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米軍がイラン旅客機を撃ち落とした1988年の夏

ニューズウィーク日本版 2019年8月22日 15時50分

<1988年7月、緊迫のペルシャ湾で米軍が旅客機にミサイルを誤射──300人近い民間人が死亡したこの事件をイランは忘れていない>

何者かによる石油タンカー攻撃が相次ぐなか、イランがアメリカの無人偵察機を撃墜、それに対しアメリカが報復攻撃を開始する一歩手前までいく──この数カ月、ペルシャ湾で緊張が高まっている。

それとともによみがえるのが約30年前の記憶だ。1988年の夏、アメリカがイランの民間人300人近くの命を奪う出来事があった。

当時は、イラン・イラク戦争の最中。中東情勢が不安定化し、ペルシャ湾にもきなくさい空気が充満していた。1987年5月には、イラク軍戦闘機が誤って発射したミサイルが米海軍のフリゲート艦スタークを直撃し、乗組員37人が死亡。翌1988年4月には、フリゲート艦サミュエル・B・ロバーツが機雷に触れて損傷する事件が起きた。

アメリカは、その機雷がイランにより設置されたものと断定。報復のために、第二次大戦後では有数の大掛かりな水上作戦に乗り出し、多数のイラン艦艇を撃沈した。そして1988年7月3日、ペルシャ湾のホルムズ海峡に停泊していた米海軍のミサイル巡洋艦ビンセンズがイランの航空機にミサイルを発射した。巡洋艦の乗組員は後に、イランのF14戦闘機だと思ったと述べている。しかしそれは、イラン航空655便としてドバイ空港に向かっていたエアバスA300型機、つまり民間の旅客機だった。乗客と乗員290人は全員死亡した。

「イラン人は今もこの出来事を忘れていない」と、戦争平和報道研究所(ロンドン)のプログラムディレクターを務めるレザ・H・アクバリは本誌に語った。「毎年この時期になると、国営メディアが当時の悲惨な映像を流す。ペルシャ湾に浮かぶ旅客機の残骸や犠牲者の死体がテレビに映し出される」

「このストーリーは、過去40年間、アメリカを冷酷な帝国主義者と位置付けてきたイラン政府の主張に適合する」と、アクバリは説明する。「イラン政府のプロパガンダにうってつけの材料と言える事件だ。イランでのアメリカのイメージに好ましい影響はない」

アメリカ政府は事件後にひっそり遺憾の意を表明し、犠牲者に賠償金を支払った。しかし米軍は決して過ちを認めず、誰も処分しなかった。



「アメリカを代表して謝罪するつもりは決してない。事実関係がどうであろうと関係ない」と、そのとき現職副大統領として大統領選に臨んでいたジョージ・H・W・ブッシュ元大統領(父ブッシュ)は1988年8月の選挙集会で述べた。これは、イラン航空機撃墜事件を念頭に置いた発言と受け止められた。「私は、アメリカを代表して謝ろうというタイプの政治家ではない」と、ブッシュはきっぱり言った。

撃墜事件の数週間後、米海軍はこの出来事に関する報告書を発表。ビンセンズのウィル・ロジャーズ艦長の行動は「分別のあるものだった」と認定した。問題の航空機によりビンセンズや周辺の米艦が危険にさらされていると判断したのは無理もない、というわけだ。

政府が真実を隠蔽した?

この報告書は、「イランにも責任の一端がある」とも指摘した。米艦とイランの小型砲艦の戦闘が続く状況下で「民間の旅客機が低空を飛行することを許可した」というのが理由だ。

ロジャーズは事件の翌年までビンセンズの艦長の地位にとどまり、1990年には1987年4月~89年5月の「傑出した奉仕」を理由に表彰まで受けている。その際、旅客機撃墜への言及は全くなかった。1991年、ロジャーズは名誉除隊している。

