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もう1つの<異端>大学教授──学歴はなくとも研究業績は博士に匹敵する人たち

ニューズウィーク日本版 2019年7月2日 18時50分

<博士号や教育・研究業績がなくても大学教授になれる現状を憂える記事を前回書いたが、そうした<異端>教授の中には実はすぐれた研究者もいる。彼らの共通点とは?>

日本の近代化は明治維新から始まったといわれている。その中心的な役割を担ったのが近代化を推進していく官僚を養成するための高等教育機関であり、その拠点が帝国大学(現在の東京大学)であった。

これは富裕階層の選ばれたエリ-トの子弟が行く高等教育機関であった。他方、家庭環境は豊かでなくとも、知的好奇心があり、学問研究への強い志のある、正統派のエリ-トではない<異端>の研究者もいた。後述の日本植物学の権威である牧野富太郎博士は、小学校卒業という学歴でありながら、東京帝国大学の講師まで務めた(教授にはなれなかったけれども)。

今回は歴史の表舞台にあまり登場していない、すぐれた<異端>の教授を紹介する。肩書ではなく、本物の大学教授とは何かを考える材料にしていただきたい。

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学校は学問をする唯一の場ではない

「私は学校卒業証書や肩書で生活しない。私は、私自身を作り出したので、私一個人は私のみである。私は、自身を作り出さんとこれまで日夜苦心したのである。私の学問も私の学問である。......(中略)......私は道学者ではないが、......町の学者として甘んじている」(斉藤忠「鳥居龍蔵の業績」『日本考古学選集<6>鳥居龍蔵』築地書館、1974年)

「学問をするためには学校にいかなければならないというのは一つの常識。もしかしたらそれはとんでもない間違いなのでは。学校というのは勉強するための一つの場」(加藤秀俊『独学のすすめ――現代教育考』文藝春秋社、1978年)

「独学」とは、本来、学校にも通わず、専門家にも教えを乞うことなく、自分で学んでいくことであるが、本稿では正規の大学・大学院の学生として教授陣から学ぶことなく、学問を身につけ、当該専門領域ですぐれた研究をすることを指す。

かつて「独学」という言葉は、学歴社会のアンチテーゼ的な意味で使われ、いわゆる学歴なき人々が知的な精進をして、社会から注目される知的生産者になったことを意味していた。

冒頭の引用の言葉は、日本の人類学の始祖といわれている、独学の人類学者、考古学者、民族学者、民俗学者である鳥居龍蔵氏(1870-1953年)の独学者としての理念を示した至言である。

彼は徳島県徳島市の小学校を卒業後、中学校教師の指導を受けながら、独学で人類学を学び、1905年に東京帝国大学理科大学講師、1922年に同助教授、1923年に國學院大学教授、1928年に上智大学文学部長・教授、1939年に米国ハーバード大学燕京研究所客座教授(~1951年まで)と輝かしい経歴を自らの力で獲得している。



まさに、独学者の「一つの生き方」を示している。また、社会学者の加藤秀俊氏が書いた『独学のすすめ――現代教育考』(文藝春秋、1975年〔初版〕)では、学校が学問をする唯一の場ではなく、数多くの「学び」の場の一つであることを明言しているが、これもまた「独学」の神髄を突いている言葉である。

日本の独学者列伝:南方熊楠から安藤忠雄まで

明治以降の近代社会では、植物学者の牧野富太郎氏、博物学者・民俗学者の南方熊楠氏、英語学者の田中菊雄氏等が象徴的な独学者として取り上げられてきた。

建築界の異端児で世界的に著名な安藤忠雄氏は工業高校卒業ながら、独学で建築学を勉強し、数々の国際的な賞を受賞し、短期間(1997―2003年)ではあるが、東京大学大学院工学研究科教授として招聘され、現在は東京大学特別栄誉教授となり、まさに現代独学者のトップランナーである。

また、東京大学大学院経済学研究科教授の柳川範之氏は大検、大学の通信教育学部(慶應大学)、東大大学院を経て、東大教授になった人物である。彼はその著作『独学という道もある』(ちくまプリマー新書、2009年)を刊行して以来、専門の経済学以外に「独学」という勉強法の有効性について論じてきている。

この他、現在社会的知名度のある研究者や大学教授で、正規の学歴ルートを経ずして大学教授になったケースとしては、生命科学者の米本昌平氏(元東京大学先端科学技術研究センター特任教授)、経済学者の故奥村宏氏(元中央大学商学部教授・龍谷大学経済学部教授)、中小企業研究で有名な中沢孝夫氏(兵庫県立大学大学院客員教授)、民俗学者の赤坂憲雄氏(学習院大学文学部教授)等が挙げられる。

具体的にいえば、米本氏は京都大学理学部卒業後、学生運動を通じての大学やアカデミックライフへの不信感から、自分の専門分野とは畑違いの証券業界へと転身。名古屋の中小証券会社の調査部員として働く傍ら、京都大学時代の恩師の指導を受けながら、独学で生物学の研究を行い、学会誌に論文を発表した。

