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イスラム恐怖症は過激なステージへ NZモスク襲撃で問われる移民社会と国家の品格

ニューズウィーク日本版 2019年3月29日 17時0分

<ニュージーランドのモスク襲撃事件は、白人至上主義や排他的なヘイトスピーチに対抗する世界的な取り組みが必要であることを示した>

「弾丸に耳あれば発射を断っていたか、または戻ってくるのを選んでいたのかもしれない」とアラブの詩人は言う。しかし、弾丸には憎しみと同様に聞く耳もなければ、止まる理性もない。

3月15日にニュージーランド南部のクライストチャーチで、2カ所のモスク(イスラム教の礼拝所)が襲われ、50人もの罪のない人々の命が奪われる事件が起きた。被害者の中には医者やサッカー選手、小学生もいた。彼らが標的にされた理由は、移民系イスラム教徒だからだ。モスク襲撃の最初の被害者となったアフガニスタン出身ニュージーランド人のダウード・ナビさんはこの事件の象徴的存在になった。ダウードさんは、礼拝所の玄関で「ようこそ、兄弟よ」と襲撃犯に声をかけるとすぐに射殺された。誰に対しても平和の精神を持って接しようというイスラム教の教えが実践されたことの悲しい代償となった。

なぜ殺すのかという疑問については、犯人は74枚に及ぶ、憎悪に満ちた文書に「移民でイスラム教徒だから」とその理不尽な理由を並べ立てている。容疑者のまとまりのない独り言や事実誤認が羅列されたその文書には、イスラム教徒が白人を抹殺するという陰謀論が繰り返されていた。今や世界的現象にまでなった、イスラモフォビア(イスラム恐怖症)がもたらした残忍な犯行だった。

ジャシンダ・アーダーン首相は16日、クライストチャーチを訪問して記者会見し「これはわれわれが知るニュージーランドではない。あなたたち(被害を受けたイスラム教徒)は私たちである」とイスラム教徒への最大限の連帯感を行動で示した。日本と同じ島国で「安全な国」の1つだったニュージーランドでは今も、テロの標的となったことの衝撃が続く。ニュージーランドのイスラム教徒は全人口の1%にも満たないという。「私は、イスラム教徒でニュージーランドの警察リーダーの1人であることを誇りに思う」と、事件後にある女性警官が涙をしながら挨拶する姿に文字通り世界は泣いた。

排他的ヘイトスピーチとの関係

今回の事件は極めて平和な社会で起きた。200の民族と160の言語からなる包摂的な国ニュージーランド。人を歓迎する国というのも世界の定評だ。普段は国際ニュースにもほとんど登場しないニュージーランドでこのような痛ましい事件が起きたのも、多くの人にとって衝撃的だったろう。

ニュージーランドにとっての唯一の救いとなったのは、事件の実行犯がニュージーランド人ではないこと。彼はオーストラリア人である。

地政学的視点からも、事件を考えていく必要がある。今回の事件と欧米諸国で極右勢力が起こしているヘイトスピーチは、全く関係のないものではない。問題の根は深くつながっている。テロの最大の動機は「周りの環境とその社会に対する不満」だとされる。そしてそれを制するのは、一般の人々の「共感」と「否定」の動向だと私は考える。「共感」は一般に良い意味で用いられるが、過激な思想や言動に「共感」するというネガティブなものもある。また、同じように相手を否定することで自分を肯定する排他的ヘイトスピーチもある。人間の基本的感情の一つである「共感」と「否定」は人をまとめることもあれば、人を分断することもできる。場合によって、「共感」と「否定」は紙一重だと言える。

約100人を死傷させた実行犯は、移民、特にイスラム教徒を拒絶する極右過激主義に特有の用語や画像を多用していた。犯人が共鳴している白人至上主義者や右翼勢力は憎悪に満ちた表現や画像を拡散するなどヘイトスピーチ活動をしながら、過激主義だと非難されないように常に正体を偽っていた。しかし、彼らの憎しみはもはや言葉にとどまらず、ますます極悪非道へと傾いていく新たな段階に突入したようだ。そして、彼らの活動を容認する極右の政治的運動や、世論の理解も進んでいるように思える。

反移民や白人至上主義を掲げる欧米各国の極右勢力は、なぜ移民やイスラム教徒に対して憎悪の念を抱くのだろうか。



近年、アメリカやヨーロッパ、今回の事件が起きたニュージーランドでもイスラム教徒の人口が急速に増え、イスラム教徒の移民は現在およそ5000万人と推定されている。

それに対する不安が反イスラム感情や、移民排斥傾向をもつ極右勢力への支持を増やしている。実際、極右勢力は欧州議会などの選挙で、それまでの限定的な存在から一気に議席を増やして躍進している。

