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アジアに、アメリカに頼れない「フィンランド化」の波が来る

ニューズウィーク日本版 2019年9月2日 19時0分

<アメリカ一極支配によりアジアの安定が当たり前だった時代は去ろうとしている。これからは予見不可能なアジア、中国に従属するアジアの時代になるかもしれない。日本もそうした将来への準備が必要だ>

1942年、米海兵隊が太平洋の島を舞台に日本軍との終わりの見えない激しい戦闘を繰り広げていたころ。オランダ系アメリカ人の地政学者でエール大学の教授だったニコラス・スパイクマンは、アメリカと日本が戦後、中国(当時はアメリカの重要な同盟国だった)に対抗して同盟を組むことになると予言した。

日本はアメリカにとって忠実かつ有用な同盟国になるだろうとスパイクマンは主張した。日本が食糧や石油を輸入できるようにアメリカがシーレーン防衛にあたらなければならないものの、人口の多い日本とは強い通商関係で結ばれることになるというのだ。

一方で中国は、戦後は大陸における強力かつ危険な大国となるから、力の均衡を保つための牽制策が必要になるだろうとスパイクマンは述べた。スパイクマンはまた、アジアにおける日本が欧州におけるイギリスのような存在になると考えた。つまり海を挟んで大陸と対峙するアメリカの同盟国ということだ。

スパイクマンは1943年に癌でこの世を去ったため、この予言が現実のものとなったのをその目で見ることはなかった。実際、彼の予言はアジアという地域を定義するとともにこの地に安定をもたらし、70年以上にわたってアジアに平和と繁栄をもたらすビジョンとなった。

<参考記事>日韓、香港、米中......あなたも世界の動きと無縁ではない。トランプの嘘とも

「スパイクマン時代」の終わり

1972年のニクソン訪中を始め、ソ連を牽制するためにアメリカが中国に接近したこともある。それでも日米同盟は、アジアの安定の礎石であり続けた。両国のパートナーシップなくして、大成功を収めたニクソン政権の対中政策も存在し得なかっただろう。

スパイクマンの予言は当時としては非常に先見の明のあるものだったが、米中の貿易戦争が繰り広げられる(そして彼の名を知る人はほとんどいない)今日においても、その意義はまるで失われてはいないように見えるかも知れない。

だが実のところ、スパイクマンの唱えたアジア秩序は崩壊を始めている。この10年間にアジアが大きな変容を遂げたせいだ。変化は徐々に進み、いくつもの国々へと広がっていったため、新しい時代に突入しつつあることを理解している人はほとんどいない。新しい時代の背景にあるのは、国内における不安定要素も強硬さも増した中国と、ひびの入ったアメリカの同盟システム、そして過去数十年間ほどには支配的でなくなった米海軍だ。

香港での危機や日韓関係の悪化は、新たな時代の序章に過ぎない。アジアの安定はもはや当たり前ではなくなっている。

<参考記事>嘘つき大統領に「汚れ役」首相──中国にも嫌われる韓国

まず第1に、中国はもはや私たちの知っていた中国ではない。かつて毎年2ケタの経済成長を遂げ、リスクを嫌う顔のないテクノクラートの一団(厳しい任期制限によってその行動は抑制されていた)によって支配されていた中国は、今や経済成長率はせいぜい6%で、1人の強硬な独裁者によって支配される国となっている。



景気が減速する一方で、中国経済は熟練度の高い労働者を擁する、より成熟したシステムへと変容しつつある。新しい中流階級は愛国主義的であるとともに要求水準が高い傾向にあり、政府にも高水準のパフォーマンスを求めている。中国の習近平(シー・チンピン)国家主席はこうした中産階級に対し、中国はナショナリズムを高め、経済改革を推し進めることで、ユーラシア大陸に広がる交易路や港を手中に収める「世界大国」になれると思わせている。

だが習はまた、顔認証といった過去にはなかったさまざまなテクノロジーを用いて国民の行動を監視している。政治的に無傷な状態を維持しつつ、債務過剰で輸出主導型の経済を改革するには、かつてソ連を率いたミハイル・ゴルバチョフ書記長とは逆に、政治的コントロールを緩めるのではなく厳しくしなければならないと習は承知している。

中国海軍は急速に規模を拡大し、アジアのシーレーン全域に展開している。これを背景に、アメリカが過去75年間にわたって一極支配してきた海上軍事秩序は、多極的で不安定なものへと変容していくだろう。この一極支配による海上軍事秩序は、スパイクマンの日米同盟ビジョンの隠れたカギだった。だが多極化はすでに始まっている。

朝鮮半島と日本の対立

具体的には、多くの専門家やメディアは南シナ海と東シナ海における中国海軍の侵犯行為を個別の案件と捉える傾向にあった。だが実際には、これらの事案は西太平洋全体のアメリカの制海権に影響を与えている。

米海兵隊が駐留するオーストラリア北部ダーウィンの99年間の港湾管理権を中国企業が獲得するなど、中国が外国の港湾開発に乗り出す事例も相次いでいる。カンボジアの海岸リゾート、シアヌークビルでの大規模プロジェクトは、南シナ海とインド洋をつなぐ海域をどれくらい中国が手中に収めつつあるかを示している。中国はこの10年間にインド洋における港湾ネットワークを築いてきた。

