良い道具となる。

筆者は『名画と解剖学――『マダムX』にはなぜ鎖骨がないのか?』(CCCメディアハウス)で、解剖学から見なければ洞察しえなかった名画・彫刻に関する新たな着眼点を、豊富な図解によって説明した。この本の中から3つの話を取り上げ、3回に分けて掲載する。

【名画の謎を解く】
※第1回:北斎は幽霊っぽさを出すために子供の頭蓋骨を使った
※第3回:500年間誰も気づかなかったダビデ像の「目の秘密」

◇ ◇ ◇

レンブラント・ファン・レインは「光と影の魔術師」と呼ばれる17世紀を代表するオランダの画家。早くから肖像画家として名を馳せ、28歳のときにはオランダのレーワルデンの元市長の娘・サスキアと結婚し経済的にも恵まれた。

しかしサスキアは若くして結核で亡くなり、レンブラントの後半生は経済的に苦境に立たされ破産するも、生涯作品を残し続けた。

レンブラント作『ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴』(1654年)は、後にイスラエルの王ダビデの妻となる人物を描いたものである。

ダビデ王がある日の夕暮れ、宮殿の屋上を散歩していると、眼下のとある家の屋上で一人の女性が水浴をしているのを覗き見てしまう。彼女の名はバテシバ、ダビデの軍に属する兵士ヒッタイト人ウリヤの妻だった。ダビデはその美しい裸身に心を奪われ、宮殿に呼び出して関係を持つ。

やがてバテシバは妊娠し、発覚することを怖れたダビデは、夫のウリヤを危険な戦いの最前線に送り込み、ウリヤは交戦中に命を落とす。夫の喪が明けると、ダビデはバテシバを宮廷に呼び結婚した。ダビデの悪辣な目論みはうまくいったかに思えたが、預言者ナタンがダビデの行動を糾弾し、ダビデは罪を告白し悪行を悔いた。

この絵の背景には大きな柱や豪華な布があり、バテシバが王宮に呼ばれた場面であることが分かる。この絵のバテシバは実物大で描かれており、迫力のある大作だ。

バテシバは、ダビデの欲望の犠牲者であると同時に、その誘惑を退けきれなかった罪人でもある。その顔には困惑が現れており、焦点の定まらない虚ろな眼をしている。X 線の分析によると、バテシバの顔は何度も描き直され、顔の向きも仰ぎ見る角度からうつむき加減の角度に修正されていることが判明している。



注目すべきは、この像に描かれた女性の胸である。左の乳房の外側にくぼみと脇の下に腫れがみられる。これは、乳がんによる陥凹(かんおう)病変と腋窩(えきか)リンパ節腫脹である可能性があると指摘されている。

画像:Shutterstock.com

乳がんは、唯一自分で発見することが可能ながん。乳房を自己触診して、しこりの有無を確認することが勧められているが、しこりだけでなく、時としてえくぼ兆候(乳房にえくぼのようなくぼみができること)という形でも現れる。

初期の乳がんでは体調が悪くなるなどの症状が特にないために、このようなしこりやくぼみは、初期段階での発見にとってとても重要である。

ところで、このバテシバの絵のモデルは誰だろうか? それは、レンブラントとサスキアの間に生まれた息子ティトゥスの乳母で、サスキアの死後内縁の妻となったヘンドリッキエ・ストッフェルスと考えられている。では、ヘンドリッキエはその後どうなったのだろうか?

なぜ乳がんではしばしば脇の下が腫れるのか

ヘンドリッキエはこの絵が描かれてからおよそ9年後に病死する。しかし、9年間も生きていたので乳がんではなく別の病気ではないかとも考えられている。

ヘンドリッキエを描いたと推定されている肖像画は、確定的ではないにせよ幾つも残されているが、『バテシバ』以外に、胸の状態がわかる裸婦画は見当たらない。レンブラントは他人に売る裸婦画のモデルとしてヘンドリッキエを用いたくなかったのだ、もしくはヘンドリッキエがヌードモデルをした時には顔が特定できないようにしたのだ、と推測する研究者もいる。

元々、レンブラントはモデルが誰であれ、女性の顔を自分の理想とする容貌に近づけてしまう傾向があった。それで、意図せずに絵のモデルを特定しづらくしていたのかもしれない。これらの理由ゆえに、ヘンドリッキエの胸の病変の経過を、レンブラントの絵から推測するのは困難である。

この絵を制作していた時期、レンブラントは教会からヘンドリッキエとの同棲を咎められ、さらに彼女の妊娠と経済的な破産とが重なり、苦難のただ中にあった。そして、病名は明確でないにせよ何らかの病気がヘンドリッキエをじわじわと蝕んだことも、レンブラントの苦悩を深めていたに違いない。そんな中でも、ヘンドリッキエは、最期まで苦境にあるレンブラントを献身的に支えつづけた。

作画:原島広至

ところで、乳がんや他の病気の際に、なぜ脇の下がしばしば腫れるのだろうか? 脇の下にある腋窩リンパ節は、乳がんの病巣から離れ落ちたがん細胞が他へ転移しないようにせき止めており、その際腋窩リンパ節自体に腫れが生じるからである。しかし、せき止めきれないときにがん細胞は他に転移してしまう。



とはいえ、乳房のしこりやくぼみは、乳がんだけとは限らない。若い女性に多い「乳腺線維腺腫」、主に授乳期に起きる「乳腺炎」、乳管に液がたまり袋状になる「嚢胞(のうほう)」、弾力があるしこりが急速に大きくなる「葉状腫瘍」などの可能性もある。

レンブラントの時代とは異なり、今日では早期発見・早期治療ができれば乳がんは治癒率が高い病気となっている。それで、しこりやくぼみを発見したなら、自己判断は禁物。早めに医療機関で検査することが大切である。

レンブラント本人がこの絵を描いているときにくぼみに気づいていたことは当然としても、それが病気の症状だと理解できていたとは考えにくい。そもそも、この絵の胸のくぼみが乳がんによる病変と結びつけられるようになったのはごく近年のことである。

とはいえ、レンブラントは期せずしてその観察力により、医学史的価値を持つ「乳がん(推定)を最初に描いた画家」となった。レンブラントによる乳房の病変の発見がヘンドリッキエを救うに至らなかったとしても、この絵を残すことにより、今日の私たちに対して「観察の重要さ」という教訓を与えているのである。

第3回は誰もが知っているダビデ王の彫刻「ダビデ像」を取り上げる。下から仰ぎ見るだけでは気づかなかった秘密がその目には隠されていた。

【名画の謎を解く】
※第1回:北斎は幽霊っぽさを出すために子供の頭蓋骨を使った
※第3回:500年間誰も気づかなかったダビデ像の「目の秘密」


『名画と解剖学――『マダムX』にはなぜ鎖骨がないのか?』
 原島広至 著
 CCCメディアハウス


『名画と解剖学――『マダムX』にはなぜ鎖骨がないのか?』72~73ページ

『名画と解剖学――『マダムX』にはなぜ鎖骨がないのか?』74~75ページ


原島広至

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