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インドネシアの宗教と民主主義の危うい関係

ニューズウィーク日本版 2019年4月25日 15時30分

<実務肌の現職ジョコ大統領が再選確実となったがイスラム教勢力が政治の場で無視できない存在に>

14年以来(そしておそらく24年まで)インドネシアの大統領を務めるジョコ・ウィドドは最高に満足していたはずだ。4月17日午後3時、インドネシア大統領選挙の開票速報の時点で、対立候補のプラボウォ・スビアントを10ポイントほどリードしていたのだから。

それでも彼は勝利宣言を見送った。歓声を上げる支持者たちには、5月22日までに公表予定の正式結果を辛抱強く待つよう求めた。

それはジョコの完璧な自信の表れだった。5年前の大統領選でも勝利した同じ相手に、今回も順調な選挙戦を戦ってきた。

インドネシアでは、政界のエリートではなく軍人でもない大統領はジョコが初めてだ。そして実務家らしく少しずつ改革を進め、経済を発展させてきた実績が勝利の決め手になった。

今回で3度連続で国政選挙で敗れることになる対立候補のプラボウォは開票速報に異を唱え、選挙の不正を主張している。

だが国際戦略研究所の研究員アーロン・コネリーに言わせると、ジョコの勝因は「楽観的で陽気な選挙運動を展開した」ことだ。国内の資源部門への外資参入に反対するなど、なにかと否定的だったプラボウォの主張とは正反対で、「結局は楽観主義が悲観主義に勝った」のだ。

しかしジョコは再選を確実にするため、宗教保守派にかなりの譲歩をした。副大統領候補として、インドネシアのイスラム社会の頂点に立つマアルフ・アミン師を選んだのだ。マアルフの主張は不寛容で、過去にはシーア派やアハマディア派のイスラム教徒、LGBTの人々を露骨に攻撃したこともある。

昨年、ジョコがマアルフを選んだことは、イスラム勢力への屈服と見なされている。きっかけとなったのは17年、イスラム教を冒瀆したとして実刑判決を受けたキリスト教徒のジャカルタ州知事バスキ・チャハヤ・プルナマ(通称アホック)が、強硬なイスラム主義者の抗議行動で再選を果たせなかったことだ。

宗教意識が急激に高揚

もはやジョコは危険を冒すわけにいかなかった。5年前の選挙で、本物のイスラム教徒ではないと非難され、「隠れ共産主義者」と呼ばれた苦い経験があるからだ。

マアルフを副大統領候補に選んだことは、アホック追放以来、イスラム教徒であることがインドネシア政治における正統性と信用の中核的な要素になったことを示している。もちろんインドネシアは過去にも世俗的な国ではなかった。その憲法は6つの信仰を名指しで保護し、無神論を違法としている。だが宗教や宗派間の抗争が内政を揺るがすことはなかった。



67年から98年にかけてのスハルト軍事独裁政権は、宗教は社会の調和を乱し、反政府活動の温床になりかねないと警戒していた。しかしスハルト以後は多くの信仰が息を吹き返し、宗教意識は急速に高まった。

「(17年の)アホック追放デモと、18年にマアルフが副大統領候補に指名されたことの間には直接的関係がある」と言うのは、ヒューマン・ライツ・ウォッチのジャカルタ支部に所属するアンドレアス・ハルソノ。「ジョコはイスラム教徒だけでなく、イスラム主義者の信認も必要としている」。彼によれば、信仰とそれを政治に持ち込むことは区別される。

ヘビメタ好きの元実業家であるジョコと76歳の宗教家の組み合わせは実に奇妙だ。ジョコは13~14日にジャカルタのスタジアムでロックコンサートのような選挙集会を開催したが、締めくくりにはマアルフが登場し、観客に祈りへの参加を求めた。

マアルフがインドネシア政府の最高レベルにいることが、2期目のジョコ政権に与える影響は未知数だ。だが陣営がイスラムの政治勢力を取り込んだことは、イスラム教徒が過半数を占める他国の傾向と歩調を合わせている。

エジプトやトルコのようなイスラム教徒が主流の国とインドネシアは構造的な類似性がある。それは、20世紀半ばまたは後半の世俗的権威主義が、長期にわたって抑圧されたイスラム教の活性化をもたらしたことだ。これら全ての場所で、イスラム主義が発言力を増している。

民主主義体制だからこそ

しかしこれは選挙を経た民主主義の結果だ。「この国で起きていることのいくつかはよくないことだし悩ましいが、多くの点でそれは民主主義の産物だ」と、ブルッキングズ研究所のシャディ・ハミドは言う。「民主主義は国民の感情を反映することを意味する。インドネシア国民は一般に、イスラム教が国民生活の中で大きな役割を果たすことを良くも悪くも支持している。民主化とイスラム化は密接に関連していることが多い」

彼はインドネシアにおけるアイデンティティー政治の台頭を、より大きな地政学的トレンドと捉え、「民主主義的競争が政策志向でも実務志向でもなくなり、アイデンティティーや文化、宗教の問題にどんどんのめり込んでいる」と考える。



スタジアムでの選挙集会にアホック追放デモの参加者がたくさんいたことからすると、ジョコの賭けは成功したといえるだろう。「マアルフ・アミンはジョコ陣営に活気をもたらした」と言ったのは、17年にはアホック追放デモに参加し、今回の選挙ではジョコに投票したという労働者のボイ・パクだ。

ジョコが選挙戦で当初から優位に立っていたことや、インドネシアには大統領の任期制限があるため3期目はないという事実からすると、2期目のジョコに対する国民の期待は相当に大きい。お世辞にも良好とはいえない人権状況の改善も急務だ。

14年に進歩的な波に乗ったにもかかわらず、ジョコは65年の華僑虐殺に対する説明責任や、急激に悪化しているLGBTの権利についてほとんど手を打っていない。

ジャカルタのシンクタンク、セタラ研究所によれば、宗教的な不寛容は彼の1期目に急拡大した。先住民は相変わらずないがしろのままだ。「誰が選挙に勝つにせよ、大統領には過去も現在も含めて、人権侵害を解決する義務がある」と、人権活動家のリニ・ズルリアは言う。

強権的な支配者がぞろぞろいる東南アジアで、インドネシアは最大の民主主義国だ。98年の民主主義革命から21年後の現状は、回復力のある民主国家が育つ可能性があるという証拠だ。

候補者のメンツは同じなのに、「今度の選挙は前よりひどかった」と言ったのはジャカルタ育ちのイスマン・アフマド・チュアニ。「それでもこれが民主主義。民主主義は守らなくちゃ」

<本誌2019年4月30日/5月7日号掲載>



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クリティカ・バラグール

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