中国の新たな海洋帝国の姿が明確になってきたのはこのほんの数年のことだが、インド太平洋海域はもはや、米海軍の「庭」ではない。

今、台湾は再び紛争の火種になりつつある。中国は台湾周辺海域で軍事演習を行い、ミサイルの発射能力と台湾に対するサイバー攻撃能力を磨きつつ、トランプ政権が承認した台湾への22億ドルの武器売却の中止を要求している。習とドナルド・トランプ大統領の自国の利益最優先政策によって米中対立が激化していることからすれば、こうなるのは当然の帰結といえる。

もちろん、朝鮮半島ほどアジアのなかで影響の大きい地域はない。トランプと北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が始めた首脳会談はどこか混乱気味だったが、その予想外の結果として北朝鮮と韓国の間で活発な対話が始まった。

この南北対話はそれ自体の論理と方向性があり、浮き沈みもあるだろうが、いずれは北朝鮮と韓国の平和条約締結、そして最終的には2万3000人を超える在韓米軍の撤退に向かうだろう。そんなことはありえない、とはいえない。南北ベトナム、東西ドイツ、南北イエメンの例からしても、20世紀に分断された国家は統一に向かう傾向がある。これが朝鮮半島で起こった場合、最も割をくうのは日本だ。

日本の安全保障上は、朝鮮半島は分断されている必要がある。第2次大戦の遺恨はもちろん、1910年から45年までの植民地化の歴史ゆえに、統一された朝鮮はおのずと反日国家になると考えられるからだ。

日韓間の貿易、安全保障関係が、第2次大戦中の徴用工問題と慰安婦問題と相まって悪化している最近の状況は、朝鮮半島が統一された暁にいずれ日本との間で噴出するであろう政治的緊張の厳しさをうかがわせる。



トランプはアジア全体へのビジョンを明確にせずに、アジア各国に対して個別にゼロサムゲーム的な二国間主義の交渉を行う政策を選び、アメリカの同盟国同士を敵対させかねないパンドラの箱を開けてしまった。こうなると最後に勝つのは中国だ。

中国は着実に空・海軍力を増強しており、いずれその戦力は東シナ海における衝突で日本をしのぐとみられる一方、北東アジアの駐留米軍の兵力は減少する可能性がある。日本は今、そんな未来に備えなければならない。

中国は現在好機をうかがっている段階で、これまでのところは、非常に有能な日本の海上自衛隊と持続的に対立する危険を冒すことを望んでいない。

こうしたことはすべて、アメリカの外交および安全保障政策の信頼性が、第2次大戦以来最低になった状態で発生している。意思決定の一貫性が崩れ去ったことで、アジアだけでなく世界的に、アメリカの力に対する信頼は損なわれている。

大統領就任初期にTPP(環太平洋経済連携協定)の離脱を決めたトランプは、高性能兵器がアジア全体に拡散しようとしている時に、同盟関係の構築に背を向け、イラン核合意から離脱しINF全廃条約を破棄するなど、軍事力の抑制に必要な国際管理の枠組みを弱体化させた。

アメリカと同盟関係にあるアジアの国々との信頼と暗黙の理解も著しく損なわれた。信頼性は、大国や指導者にとって最も重要なものだ。

インドは中立を選ぶ

アメリカとインドとの新たな同盟およびインド、オーストラリア、日本、ベトナムを結ぶアジア地域の強いつながりも、それほど助けにはならないかもしれない。アメリカとインドの関係は過去15年間、米中の関係が予測可能で、対処可能であるという特定の状況下で劇的に改善された。だが関税をめぐる新たな混乱により、米中関係の予測可能性または対処可能性は、格段に低くなった。

そうなると地理的に中国に近すぎて安心できないインドは、最終的には2つの大国間のバランスをとる非同盟戦略を再発見する必要があるかもしれない。インドにしてみれば、それほど労力を要することではなく、実際には正式に宣言する必要さえない。アジアの新興国のネットワークに関しては、みせかけの要素が大きく、それほど中身はない。しっかりした予測可能なアメリカのリーダーシップがなければ、たいした成果は期待できないかもしれない。

トランプ大統領の出現は、アメリカ社会、文化、経済が長い時間をかけて変化してきた結果だ。超大国であるアメリカの国内状況は最終的に全世界に影響を及ぼすが、中国もそうだ。テクノロジーの助けを借りた習の強権的な国内政策が、今後10年ほどの間に中産階級の反乱を防ぐことができなくなれば、中国が海外で展開している巨大構想の多くが疑問視され、内部から揺らぐこともあるかもしれない。

日本が「フィンランド化」する

しかし、それは現時点では考えにくいシナリオだ。より可能性が高いのは、中国がインド太平洋とユーラシア全域に軍事力と市場を拡大し続ける一方で、アメリカの第2次大戦後の同盟国に対する責任感が減退し続けることだ。アジアにおいてはそれが「フィンランド化」、すなわち民主主義と資本主義を維持しながら旧ソ連に従属したフィンランドと同じように中国に従属していく動きにつながる。

東は日本から南はオーストラリアまで、アジア地域のアメリカの同盟国は、冷戦中のフィンランドが旧ソ連に接近したように、徐々に中国に近づいていく可能性がある。アメリカの同盟国は、西太平洋地域において地理的、人口統計的、経済的に超大国である中国と仲良くする以外に選択肢はなくなるだろう。

そうなれば、「スパイクマンの世界」の終わりが見える。

(翻訳:村井裕美、栗原紀子)

From Foreign Policy Magazine


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ロバート・カプラン(ユーラシア・グループ専務理事)

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