これはフランスやドイツなどに限った話ではなく、スウェーデンやデンマークなど、他のヨーロッパ諸国にも広がっている。

「人権尊重」を理念に掲げてきた欧米社会で「反移民」を掲げる大統領や政党が躍進していることは、欧米における過激思想がいかに拡大しているかを示している。

一方、欧米社会が大切にする多文化共生の理念が健在であることは、ニュージーランド人が証明してくれた。事件を受けて、ニュージーランド政府と国民の取った行動は実に素晴らしかった。彼らが見せた包容力と、人間味に溢れる行動には世界の賞賛が集まった。ある意味で、移民と国家の関係において手本となる新たな歴史を作ったと言っても過言ではない。「国家の品格とは何か」と改めて考えるきっかけになったのではないか。

また日本の学校や家庭などではあまり議論されていないように思うが、今回のモスク襲撃は「国と自分の関係、またその絆ってなんだろう」と改めて問う出来事にもなった。

どうすれば「移民」ではなくなるのか

ここ数年、「移民」または「難民」という言葉がメディア、政治、経済および文化における議論の多くの部分を占めてきた、そしてこれからも最も重要なトピックの1つであり続けることは疑いない。日本を含む世界のさまざまな国で、政治家だけでなく一般の人々も関心を強めていくだろう。

移民とは「通常の居住地以外の国に移動し、12カ月以上のその国に滞在する人」だという。これは、1997年に当時の国連事務総長が国連統計委員会に提案した定義だ。一方、各国政府が採用している定義はバラバラのようだ。移民に関する正確な情報の把握は困難だが、2015年時点でおおよそ2億4400万人とされている。

では、「移民」を卒業するためにはどんな条件が必要なのか。どのぐらいの年月が経てば「移民」ではなくなり、自国民になれるのか。それとも、永遠に移民のままで生きていかなければならないのか。例えば、国籍を取れば移民ではなくなるのか? それとも、国籍の取得には何の意味も関係もないのか。世界の移民事情を見ると、「~系~人」が主流のようだが、これはつまり国籍取得や帰化をしようが、「移民は移民」ということなのだろうか。

私はあるとき、「どうですか皆さん、私は移民の範疇に入るでしょうか」と学生たちに尋ねてみた。「移民ではないと思います」「外国籍なので移民になりますね」と彼らは迷いながらも必死に考えて、いろいろな答えをしてくれた。さらに「私は帰化しているが、それでも移民になりますか。それとも日本人になりますか」と答えを迫ると、「日本人ではない。国籍取得や帰化をしても」「法律的に日本人になるが、やはり日本人ではない」などと、外国人が帰化しても日本人にはなれないと考える学生が圧倒的に多かった。



ある専門家によれば、昔の移民は一生懸命努力して移住先の社会に適応しようとしたが、今の移民は自分たちの文化を持ち込んで、孤立しながらもそれを守ろうとする傾向が強いという。

私はここで、日本社会は人種差別的な社会、または他者を排除する社会だと言いたいのではない。ただ、我(われ)を知るためには、他者を理解しなければならない。つまり他文化への正しい理解を通して、自文化を再認識する必要があるということを強調したいのだ。

移民というのはどこで生活しようが、しょせん移民だ。そして、その現実をしっかり理解し、人生を送っていくしかない。

今回の事件から、どんな教訓を私たちは得なければならないのか。あの人間の醜い思想を作り上げたものは何なのか、またそれがどういう環境で育ち、広がったのかなどを検証すべきだ。

確かに単独犯による犯行だったが、世界各地に白人至上主義を含む「排他的な過激思想」が広がっているのも事実であり、今回の事件は氷山の一角にすぎない。また、これは対岸の火事ではない。私たちはみんな当事者である。

危険な移民排斥傾向をもつ極右の政治勢力に対して、世界は拒絶の意思表示をすることが必要だ。欧米社会にはこうした思想を追い出す責任があるし、そのような過激思想が栄える環境を作ってはならない。

今はある意味で、単なる人や技術の大移動だけでなく、暴力の大移動が可能となった時代でもある。ニュージーランドが経験した暴力は、別の場所で育ち、移民排斥のイデオロギーを身に付けた人間が持ち込んだものだ。そのため、世界を確実に寛容で安全な場所にするには、この問題を国ごとに考えるわけにはいかない。

世界的な取り組みを呼びかけることも重要な課題となる。

【執筆者】アルモーメン・アブドーラ
エジプト・カイロ生まれ。東海大学・国際教育センター教授。日本研究家。2001年、学習院大学文学部日本語日本文学科卒業。同大学大学院人文科学研究科で、日本語とアラビア語の対照言語学を研究、日本語日本文学博士号を取得。02~03年に「NHK アラビア語ラジオ講座」にアシスタント講師として、03~08年に「NHKテレビでアラビア語」に講師としてレギュラー出演していた。現在はNHK・BS放送アルジャジーラニュースの放送通訳のほか、天皇・皇后両陛下やアラブ諸国首脳、パレスチナ自治政府アッバス議長などの通訳を務める。元サウジアラビア王国大使館文化部スーパーバイザー。近著に「地図が読めないアラブ人、道を聞けない日本人」 (小学館)、「日本語とアラビア語の慣用的表現の対照研究: 比喩的思考と意味理解を中心に」(国書刊行会」などがある。


アルモーメン・アブドーラ(東海大学・大学院文学研究科教授、国際教育センター国際教育部門教授)

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