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富裕層向け巨大開発が中流層をニューヨークから締め出す

ニューズウィーク日本版 2019年6月8日 16時30分

<ニューヨークの富裕層向け都市開発の代表例ハドソン・ヤードは、中流層を街から締め出す危険をはらんでいる>

この3月、ニューヨークでとんでもない再開発プロジェクトが竣工した。その名は「ハドソン・ヤード」。マンハッタンの西岸、ハドソン川に面し、かつては鉄道基地だった広大な敷地を豪勢な職住近接のエリアに生まれ変わらせたもの――なのだが、あいにく評判はよろしくない。

地元誌ニューヨークに、ここへ来ると「胸の中に驚きと落胆の混ざり合った不思議な感情が湧き上がる」と書いたのは評論家のジャスティン・デービッドソン。「まるで自分がよそ者みたいな気分になる。ここまで露骨に富を誇示するのが21世紀の大都市の条件だとは、私には思えない」

彼だけではない。ニューヨーク・タイムズ紙のマイケル・キンメルマンは、ハドソン・ヤードを「基本的には超大型オフィスビルとショッピングモールと、超富裕層だけが買えるマンションの複合体」と評している。「それは2代にわたる市長の無為無策が招いた市政の危機と、民間部門による開発こそニューヨークを活性化する最善の道と信じる悪しき仮説、そして金こそ全てという信念の産物だ」

このプロジェクトを率いてきたのは79歳の開発業者で大富豪のスティーブン・ロス。総工費250億ドルをつぎ込み、高級ブランドや3200万ドルのペントハウス、最新設備のオフィス棟などで構成される複合施設で、その規模は北米史上最大。まさに都市再開発の金字塔という触れ込みだった。

「人々がそこで暮らし、働き、遊びもできる場所があり、そこに最高の人材が集まる。それがニューヨークには必要だと私たちは考えた」。ロスは竣工式でそう語り、胸を張った。

だが、期待に反してハドソン・ヤードの評判は芳しくない。このプロジェクトは高級志向の無謀な都市開発の象徴であり、ひと握りの富裕層とその他大勢の市民の分断を深めるだけだ。富の再分配どころか、富の集中を一段と加速するだけの代物だ。

今の時代、この手の巨大プロジェクトには逆風が吹いている。クイーンズ区のイーストリバー沿いに広大な第2本社を建設しようとしたアマゾン・ドットコムの計画は、地域住民や政治家の猛反対で葬り去られた。

なぜか。企業誘致に当たって自治体の用意する優遇措置(税の減免など)が地域にもたらす不利益は、雇用創出などのメリットを上回るからだ。

「行政当局の計算が間違っていたのだと思う」と言うのは、都市計画の専門家リチャード・フロリダ。しかし、既に走りだしているプロジェクトは簡単には止まらない。



高級化を企業誘致の呼び水に

そもそも、富裕層向けの巨大再開発で中流層に十分な雇用と住宅を提供できるものなのか。そんな手品みたいなことが、どうすれば可能なのか。

可能だとしても、容易ではあるまい。ボルティモアのインナーハーバー開発からボストンのビッグディグまで、アメリカの多くの都市では何年も前から、その景観や雰囲気をがらりと変える再開発が進められてきた。

もちろん、そこには正当な理由があった。長らく放置されてきた遊休地は活用したいし、老朽化した道路や生活インフラの更新は待ったなし。開発推進派のキャサリン・ワイルドに言わせれば、「50年も放置され、雇用にも税収にもまったく貢献していない空き地があったら、しかるべき投資をするのが得策と考えざるを得ない」のだ。

それは、フロリダが02年の著書『クリエイティブ資本論――新たな経済階級の台頭』(邦訳・ダイヤモンド社)で提唱したアプローチだ。この本で彼は、アーティストや知識人、大卒の若者といった「クリエーティブ階級」を呼び込める場所ができれば都会に活気が戻ると主張した。そして彼らがやって来れば優良企業もやって来るから、結果的に新たな雇用が生まれ、税収も増えると論じた。

行政が率先して公園を整備し、高級レストランを誘致し、活気に満ちたナイトライフを提供すれば、若くてクリエーティブな人たちにアピールできるだろう。一方で寛大な税の減免措置を用意すれば資金の潤沢な開発業者が乗り出すだろうし、先端企業も喜んで進出してくるはずだ。いい例が、サンフランシスコやテキサス州オースティンの再開発だ。フロリダの予想どおり富が集積し、雇用も税収も増えている。