しかし、1992年に本誌がABCテレビのニュース番組『ナイトライン』と共同で実施した調査報道により、米軍の説明とは異なる事実が見えてきた。公開された公文書、関係する艦船の映像や音声データ、そして100人以上の人たちへの聞き取り取材によれば、責任は主にロジャーズにあり、米国防総省はそれを隠蔽していたのだ。

本誌とABCの調査は、このときビンセンズがイランの領海に入り込んでいたことを突き止めた。これは明らかに国際法違反だ(イランは今年6月にアメリカの無人偵察機を撃墜したときも、その無人機がイランの領空を侵犯したと主張している)。

撃墜事件当時に米軍制服組トップの統合参謀本部議長だったウィリアム・クロウは、1992年7月の下院公聴会で隠蔽説を否定。本誌とABCを強く批判した。「ABCとニューズウィークの報道の最も非難すべき点は、ごくわずかの、しばしば誤っている情報を基に、大げさな言葉で批判を展開していることだ」

ビンセンズがイラン領海に入ったことにも問題はないと、クロウは主張した。「自衛の必要に迫られた軍用艦艇が攻撃者の国の領海に入ることは、国際法上も認められている」

1992年にこの報道が話題になったのを最後に、イラン航空655便撃墜事件は、アメリカではほとんど忘れられていた。しかし、イランの人々の間で悲劇の記憶は薄れていない。アクバリの言葉を借りれば、それは「イラン・イラク戦争の暗い時代の悲しい記憶」でもある。



テヘランの旧米大使館を囲む壁に描かれた反米プロパガンダ ERIC LAFFORGUE-GAMMA-RAPHO/GETTY IMAGES


イラン・イラク戦争時、アメリカ、ソ連、フランス、イギリスといった大国はことごとく、サダム・フセイン大統領率いるイラクが隣国のイランに侵攻することを支持した。撃墜事故当時は、1979年にイラン革命で王政が倒されてイスラム国家が樹立されてからまだ10年足らず。イランには「資金などの資源も乏しく、経験もほとんどなかった」と、アクバリは言う。

「イランの報復能力はアメリカには到底かなわなかった」とアクバリは当時を振り返る。「それは今も同じだろうが、イランは非対称の報復能力を増強して攻撃の代償を高くしようと躍起だ。イラン当局者は現在、自国の防衛能力と独立性と領土保全の必要性を力説している」

最悪の事態は回避したが

「そうした考え方はイラン航空655便撃墜といった事件にも起因している。イランの軍幹部も政治家も、あんな状況には二度と陥りたくないのだ」と、アクバリは言う。

その後もイランを孤立させるアメリカ主導の取り組みは続き、イランは中東で盟友を探さざるを得ない。1980年代のイラン・イラク戦争でフセインを支持したアメリカが、2003年に(イラクが大量破壊兵器を保持しているという誤った情報を信じて)イラクに侵攻。フセイン政権は崩壊、イランはイラクとの関係を強化した。

米国防総省は今年4月、イラク戦争中の親イラン勢力の攻撃で米軍要員600人以上が死亡と発表。ドナルド・トランプ大統領自身も6月下旬、イランが簡易爆弾などで「アメリカ人2000人を殺害した」とツイートしたが、それを裏付ける証拠は示さなかった。アメリカはシリアでもイランと親イランの民兵組織が米軍にとって脅威となったと主張する。シリアは1980年代のイラン・イラク戦争時にアラブで唯一イランを支持し、現在も非常に重要なパートナーだ。

敵視し合うアメリカとイランの貴重な雪解けが、2015年のオバマ政権とロウハニ政権による核合意だった。イランは数十億ドル規模の経済制裁緩和と引き換えに核開発の大幅な制限に同意。両国の強硬派は懐疑的だったが、国際社会はおおむね歓迎。両国に加え、中国、フランス、ドイツ、イギリス、ロシアが核合意に署名した。

しかし昨年5月に、トランプは核合意を一方的に離脱。残る参加国は中東で緊張が高まるなか、合意救済に苦戦することになった。ヨーロッパはイランとの通商関係を正常化できず、イランは1年後の今年5月、履行義務の一部を放棄すると発表した。ただし合意の枠内でだ。



