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団地は最前線、団地こそが移民の受け皿として機能する?

ニューズウィーク日本版 2019年5月27日 18時0分

<自身も子供の頃、団地に住んでいたという安田浩一氏によれば、高齢化の問題を抱える団地が今、排外主義の最前線になっている。埼玉県川口市の芝園団地などを取材した安田氏による『団地と移民』が描く日本の未来>

『団地と移民――課題最先端「空間」の闘い』(安田浩一著、KADOKAWA)の著者は、自身も子供のころ住んでいた団地という環境について、以下のように記している。

団地は私にとって「世界」そのものだった。コンクリートの箱に、喜怒哀楽のすべてが詰められていた。給水塔の見えない場所に行くと、知らない国の知らない場所に置き去りにされたような気持ちになった。そして専業主婦だった母親にとっても、団地こそが「時代の風景」だった。高度成長のただなかにあって、団地は未来へと向かう階段の踊り場のような存在だった。その先には、もっと豊かな暮らしがあるのだと信じられていた。 他人のプライバシーが筒抜けであるということは、我が家の秘密だって漏れていたはずだ。隣に、いや、上下左右の家に、私の成績も悪癖も伝わっていたはずだ。だが、それでも「気にならなかった」と母親はいう。 いまは隣宅が何をしている人かさえ知らない。調味料を貸してくれるようなご近所さんもいない。 この先、きっとよいことがある。そう信じさせてくれるのが団地という存在だったという。(「まえがき――団地は『世界』そのものだった」より)

母親にとって団地がどのような存在であったか知りたかったとの思いから、母親を連れ、かつて暮らした団地を訪ねたときの描写だ。「子どもの声も響かない静かな団地のなかを、五〇過ぎの私と八〇近い母親がゆっくり歩く」という文章を目にしたとき、数十年前の私自身の記憶が蘇ってきた。

確かにあの頃、団地は子供たちの声であふれていた。私は団地に住んだ経験はないが、近くの団地に友達が何人も住んでいたので、いつも遊びに行っていたのだ。だから私にとって、その団地は「友だちがたくさんいる楽しい場所」だった。高度成長期の頃は、同じような団地がたくさんの街にあった。

ところがそれから50年の時を経て、団地は住民の高齢化という問題を抱える場所になってしまった。本書で紹介されている大阪府堺市の金岡団地(現・サンヴァリエ金岡)で自治会長を務めているという80歳の男性は、「このままではただの限界集落になってしまう」と危機感を募らせている。

そして、もうひとつの大きな問題は、団地が排外主義の最前線になっているという事実である。例えばその例として紹介されているのが、埼玉県川口市の芝園団地だ。1978年に完成した全2500世帯の大型団地で、半数の世帯が外国人住民。そのほとんどはニューカマーの中国人なのだという。

 芝園団地が一部メディアの注目を集めるようになったのは二〇〇九年ごろだった。中国人住民の急増が話題となり、風紀の乱れや治安の悪化を憂う記事が相次いで掲載された。「チャイナ団地」「中国人の脅威」ーーいずれも身勝手にふるまう中国人と肩身の狭い思いをする日本人といった文脈でまとめられたものだった。 こうした記事を目にするたびに気持ちがザラついた。外国人が増えることを「治安問題」とする日本社会の空気にうんざりした。排他と偏見を煽るような雰囲気が怖かった。(76ページより)



当時から外国人排斥を主張する差別者集団を追いかけてきたという著者によれば、芝園団地の最寄り駅である蕨(わらび)から西川口にかけての一帯は、差別デモの開催地としても知られ、排外運動に飛躍を促した場所でもあったのだそうだ。

やがて蕨や川口市を舞台とした差別デモは定例化し、デモの際に日章旗や旭日旗だけでなく、ナチスのシンボルであるハーケンクロイツを掲げる者まで現れた。そんな空気が流れるなか、中国人住民が急増した芝園団地が差別主義者の攻撃対象となるのは当然だった。

著者が実際に芝園団地へ足を運んでみると、確かにそこには「中国」があふれていたそうだ。中国語が併記された看板や張り紙、日本語がほとんど通じない団地商店街の中国雑貨店、中華料理店など。子を叱る母親の声も井戸端会議も、圧倒的に多いのは中国語。

そんななか、公園で談笑していた中国人の母親グループに著者が声をかけると、「ここには友だちもたくさんいる。とても住みやすいです」と弾んだ声が返ってきたという。

実は私の住む家の近所にも中国人が多く住むマンションがあるので、その雰囲気は想像できる。親が子を叱る声などは昭和の日本のようで、個人的には懐かしさとともに好感を持っていた。おそらく芝園団地にも、そういう穏やかな空気が流れていたのだろう。

 一方、団地内を歩いていると、掲示板に次のように記された張り紙があった。 〈警告 不良支那人・第三国人 偽装入居者(不法)  強制送還される前に退去せよ〉 太字の黒マジックで殴り書きされたような張り紙の文字からは、憎悪と差別の"勢い"が見て取れた。いかにも団地の管理事務所が貼り出した「警告」のように見えるが、実際は何者かによるイタズラである。(82〜83ページより)

