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なぜ「天才経済学者」は「暴走政治家」に変わったのか…川勝知事が失言を繰り返すようになった根本原因

プレジデントオンライン / 2024年4月10日 15時15分

退職届を提出し、報道陣に囲まれながら知事室に向かう静岡県の川勝平太知事(中央)=2024年4月10日午前、静岡市 - 写真=時事通信フォト

4月10日、静岡県の川勝平太知事が辞職願を提出した。自身の不適切発言への責任やリニア中央新幹線問題に区切りがついたとして辞める意向を示していた。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「川勝氏は日本を代表する経済学者だったが、政治家としては挫折を余儀なくされた。そこには『学者だから』という甘えがあったのではないか」という――。

■批判を集めた川勝知事が突然の辞任

静岡県の川勝平太知事が、辞職する。

4月1日の静岡県新規採用職員への訓示内容に対して、職業差別だとの批判を浴び、翌日の夕方に突然、6月議会の終了をもっての辞意を明らかにした。

そのまた翌日の記者会見では、「リニア問題は大きな区切りを迎えた」と、その理由を明らかにしたものの、その1週間後の4月10日、辞職願を県議会議長に提出した。

辞職の理由も時期も二転三転する姿勢はもとより、リニア問題への対応、さらには、かねての失言への批判が高まっている。

川勝平太氏は、15年前に静岡県知事に当選するまでは、経済史の研究者だった。

代表作『文明の海洋史観』(中公文庫)は、陸地だけを考える歴史の見方を批判し、「海洋をとりこんだ歴史観」(同書、154ページ)を示し、読売新聞主催の読売論壇賞を受けた。『経済史入門』(日経文庫)は、200ページほどの短い新書サイズの教科書ながら、大きな枠組みで経済の動きをとらえて、定評があった。

■日本を代表する経済学者から政治の道へ

早稲田大学政治経済学部を卒業し、英国オックスフォード大学で博士号を取得したのち、母校である早稲田大学で教授を務め、静岡文化芸術大学学長を歴任している。学者だけではなく、組織のトップとしての手腕を期待されて、静岡県の石川嘉延・前知事のブレーンを経て、15年前に知事選に当選したのである。

とはいえ、偉い学者先生の看板(だけ)で静岡県知事になったわけではないだろう。

初当選時の2009年は、自民党から民主党への政権交代が大きなうねりとなっていた。7月5日に投開票された静岡県知事選は、翌月の総選挙の前哨戦だった。当初は、自民党から立候補の要請を受けた川勝氏は、民主党からの全面バックアップもあって接戦を制する。

初めは勢いに乗った部分があったものの、その後は3回の選挙に危なげなく勝利している。東は熱海市から西は愛知県の手前の湖西市まで、広く、地域色に富む静岡県全域から幅広い支持を15年にもわたって集めた背景には、何があったのだろう。

その理由は、川勝知事の、学者としての栄光から、政治家としての挫折にも通じるのではないか。

■学者「なのに」失言を繰り返してきた

今回、川勝氏が大炎上した発言は、すでにご承知の通りだろう。

実は静岡県、県庁というのは別の言葉でいうとシンクタンクです。毎日、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかということと違って、基本的に皆様方は頭脳・知性の高い方たちです。

この発言が職業差別かどうか、真意はどこにあったのか、といった点は、ここでは置こう。さんざん報じられているように、川勝氏は、これまで「失言」を繰り返してきたからである。

たとえば、「あちら(御殿場市)にはコシヒカリしかない。ただ飯だけ食って、それで農業だと思っている」(2021年10月23日)や、「磐田(市)っていう所は文化が高い。浜松(市)よりもともと高かった」(2024年3月13日)など、枚挙にいとまがない。

オックスフォード大学の博士号を持ち、早稲田大学で教え、地元の大学の学長だったのだから、それこそ「頭脳・知性の高い方」だったのではないか。それ「なのに」放言を連発してきた。有権者や周りをバカにしてきたと受け取られても仕方がない。

にもかかわらず、360万人以上の人口を抱える静岡県民は、彼を15年にもわたって行政のトップに選んできたのだから、よほど騙されていたのだろうか。あるいは、県民にしかわからない川勝氏の魅力があるのだろうか。

そうではない。

彼は失言が多い。「だから」応援されてきたのである。

■同じく学者出身の蒲島・熊本県知事

同じ学者出身として、熊本県知事を間もなく退く蒲島郁夫氏と比較しよう。

熊本県の蒲島知事。「くまモンの上司」としても知られる
熊本県の蒲島知事。「くまモンの上司」としても知られる(写真=内閣府 地方創生推進室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

蒲島氏もまた、川勝氏と同じく選挙に強く、初当選以来、4回も圧勝を続けてきた。熊本地震への対応や復興だけではなく、「くまモンの上司」としても名を轟かせ、同県を大いにPRしてきた。

