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高校生「オナラ防止パンツ」開発の背景にある、日本の学校の悲壮な現実 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2019年7月16日 16時0分

<日本の学校ではなぜか「排泄」という生存に不可欠な行為について、他者を許容し、配慮を示すことを重視しない>

高校生向けの媒体「高校生新聞」が伝えたところによると、東京の男子高校生3人組が、「オナラの音と臭いを消すパンツ」の開発に取り組んだそうです。「遮音」「吸音」「消臭」の3つの機能を兼ね備えたパンツを目指して、スポンジや活性炭をステンレス材ではさむという試行錯誤をしているそうです。

若者らしい、ユーモアも感じさせる科学実験で、商品化はできなくても、大学進学の際には一芸入試などで評価してあげていいと思います。微笑ましいエピソードだし誰もが応援したくなるニュースです。

ですが、記事の中で一点だけ気になる点がありました。それは研究グループの1人が、「周りが気になりオナラを我慢して体調を崩してしまう。そんな誰にでも思い当たる悩みを解消するパンツを作ろうと思いました」と発言していた部分です。

ある世代から上の人々には「オナラを我慢して体調を崩す」などということが「誰にでも思い当たる悩み」だというのは、信じられないかもしれません。もちろん、人前で「ブッ放す」のではなく、そっと席を外してまた戻る、周囲はそれを揶揄しないというのが常識、上の世代ではそう考えるはずです。

ですが、冷静に考えれば、この若者たちはピア・プレッシャー(仲間からの同調圧力)の中で事実上「学校での大便を禁じられた」経験があるのではないでしょうか。大便が禁じられている中では、「オナラ」に対しても強い禁忌の意識があるのは当然であり、切実な問題として受け止めなくてはなりません。

ということは、この3人の若者のプロジェクトは、ユーモアを中心とした科学実験ではなく、どうやら真剣なニーズに基づいたものとして進められている、そう考えることができます。

そうであれば、話は別です。話の前提が悲壮に過ぎるからです。

人間は、非常に未熟なうちに生まれるので、排泄という生存に必要な行為について順番に学んでいきます。最初は、親の介助を得て行い、やがて自立するという順番です。

自立には3つの意味合いがあります。1つは、親の介助がなくても物理的に排泄ができるということです。2つ目は、排泄に関する禁忌を理解する、つまり排泄物は不衛生だとか、不快だという前提で排泄行為と排泄物の処理を社会的に認められた規範の中で行うということです。3つ目は、排泄にまつわる不快感を前提としつつ、不快感を抑えて排泄する他者について許容したり、言及を控えて配慮を示したりするということです。

この3つができて初めて、人間は排泄において自立することになります。これは生存という意味でも、集団に適応する社会的なスキル獲得という意味でも、重要な訓練になり、親や社会はその訓練を重要視するのが通常です。



ところが、日本の社会では、ある世代から下では学齢期に達しても、このうちの3点目の自立ということが成立していません。特に大便について「本能的には不快である他人の排泄」への許容や配慮ができないのです。

別に、発達が遅れているわけではありません。やろうと思えばできるのです。ですが、非常に特殊な価値観が蔓延しているために、できなくなっているのです。それは、「他人の排泄は不快だという本能的な反応を、あえて抑えないことで、自他の動物的な反応を見る」という不思議なカルチャーが定着しているということです。

小学生が、休み時間に大便をしたとします。これは確かに他人にとっては不快かもしれませんが、その本人にとっては切実な生理現象ですから、周囲は理解を示し、あえて言及しないなどの対応をするのが「排泄の自立」スキルの1つとして必要です。ですが、そのスキルを「あえて行使しない」というのが現在の子供たち、特に男の子たちの世界に起きているわけです。

原因としては、そのような「善意による本能の抑圧」というのが一種の偽善だというような大人社会からの悪影響がまず考えられます。その上で大便をした、あるいは隠れて「オナラ」をしたらしいクラスメイトに対して、配慮や善意の無視ではなく、「子供っぽい、そして残酷で動物的な」批判の視線を投げてみる、そこで本人が高度なお笑い芸人のような「いじられコミュ力」を発揮して切り返すか、できずに逃げるか、弾圧に屈するかを見ているのが「面白い」という話になるわけです。

さらに日本の伝統的な病弊とも言える「恥の文化」がこれに追い打ちをかけています。メカニズムとしてはそういうことですが、客観的に見れば排泄の自立における必要なスキルを切り捨てているわけで、反社会的、反人間的であることは間違いありません。

結果として、こうしたカルチャーは「いじめ」の温床になっていると考えられます。この高校生が指摘しているように、健康に悪影響が出ている(便秘の増加)という報告もあるようです。また高齢者や障がい者への介護、親としての乳幼児の排泄のケアなどへの偏見や、心理的負担感を高めることにもなりかねません。

子どもの社会において、そのようなことを許しているのは、世界中で日本だけだと思います。そして、この病的な現象は大人の、つまり教育の責任として一刻も早く是正すべきだと思います。

この3人組の努力は認めます。ユーモアでやっているのであれば、とても面白いと思います。ですが、真剣なニーズを前提にやっているのだとすれば、大人社会は一刻も早くそのニーズそのものを除去するように、行動を開始するべきだと思います。

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