ちなみに中国人住民の多くは日本の大学を出て、そのまま日本企業に就職した会社員とその家族なのだという。芝園団地は都心に近く、家賃に比して間取りも悪くない。なによりUR団地は収入基準さえ満たしていれば国籍に関係なく入居できる。

一方、民間の賃貸住宅は外国人に対しての審査が厳しく、露骨に差別的な対応をされることもあるため、都心の企業に通勤するホワイトカラーを中心に、"芝園人気"が定着しているというわけだ。

つまり芝園団地は、増え続ける中国人住民にとっては「心強い」環境だということ。しかし、一部の日本人住民が中国人住民を快く思っていないことも事実だ。特に外国人との交流に慣れていない高齢者の中には、不安を隠せない人も存在するということである。

また、日本人住民の中に「メディアや右翼が騒ぐほどの問題はない」と言い切る人も少なくなかったと著者は記している。

 別の七〇代住民は次のように話した。「この団地には広い中庭があるので、昔から近隣の悪ガキたちのたまり場になっているんです。そうした者たちのイタズラを、中国人の仕業だと喧伝する住民がいるんです。少し前のことですが、夏祭りの前夜に、盆踊りの舞台に飾られた提灯が壊されるという事件が起きました。目撃者もいたことで、"犯人"は団地の外に住む日本人の中学生グループだということはわかったのですが、それでも、中国人がやったに違いないというウワサが、あっという間に広がりました」 また、団地内にある芝園公民館の職員も「誤解に基づいた偏見が多い」と嘆いた。「たとえば大小便の問題も、調べてみたら犬の糞だった、ということもありました。ごみ出しなどで、生活習慣の違いなどからトラブルもあったことは事実ですが、中国人だって団地生活が長くなれば、最低限のルールは覚えてくれます。(85〜86ページより)



もちろん芝園団地だけの問題ではなく、同じような問題は日本全国に存在する。そして不当な扱いを受けているのは、中国人だけではない。印象的なのは、愛知県豊田市の保見(ほみ)団地でゴミステーションの掃除をしていた男性の話だ。

 藤田パウロ(七三歳)。同団地に住む日系ブラジル人だ。「きれいにしないとね。カゴの外にごみははみだしちゃダメ。飲み物が入ったままのペットボトルもダメ」 最後に周囲を水で洗い流す。完璧だ。ここまで清潔なごみ置場など見たことがない。 藤田はもう二〇年も前から、こうして早朝の掃除を欠かさない。いうまでもないが、当然ボランティアだ。誰に頼まれたわけでもない。自分の意思で続けている。(210ページより)

著者の「なぜ、そこまできれいにするのですか?」という問いに対し、藤田は「私自身、汚れた場所は好きじゃないし。なんといっても自分が住んでいる場所だから。それから......」と言葉を途切らせたのだという。

――それから? 答えを急かすような私に対し、藤田はちょっと困ったような顔つきでこう答えた。「ごみステーションが汚れていると、日本人はすぐにブラジル人のせいにするでしょ? ブラジル人が汚していなくてもブラジル人のせいにされる。だからどんなときでもきれいにしておかないと」 藤田が口にする「日本人」という言葉の響きには、戸惑いや恐れが含まれているような気がした。 藤田自身が日系二世である。ブラジル生まれとはいえ、父親は岡山県出身、母親は大阪府出身の「日本人」だ。それでも藤田にとって「日本人」は、ちょっと違う地平に立つ人々なのだ。(211ページより)

2018年末に、在留資格を新設する入館法改正案が臨時国会で成立した。人手不足業種の現場はこれまで技能実習生や留学生によってまかなわれてきたが、それだけでは足りないため新たに「特定技能」という在留資格を設け、最長10年間、単純労働分野における外国人の雇用が可能になったのである(技能実習生は最長5年)。今後5年間で約35万人におよぶ外国人労働者の受け入れが見込まれるという。

政府は決して「移民」ということばを使わないが、外形上は移民受け入れに舵を切ったわけである。政府の思惑がなんであれ、少子化と急激な高齢化が進行する以上、現実問題として移民は増え続けることになる。

その際、文字どおりの受け皿として機能するのが団地だと著者は主張する。団地という存在こそが、移民のゲートウェイになると。そして、そこに団地の高齢化問題を解決するひとつの解答が示されているというのだ。



 外国籍住民の人口は、いまや二五〇万人に迫る。これは名古屋市の人口を上回り、もはや京都府全体の人口に近い。 たそがれていた団地にとって、この存在は救世主となる可能性もある。 いつの時代であっても、地域に変化をもたらすのは"よそ者"と"若者"だ。 限界集落に新しい住民が増えることで、新しい時間が訪れる。風景も変わる。人々の意識も変わっていく。衝突や軋轢を繰り返しながら、しかし、徐々に人々が結びつきを深めていく。(251〜252ページより)

そういう意味において、団地は多文化共生の最前線だというのである、それは、移民国家に向けた壮大な社会実験の場でもあると著者は表現している。限界集落化した団地を救うのは、外国人の存在かもしれないということ。

感情的に排斥するだけでは、何も変わらないのだ。


『団地と移民――課題最先端「空間」の闘い』
 安田浩一 著
 KADOKAWA


[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「WEBRONZA」「サライ.jp」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)をはじめ、ベストセラーとなった『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)など著作多数。




印南敦史(作家、書評家)

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