だが、弊害もあった。超大型の再開発が行われると、そこの商店や飲食店などで働く人々は家賃の高騰で近隣に住めなくなり、遠くに追いやられた。仕事を続けるには、高い交通費を我慢して通勤するしかなかった。

ニューヨーク大学ファーマン不動産・都市政策研究所によれば、市内の年収中央値の80%程度を稼ぐ世帯でも00 年には再開発地区周辺の空き物件の77%以上を借りることができた。だがこうした世帯が手を出せる物件は、14年には50%以下に減っていた。

同じ時期、多くの都市で持ち家率が急落し、都市部で家を買える世帯は減り続けた。00年から15年にかけて、ワシントンでは不動産価格の中央値が228%も高騰した。オレゴン州ポートランドでは130%の上昇だ。

こうした変化は専門家にとっても衝撃だった。「(『クリエイティブ資本論』を書いた02年の時点で)予想できた人はいなかったと思う」と、フロリダは本誌に語った。「市長も都市計画の専門家も経済学者も予想できなかった......あっという間の変貌だった」

フロリダは17年の『新たな都市の危機』で、この間の再開発ブームを検証している。「開発業者は富裕層向けの住宅しか建てない」と、彼は言う。なぜならマンハッタンのように「地価の高い場所では、それ以外に稼ぐ方法がないからだ」。

経済が自然に問題を解決?

解決策はあるのか。優遇措置(ハドソン・ヤードは税の減免と補助金を合わせて60億ドル相当の優遇措置を受けたとされる)の下で再開発事業を進めたい業者には、市が中流層向けの住宅供給を義務付けるべきだとフロリダは言う。「優遇措置を正当化するには、手頃な住宅を増やすという条件が必要だ」

都市未来学者のジョエル・コトキンと人口統計学者のウェンデル・コックスはオポチュニティー・アーバニズム研究所の報告書で、ダラスやシカゴは都市周辺部を開発することで住宅難を解消できると論じた。そうした住宅地に一戸建てや部屋数の多い集合住宅など、中流層でも手の届く住宅を増やせばいいという。



ファーマン研究所のイングリッド・グールド・エレン所長は「特効薬」はないとしながら、公共交通網の充実を提言する。電車やバスがあれば、遠くに住んでいても通勤は楽になる。

最富裕層が都心部で投資物件を買いあさらないように、自身の居住を目的としない不動産の購入には重く課税するという手もある。ロンドンやパリ、バンクーバーは、既にそうした制度を導入している。もっとも、500万ドルのコンドミニアムをすぐに買える金持ちにとっては、多少の税金の上乗せなど痛くもかゆくもないだろう。

アマゾンの第2本社誘致は市民の反対で頓挫した Shannon Atapleton-REUTERS

どんな対策を取るにせよ、ロスのような開発業者がフロリダのような批判に耳を傾けるとは思えない。

予想どおりというべきか、ハドソン・ヤードの建設に当たって市から受けた援助は「ニューヨークでゼロから新しい街を開発」するために必要だったとロスは主張する。「今のアメリカには極左の政治家が多くて......ニューヨークに第2本社を建てるというアマゾンの計画も彼らがつぶした。しかし彼らは世の中の本流ではない」

ハドソン・ヤードで7階建てショッピングセンターの建設を取り仕切ったリレーテッド・アーバン社のケン・ヒメル社長は、別の角度から説明を試みる。「ハドソン・ヤードが何なのか、誰も落ち着いて考えていないのだと思う」と、ヒメルは言う。「あれは誰にとっても有意義な施設なのに」

結局は、政治よりも先に経済がいや応なしに問題を解決するのだろう。10年前にフロリダとアリゾナで起きた住宅危機を思い出せばいい。

物件が余れば開発は止まり、不動産価格は下落する。話題の再開発地区に商業施設が誕生しても、高級ブランドはこれ以上店を増やしても勝算はないと考え、出店を思いとどまるかもしれない。閑古鳥が鳴くショッピングモールは珍しくもない。法律が変わらなくとも、ネット通販の台頭でリアル店舗の小売業は撤退を強いられていく。

そうなったら、空き地に低・中所得者向けの住宅をどんどん建ててもらえるだろうか。そうして開発業者と最富裕層と、その他大勢の私たちが共生できる街ができるだろうか。

<本誌2018年6月11日号掲載>


※6月11日号(6月4日発売)は「天安門事件30年:変わる中国、消せない記憶」特集。人民解放軍が人民を虐殺した悪夢から30年。アメリカに迫る大国となった中国は、これからどこへ向かうのか。独裁中国を待つ「落とし穴」をレポートする。



アダム・ビョーレ(ジャーナリスト)

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