その結果、京都大学時代の先輩の紹介で、三菱化成の新設の研究所、三菱化成生命科学研究所の研究員として採用されることになった。その後、同研究所の研究室長、株式会社科学文明研究所所長として、科学史・科学論・生命論・環境問題等に関する著作を数多く発表し、専任ではないものの、東京大学先端科学技術研究センタ-特任教授・東京大学教養学部客員教授として活躍した。

彼の研究姿勢のユニーク性は、科学技術の社会的責任性を追求している点にある。生命科学を倫理的な側面から再検討していく視点、例えば、人類における優生政策を歴史的に俯瞰した上で、ナチス・ドイツにおける優生政策がユダヤ民族の大虐殺(ポグロム)を生み出してきたということの意味を問い直しているという点である(『優生学と人間社会』米本昌平他、講談社現代新書、2000年)。



原子力の安全性問題、生命倫理問題、地球環境問題等に対する彼の批判的な見解にみられるように、科学技術への過剰な依存が人間社会に何をもたらしたものかを常に監視し、警告しているのが彼の科学技術論の基本である。

奥村氏は旧制第六高等学校入学後、戦後の学制改革により、岡山大学法文学部卒業となり、産経新聞記者、日本証券経済研究所主任研究員を経て、龍谷大学経済学部教授や中央大学経済学部教授に就任している。彼は「法人資本主義」という形で、日本の資本主義の構造的特質を明らかにしたことで著名である。

中沢氏は高校卒業後、郵便局に勤務し、全国逓信労働組合本部勤務を経て、1989年(当時、44歳)に立教大学法学部に入学した。1993年に卒業。中小企業のフィールドサーベイを通じて、日本の中小企業の優秀性を実証的に証明した(『中小企業新時代』岩波新書、1989年)。彼は豊富なフィールドワークをもとにした中小企業論を数多く発表し、兵庫県立大学・福井県立大学・福山大学等の教授を歴任し、現在は、兵庫県立大学大学院客員教授となっている。

民俗学者の赤坂氏は東京大学文学部国史学科卒業後、どのようにして、民俗学の学問的な専門知識やフィールドワークを深めていったのかについてはよくわからないが、彼の数多くの著作の中でも、初期の著作である『異人論序説』(砂子屋書房、1985年)、『排除の現象学』(洋泉社、1986年)、『王と天皇』(筑摩書房、1988年)、『境界の発生』(砂子屋書房、1989年)、『象徴天皇という物語』(筑摩書房、1990年)、『山の精神史』(小学館、1991年)をみれば、自らの専門性を極めていくための学問的な精進をされたことがよくわかる。

そのためか、1988年から大学の非常勤講師(法政大学・立教大学等)を務めている。その後も数多く民俗学関係の著作を刊行し、1992年には新設の東北芸術工科大学教養部助教授に就任し、1996年には同大学教授、1999年に同大学東北文化研究センター所長となっている。

その後、2011年に学習院大学文学部教授として移籍している。大学院で専門的な研究に従事せず、旺盛な知的関心と卓抜なる執筆によって、民間学者としての立場を忘れず、学問的専門性を高めてきているという点では、すぐれた研究者であることは間違いないだろう。

これらの独学で大学教授になった人たちの共通点は、本人の学問的資質があることはもちろんではあるが、(1)逆境にも負けず、学問的な真理を追求してきたこと、(2)知的好奇心が旺盛であったこと、(3)知的執着心がケタ外れに大きかったこと、(4)研究成果を著作や論文で世に問うてきたこと、などが挙げられる。

独学で学問をするということは、大学院で指導教官に教えてもらうこと以上に、自由な発想で学問ができることや常に新しい学問的発見を見出すことに意欲を燃やすことにつながり、だからこそ、大学教授のポストを獲得することができたといえるだろう。

専門分野が超領域化・複合化しつつある今日、多角的な視点と多様な価値観をもつ、独学型の大学教授の存在は日本の学問分野の価値を高めることに貢献していくことが期待されるだろう。

[筆者]
松野 弘
社会学者・経営学者・環境学者〔博士(人間科学)〕、現代社会総合研究所理事長・所長、大学未来総合研究所理事長・所長、一般社団法人ソーシャルプロダクツ普及推進協会副会長、岡山県津山市「みらい戦略ディレクター」等。日本大学文理学部教授、大学院総合社会情報研究科教授、千葉大学大学院人文社会科学研究科教授、千葉大学CSR研究センター長、千葉商科大学人間社会学部教授等を歴任。『「企業と社会」論とは何か』『講座 社会人教授入門』『現代環境思想論』(以上、ミネルヴァ書房)、『大学教授の資格』(NTT出版)、『環境思想とは何か』(ちくま新書)、『大学生のための知的勉強術』(講談社現代新書)など著作多数。


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松野 弘(社会学者、大学未来総合研究所所長)

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