イラン革命記念集会でトランプ米大統領に見立てた人形を燃やす参加者 MAJID SAEEDI/GETTY IMAGES


同じく5月、オマーン湾でサウジアラビアやノルウェーのタンカーなど商船4隻が何者かからの攻撃を受けて船体を損傷。6月にもノルウェーや日本の企業が運航するタンカー2隻が標的になった。イランは攻撃への関与を否定しているが、20日にはアメリカの無人偵察機を撃墜。トランプは当初報復攻撃を指示したものの、民間人が犠牲になるのを恐れて結局撤回した。

アメリカの圧力は逆効果

この日の夜、トランプお気に入りの保守系ケーブルテレビ局FOXニュースの特集番組で、ジャック・キーン元陸軍大将はイラン航空655便撃墜という約30年前の「恐ろしい過ち」に言及。イラン革命防衛隊の航空部隊を率いるアミール・アリ・ハジザデ司令官も、20日に無人機を撃墜した際、35人を乗せた米軍のP8哨戒機も一緒に飛行しており、これも撃ち落とすことはできたが思いとどまったと発言した。

衝突は回避されたが、「イランにしてみればアメリカの一部の識者と政策立案者の強硬論は悪い冗談に聞こえたはずだ」と、ベサリウス大学(ブリュッセル)で教えるラグナー・バイラント(国際関係論)は指摘する。

「アメリカは1988年にペルシャ湾上空でイラン航空655便を撃墜したことを、まだ正式に謝罪していない。民間のエアバスA300型機を米軍の巡洋艦ビンセンズがイランのF14戦闘機と誤認したせいで、子供66人を含む300人近い乗員乗客が死亡した」と、バイラントは言う。「そのアメリカが今度は、イラン領空に侵入もしくは接近した無人機をイランが撃墜したからといって戦争をするのか。敵対的な国の無人機が自国の領空に接近したら、アメリカはどう反応するだろう」

ロジャーズは1990年にビンセンズ艦長としての功績を理由に受勲したが、「戦争で荒廃したイランでは、何千万もの人々がさらに厳しさを増したアメリカの制裁に苦しんだ」と、バイラントは言う。「トランプが昨年台無しにした合意の一番の受益者はイラン政権ではなく、イランの一般市民だった」

アメリカはイラン革命以降ほぼ一貫してイランの孤立化を図ってきたが、皮肉にもトランプ流の「最大限の圧力」はかえってトランプ政権を対イラン政策でほぼ孤立させる結果となっている。中国とロシアは6月5日の共同声明でアメリカの対イラン制裁に反対を表明。アメリカの盟友であるヨーロッパも、遅まきながら29日にイランとの限定的な貿易を可能にする特別目的事業体をスタートさせた。



イランはアメリカが制裁を解除しなければ協議に応じない構えだが、アメリカは6月24日、イランの最高指導者で1988年の事件当時は大統領だったアリ・ハメネイまで制裁の対象にした。世界各地のイラン大使館が事件を回顧するなか、ワシントンにあるかつてのイラン大使館は今も無人のまま。外交再開に備えて米国務省が維持に努めているというが、その見込みはこれまでになく薄い。

6月末、イランの司法当局者を前に演説したハメネイは、イラン民間機撃墜を「アメリカ流の人権」と非難。アメリカによる干渉は「この国に進歩をもたらすどころか後退要因でしかない」と主張し、次のように締めくくった。「イランは前進する。アメリカが首を突っ込みさえしなければ」

<本誌2019年8月27日号掲載>

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※8月27日号(8月20日発売)は、「香港の出口」特集。終わりの見えないデモと警察の「暴力」――「中国軍介入」以外の結末はないのか。香港版天安門事件となる可能性から、武力鎮圧となったらその後に起こること、習近平直属・武装警察部隊の正体まで。また、デモ隊は暴徒なのか英雄なのかを、デモ現場のルポから描きます。


トム・オコナー

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