川勝氏が、優れた学者という理由(だけ)で選ばれてきたのではないのと同じように、蒲島氏もまた、前職が東京大学の教授だった履歴(だけ)が、4選の理由ではないだろう。

蒲島氏は、「東大法学部教授になった蒲島郁夫氏の旋回人生」(『週刊朝日』1997年5月2日号)という記事が出るぐらい、一筋縄では行かないキャリアを経ている。高校卒業後に自動車会社に就職し、地元の農協を経て渡米して農業に従事する。ネブラスカ大学からハーバード大学に移り、「日本で政治学者になりたいと思うように」なる、その軌跡は、オフィシャルサイトに詳しい。

■川勝氏と蒲島氏の明暗を分けたもの

政治学者、それも選挙を専門とする学者として「バッファー・プレイヤー仮説」は、川勝氏の「文明の海洋史観」ほどではないものの、学界では広く知られている。「基本的に自民党の政権担当能力を支持しているが、政局は与野党伯仲がよいと考えて投票する有権者(*)」と、教え子の森裕城・同志社大学教授がまとめるように、鋭い分析は、自分の政治家としての戦術に大きくプラスになったに違いない。

ただ、珍しい経歴は、注目されたものの、選挙に勝つ秘訣にはなりえない。

静岡県庁
静岡県庁(写真=Akahito Yamabe/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

蒲島氏は、川勝氏とは異なり失言はなく、着実に災害からの復興を進め、ゆるキャラを用いた広報活動を展開してきた。なるほど県民に愛される要素に満ちている、「だから」当選を重ねてきた、そう考えるのが妥当なのかもしれない。

しかし、川勝氏と蒲島氏は、学者「なのに」失言が多かったり、あるいは、行政手腕に長けたりしたわけではない。

学者「だから」、そう見えてきたのではないか。そこにこそ、川勝氏が長きにわたって得票を集めてきた要因があり、栄誉(学者)から転落(政治家)という経路をたどった原因があるのではないか。

*森裕城『日本の政治過程 選挙・政党・利益団体研究編』(木鐸社、2022年)100ページ

■なぜ「失言」「リニア問題」でも支持されたのか

ひとくちに「学者」といっても、哲学から医学まで幅は広い。朝から晩まで、盆も正月もなくずっと実験室に篭っている科学者もいれば、ほとんど研究室には寄り付かず、山奥や海にフィールドワークに出ずっぱりの人もいる。

歴史家、それも川勝氏のようにダイナミックというか、大風呂敷を広げるタイプの学者は、基本は本や資料を読み込み、そこから頭の中で地図を描いていく。先に挙げた『文明の海洋史観』は、その典型であり、だからこそ、わざわざ同書の「文庫版へのあとがき」で、知事就任以降の「現場主義」を強調しているのである。

知事を「知に事(つか)える」と位置づける川勝氏にとっては、書庫や資料室で文字と睨めっこしている日々をもとに、初当選から7年余りで2000箇所以上も県内各地をまわったのは誇りであり、「職業としての学問」と「職業としての政治」を両立するベースだったと述べている(*)

まさにここに、学者「だから」川勝氏が知事になり、連続当選してきたポイントがあるのではないか。

*川勝平太「文庫版へのあとがき」『文明の海洋史観』(中公文庫、2016年)323ページ

■学者「だから」に甘えてきた

川勝氏には静岡県経済界の重鎮・鈴木修・スズキ相談役の後ろ盾があったと言われている。巨大自動車メーカーを挙げてのバックアップがあったから、失言があっても、リニア問題で批判を受けても、選挙基盤が揺るがなかったともみられている。ただ、それ(だけ)で、静岡県出身でもなく、テレビで顔を売っていたのでもない川勝氏が、県民から投票され続けたとは考えがたい。

「近代は海洋アジアから誕生した」(『文明の海洋史観』)と大言壮語するような浮世離れした感覚を持っていたから、そうした世間離れした人だと、有権者が寛大に受け入れてきたから、つまりは学者「だから」と大目に見てきたから、川勝氏は今まで知事を続けてきたのではないか。

そして、それゆえにこそ、彼は墓穴を掘ったのである。

学者「なのに」、ではなく、学者「だから」、失言やリニア問題への意固地な姿勢も仕方ない。そんな諦めにも似た県民感情を呼び起こしてきたのではないか。名高く教養にあふれている(ように見える)川勝氏は、静岡県知事の能力にとどまらず、県民のプライドをくすぐって余りあった。

学者「だから」、に甘えてきたために、彼は延命してきた。同時に、そのために、彼は政治家人生の幕を自分で閉じざるを得なかったのである。

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。

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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)

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