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500年間誰も気づかなかったダビデ像の「目の秘密」【名画の謎を解く】

ニューズウィーク日本版 2019年3月18日 15時5分

<解剖学は名画・彫刻に対する新たな洞察を与えてくれる。誰もが知る彫刻『ダビデ像』だが、「デジタル・ミケランジェロ・プロジェクト」によって、青年ダビデがいわゆる「斜視」だったことが分かった>

絵画の鑑賞は、一つの謎解きである。なぜこの人物が描かれているのか、なぜこの姿勢なのか、なぜ背景にこれが描かれているのか、なぜ画中の人物の服はこの色なのか? 画家はそのキャンバスに様々な思いを込めて描くが、その解き明かしを言葉としてはあまり残していない。

それらを探るには、その絵のテーマの背景となっている人間関係や、歴史的な背景、また画家の生涯に関する情報などが助けになる。そして、時として「解剖学」に関する知識も、絵を分析するのに良い道具となる。

筆者は『名画と解剖学――『マダムX』にはなぜ鎖骨がないのか?』(CCCメディアハウス)で、解剖学から見なければ洞察しえなかった名画・彫刻に関する新たな着眼点を、豊富な図解によって説明した。この本の中から3つの話を取り上げ、3回に分けて掲載する。

【名画の謎を解く】
※第1回:北斎は幽霊っぽさを出すために子供の頭蓋骨を使った
※第2回:モデルの乳がんを、レンブラントは意図せず描いた

◇ ◇ ◇

ミケランジェロ・ブオナローティ作『ダビデ像』(1501-1504年)は、聖書の中の物語で、後にイスラエル王国の王となる青年ダビデがフィリスティアの巨人ゴリアテとの戦いに挑む姿を刻んだ高さ5.17メートルの大理石像。

イスラエル軍とフィリスティア軍との戦いが膠着状態にあったとき、巨大な体躯に重装備で身を固めた歴戦の勇士ゴリアテが進み出て、イスラエル軍の戦列に向かって「自分を倒せるものなら倒してみろ」と挑発した。イスラエル軍の兵士たち全員が恐れをなして尻込みする中で、武具の着け方さえ知らない羊飼いの若者が、羊を狼から守るために使う石投げ器一つでゴリアテに挑み、石がゴリアテの額に命中し一撃で倒した、という物語である。

ミケランジェロは戦いに挑む直前の、緊迫したダビデを表現している。

「ダビデ」の顔を正面から見ると、右目がこちらを向いているのに対して、左目がやや外側を向いている。いわゆる「斜視」(厳密には片方の目が外を向いているので外斜視)である。

「ダビデ」が制作されてから500 年間、誰もこのことに気づかなかった。これは「デジタル・ミケランジェロ・プロジェクト」のデータに基づいて作られた精細な3DCG を観察した結果、発見された。

画像:Shutterstock.com

1992年、スタンフォード大学のコンピュータグラフィックスを専門とするマーク・リーボイ教授が、ローマやフィレンツェの協力を得て多数のミケランジェロの作品を3Dスキャンする計画を行なった。これが「デジタル・ミケランジェロ・プロジェクト(the Digital Michelangelo Project)」だ。そのデータをもとに、ダビデ像に関して多数の研究がなされた。

聖書の中には、ダビデが斜視だったことを示唆する記述はない。そのことも知った上で、ミケランジェロは、すべての角度からの見栄えを計算し尽くして造っていたに違いない。ある説では、像から見て右側は、体のバランスも取れていて安定している「静」の状態を、左側は、足を投げ出し髪も乱れた「動」の状態にあるという。

目に関して言えば、左目は体の動きに準じて敵をまっすぐに睨みつけているが、右目は力と機知と知性をたたえた眼差しに見える。この像があまりにも大きく、顔の高さで正面から見られることはないとミケランジェロは踏んで、左右の視線の違いは無視したのだろう。

自分の作品が3Dスキャンされる時代が来るなど想定外だったに違いない。もし本当にダビデが斜視だったのなら、矯正用のメガネなしに石投げ器で遠方のゴリアテを一発で倒すのは、なかなか至難の業だったに違いない。



ダビデの背中の筋肉が欠けていることも指摘された

ミケランジェロの彫刻のデジタル化によって、ミケランジェロの作品の「欠陥」とも思える部分が発見された。カレッジ大学病院のマッスィモ・グリサーノ医師とフィレンツェ大学のピエトロ・ベルナベイ教授は、ミケランジェロのダビデ像の3Dデータを検討した結果、ダビデの背中の筋肉が欠けていることを指摘した。

通常、右の肩甲骨と背骨の間は、筋肉によって盛り上がるはずなのに、むしろくぼんでいる(図の青矢印)。

画像:Shutterstock.com

ここには脊柱起立筋が走り、上層に僧帽筋が存在している。脊柱起立筋は、背骨の左右を縦に走る強力な筋肉のこと。「頚腸肋筋」、「胸腸肋筋」、「腰腸肋筋」、「頭最長筋」、「頚最長筋」、「胸最長筋」、「頭棘筋」、「頚棘筋」、「胸棘筋」といった筋の総称であり、それらが何層にも重なり合っている。脊柱を支え、姿勢を維持するのに大切な筋肉である。

また、僧帽筋は、肩甲骨を安定させ、ひいては上肢全体を支えるのに重要な筋肉である。肩甲骨を背骨に引き寄せると、僧帽筋が働いてこの部分が盛り上がる。この姿勢で僧帽筋をそれほど緊張させていないにしても、もっとふくらんでいてもよいはず。

画像:Shutterstock.com

実は、背中の欠陥をミケランジェロも気づいていて、「材料(つまり大理石)が足りない」と手紙に書いていた。筋肉を盛りたくても、素材となった巨大な大理石に問題があったのだ。

「何百年も前に描かれた絵画は研究家たちによって調べ尽くされているので、今さら発見できることなど何もない」とは考えず、巨匠たちの作品をじっくりと観察してみよう。もしかしたらあなたも、絵画に関する大発見ができるかもしれない。

描かれてから数百年間も気づかれなかった事実を、現代の研究家が次々と発見しており、本書『名画と解剖学』ではそうした新事実を幾つか紹介している。

・サージェントの『マダムX〈ピエール・ゴートロー夫人〉』は鎖骨が現れるはずの場所に凹凸がないのはなぜか?

・『ネフェルティティの胸像』の優美な長い首のラインと、しわ取りボトックス注射の関係とは?

・ミケランジェロはなぜ『デルフォイの巫女』などの作品の口もとに1本多く歯を描いたのか?

・『手の洞窟』を見ると古代人の右利き・左利き率がわかる?

・モロー、ルーベンスなどプロメテウスを描いた画家は多いが、ついばまれる肝臓の位置を正しく把握していたのは誰か?

といったエピソードだ。絵画の身体に潜む謎解きにぜひ挑戦していただきたい。

【名画の謎を解く】
※第1回:北斎は幽霊っぽさを出すために子供の頭蓋骨を使った
※第2回:モデルの乳がんを、レンブラントは意図せず描いた


『名画と解剖学――『マダムX』にはなぜ鎖骨がないのか?』
 原島広至 著
 CCCメディアハウス


『名画と解剖学――『マダムX』にはなぜ鎖骨がないのか?』98~99ページ

『名画と解剖学――『マダムX』にはなぜ鎖骨がないのか?』100~101ページ


原島広至

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